世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
中央銀行は,誰に向かって語っているのか:透明性と説明責任の政治経済学
(国際経済政策研究協会 会長)
2026.01.26
はじめに:「分かったようで,分からない」中央銀行
金融政策ほど,私たちの生活に大きな影響を与えながら,その意思決定の過程が見えにくい分野は少ない。中央銀行の政策金利が動けば,銀行預金金利や民間住宅ローンの負担などが変わる。内外金利差が変化すれば,あるいは変化の思惑が市場関係者に広がれば,為替相場が動き,企業の輸出採算や海外から輸入するモノやサービスの円建て価格も変化する。このように様々な経路を通して,中央銀行の政策決定の内容,あるいはその思惑の変化が,国民の経済生活全般に影響を及ぼす。しかし,中央銀行の政策がどのような議論を経て決定されたのか,国民一般が十分に理解しているとは言いがたい。
本コラムサイト1月12日付けNo.4161「日銀金融政策決定会合の『説明責任』は十分か」と題する論考において,筆者は日本銀行の金融政策決定会合における審議公開のあり方,なかでも「主な意見」と題する文書の構成と表現に焦点を当てて論じた。そこでは,意見を述べた主体が明示されていないこと,結論が先に示され因果関係が省略されがちな点,編集責任が総裁(注1)に集中している点,公表までに一定の時間を要している点などが,結果として説明責任を弱めているのではないか,という問題を提起した。
本稿は,その延長線上で,日本銀行に固有の問題にとどまらず,「中央銀行とは,そもそも誰の名において,誰に向かって語る組織なのか」という,より根本的な問いを掘り下げてみたい。中央銀行の透明性とは,単に資料をどれだけ公開しているかという問題ではない。それは,権威の置きどころ,意見の違いの扱い方,説明責任の引き受け方をめぐる,きわめて政治的な制度選択の問題なのである。
本稿では,日本銀行,イングランド銀行,米国連邦準備制度(FRB),欧州中央銀行(ECB)という四つの中央銀行を比較しながら,中央銀行の透明性と説明責任のあり方を,政治経済学の視点から考えていく。
透明性とは情報の「量」だけではなく「かたち」である
中央銀行の透明性は,しばしば「情報開示の多寡」という尺度で評価される。問題はそれだけではない。どれだけ詳しく公表しているか共に,中央銀行の政策決定が誰の判断として示されているのか,政策決定権者たちの間にありうる意見の違いがどう処理されているのか,そして政策決定に関する説明がいつ,誰によってなされるのかという「かたち」の問題も重要である。
この点を整理するために,本稿では三つの視点を提示したい。第一に,政策判断の権威が特定の個人にあるのか,それとも制度としての集合体にあるのか。第二に,政策決定者の間にある意見の違いが,外から見える形で示されるのか,それとも論点別に整理され,個人の姿を消した形で示されるのか。第三に,説明責任が決定と同時に果たされるのか,それとも時間を置いた事後的なものなのか,という点である。
これらは法律の条文だけで決まるものではない。多くの場合,長年の運用や暗黙の合意,組織文化の中で形づくられてきたものである。透明性とは,制度と慣行の積み重ねが外に現れた姿にほかならない。
四つの中央銀行,四つの語り方
日本銀行とイングランド銀行はいずれも単一国家の中央銀行であり,議会に対して説明責任を負う枠組みを持っている。しかし,その語り方は対照的である。
日本銀行では,審議内容は論点別に整理され,誰がどの意見を述べたのかは原則として示されない。意見の違いは存在するが,それは制度の内部に吸収され,「集合的な判断」として外に示される。
これに対し,イングランド銀行では,金融政策委員会(MPC)の投票結果が実名で即時に公表され,各委員が自らの判断について説明責任を負う。制度の枠組みの中で,個人の専門的判断が前面に出る設計である。
米国のFRBは,その中間に位置する。投票行動は実名で公表されるが,議論の理由付けは匿名的に整理される。連邦制度としての統一性と,個人責任の可視化を併存させようとする折衷的な設計と言える。
欧州中央銀行(ECB)は,さらに異なる。超国家的な組織であるECBでは,政策判断を特定の国や個人に帰属させないこと自体が制度の核心をなしている。意見の違いは示されるが,それを誰が主張したのかは明かされない。
説明責任は誰のものか
こうした比較から浮かび上がるのは,説明責任の引き受け方の違いである。日本銀行とECBでは,説明責任は主として制度全体に帰属し,日本銀行の場合は総裁がその代表として語る。イングランド銀行では,各委員が個別に説明責任を負うことが制度として組み込まれている。FRBでは,その両者が重なり合う。
