世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4272
世界経済評論IMPACT No.4272

高度人材は何処に

末永 茂

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2026.03.23

 過日,大学の学問の在り方に関するシンポジウムがあった。テーマが壮大であるから,それなりの役職に就いている大学幹部教授が登壇していた。しかし,聴講者には訴えるところが少なく,質疑応答の時間では不満が爆発する事態になった。予定より20分も延長することになったが,切実なOD(オーバー・ドクター)と思われる人は引き下がることなく食らい付き,途中打ち切りという形で終了した。パネラーは労働経済や哲学を専攻する学者でありながら,足元の学生をも処遇することが出来ないでいる。何をか言わんやということになった。また,芸術系大学の入学式の学長挨拶で,この大学を卒業しても殆どの人は行方不明になる旨の「励まし」の訓示があった,ということを聞いている。

 こうした状況に於いて,高度人材の移民を大勢受け入れるという政府施策は一体どうなっているのであろうか。国内には高度人材が溢れているのに。『日経新聞』「経済教室」(一例を示せば3月11日付)でも何度も取り上げられてきた課題でありながら,出口が見えないのであろう。さらに,度重なる「大学改革」によって社会が求める人材は育成されているのか? 就職活動は学部2年生から始まり,大学教育を軽視しする傾向はその現状からして容易に推測できる。これまでシラバスの充実,パワポでの授業展開や教授の呼称を助教授から准教授へ。そして,英語での授業や卒業式では教授はガウン着用等々,様々なアメリカン・スタイルが導入されてきた。果たして,その成果は学生教育に貢献しているのだろうか。おそらく,今なお大学入試段階のみで人材をふるい分けるというシステムに,産業界は安住しているのではないか。

 であるならば,これは『科挙』の世界でしかない。中国史の大家,宮崎市定は1963年に同名の啓蒙書を発刊している(旧版の研究書は1946年刊)。1960年代は周知の如く高度経済成長期であり,産業の革新期でもあるが,主には欧米技術の模倣と若干の改良に基づく量的拡大を促す産業社会であった。その時期の人材育成策を今なお引き摺り,他方で創造的な高度人材を求めると雇用主は公言しているが,余り説得的ではない。「科挙」は隋の時代から清朝末期まで続く人材登用制度である。朝鮮もその制度を導入しているが,我が国は採用しなかった。いずれも変わらぬ生産システムとしての農業社会における固定的な分業社会を想定したものであったから,欧米社会という異質な要因を排除するシステムとして機能した。従って,中国も朝鮮も近代システムから取り残されたが,幸い我が国は例外となった。

 現在,我が国は大きな岐路に立たされている。石油なしに産業も国民生活も成立しない。何もかもが石油経済でありながらも国際戦略を見失っている。「国際法を守れ!」と国連経由で訴えたところで実体的効果はない。「国際法を守らない」という表現も可能だが,「守れない」諸国も多数存在していることを認識すべきである。国連の基本方針は第二次世界大戦後の新たな世界秩序構築にあったが,それは自由無差別の世界貿易であり,国際開発による貧困の撲滅であった。結果は爆発的な人口増加と,一向に是正されない内外の所得格差である。これは見るべき成果があったと評価もできるが,資源の枯渇問題には正面から向き合ってこなかった。そして,グローバル・サウスという一群の諸国が成長路線に入ってきたから事態は深刻である。また,中国の国際開発方式を国際貢献と評価する論客もいたが,余りにもロマンチックな人々である。歴史のダイナミズムを理解していない。

 話しを基に戻せば,高学歴の人々を研究職に限定して処遇するのは雇用構造からいって無理がある。産業界・地場産業や初等中等学校及び地方自治体で活用すべきである。スポーツ選手も同様である。分野の特性から30代になれば彼らは引退の時期を迎える。彼らの能力を社会的に生かせないのは人材の浪費でしかない。中等学校において「学習指導要領」外の校務に,教職員が多大な時間を割いている。だが,殆どが素人同然の教員が対応しているから,指導を受けている生徒は不幸であり,このようなことが様々な領域において等閑にされているのである。不適正な人材配置は若年層の未婚率上昇や生活困難を生み出す遠因ともなっている。解決できない僅かばかりの不満が堆積すれば,何れは個別的暴走なり地域紛争にまで膨張する。

 アメリカの政治システムで優れている点は,大統領が2期8年を越えてはならない制度にある。独裁政治は長期にわたる既得権益の固定化である。ベネズエラとイランへの攻撃はトランプ大統領の一貫した軍事戦術にあり,これは確かに手荒な方針である。だが,国連による国際法遵守説での応酬ではどうにもならない現実がある。我々は性善説以上の国際協力の在り方を立案しなければならないのだろう。「失われた30年」といわれる我が国の政治的経済的停滞は,日銀による低・ゼロ金利政策の継続だけでは説明が付かない。「社会的人材活用が適正だったのか」という問題意識が欠かせない。時代遅れの経済政治社会構造の維持を優先してきた結果ではないのか。憲法を盾に国際貢献を経済支援に限定してきたのも,その一つである。ペルシャ湾・ホルムズ海峡等,国際経済を左右する要衝保全のため,国際軍事システムを誰がリードするのか。アメリカの政治システムはアンチ独裁システムを保持している。これが何よりも救いではないか。他方で希望的観測や予定調和説というイデオロギーがあるが,これは耳に心地良いだけで,悪魔の囁きにしかならない。

 マクロ=ミクロ・レベルの問題が混在する論調になってしまったが,賢明な読者は好意的に解釈してくれるものと期待している。既に時代は新たな局面に移行しているのであるから,大胆にして,適切な制度設計を望む。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4272.html)

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