審議公開のタイミングにも違いがある。イングランド銀行は迅速な公開を重視する一方,日本銀行とECBは一定の時間を置いた事後的な公開を基本とする。FRBは即時公開と後日の詳細公開を組み合わせた段階的な方式を採用している。
これらを総合すれば,中央銀行の透明性とは,「どれだけ語っているか」だけではなく,「どのような立場から,どのような責任の引き受け方で語っているか」という問題であることが分かる。
日本銀行の透明性をどう考えるか
四者比較の中で見ると,日本銀行の審議公開の特徴は,集合的な権威を重視し,意見の違いを制度の内部にとどめる点にある。それは一概に劣った設計ではない。金融政策の安定性や一貫性を保つうえで,一定の合理性を持っている。
しかし同時に,それが唯一の選択肢であるわけでもない。日本国内を見渡しても,経済財政諮問会議のように,発言者名を明示した詳細な議事要旨を迅速に公表する会議体も存在する(注2)。透明性のあり方は,法制度だけでなく,運用上の選択によっても大きく左右される。
とりわけ,「主な意見」に見られる結論先取り型の記述や,論理の途中経過が省略された説明については,改善の余地がある。政策判断を正当化する文章ではなく,検証可能な分析として,どこまで示すことができるのかが問われている。
おわりに:語られない独立性から,語られる独立性へ
中央銀行の独立性は,沈黙によって守られるものではない。危機の時代にあっては,何を守り,何を重視しているのかを言葉と行為で示すことが,国民的な理解と信認を支える。
本稿で見てきたように,透明性と説明責任は,情報量の問題だけではない。制度と運用の選択の問題でもある。日本銀行にとって問われているのは,自らの制度的特性を踏まえつつ,どこまで可視性と検証可能性を高めることができるのか,その主体的な再設計にほかならない。
本稿が,中央銀行を「遠い専門家の世界」から,民主主義の中で議論されるべき統治の問題として捉え直す一助となれば幸いである。
[注]
- (1)中央銀行の政策決定権者のうち総裁の資質については,本コラムサイト2023年2月13日付けNo.2855「日本銀行総裁の資質」と題する拙稿を参照。
- (2)この記述には,暫定稿の段階において鶴光太郎・大妻女子大学教授(前・慶應義塾大学教授)より頂いた貴重なコメントが反映されている。
補 論
本稿で検討してきた中央銀行の透明性と説明責任は,平時における審議公開の様式だけで測れるものではない。むしろ制度の原則が真に試されるのは,危機や緊張の局面において,中央銀行がいかなる行為や言葉を選択するのか,その振る舞いにおいてである。中央銀行の独立性とは,法文の中に静かに書き込まれているだけの属性ではなく,行為を通じて初めて外部から認識される性格のものだからである。
この点を考えるうえで参考になるのが,CBI(Central Bank Independence)指数である。同指数は,政策目標の設定権限,政府からの指示・介入に対する遮断,政府向け融資の制約,人事や任期の独立性,制度的な防火壁,さらには説明責任の枠組みといった複数の次元から中央銀行の独立性を数量化し,国際比較を行う試みである(注1)。
この指数による比較では,欧州中央銀行(ECB)が主要中央銀行の中で最上位に位置付けられている。一方,日本銀行は,法的には独立性が認められているにもかかわらず,主要先進国の中では相対的に低位に評価されている。米国連邦準備制度(FRB)およびイングランド銀行(BOE)は,その中間に位置すると整理されている。
なぜこのような差が生じるのか。その答えは,制度の条文そのものよりも,独立性がどのような局面で,どのような形で「可視化」されてきたのかに求められる。
戦前日本とドイツ:総裁辞任という「可視化」
日本銀行史において,政府との政策対立が総裁の辞任という形で明示的に表出した例として,岩崎彌之助(第4代)総裁の辞任が挙げられる。吉野俊彦『日本銀行史2』によれば,岩崎総裁は明治31年(1898年),公定歩合の引下げをめぐって松田正久大蔵大臣と意見対立を深め,同年10月に辞任したとされる(注2)。
重要なのは,この辞任をもって,戦前の日本銀行の独立性が高かったと単純に評価すべきではない点である。むしろ当時は,政策対立が組織内部で調整・吸収されるのではなく,個人の責任と去就という形で外部に現れうる制度環境が存在していたことを示している。
これと対照的であり,かつ比較可能なのが,西ドイツ連邦銀行(ブンデスバンク)総裁カール=オットー・ペールの辞任である。1980年代後半から1991年まで総裁を務めたペールは,ドイツ再統一に伴う通貨統合をめぐり,東西マルクの交換比率についてコール政権と深刻な対立に陥った。政治的・社会的配慮から「1対1」の交換比率を主張する政府に対し,ペールを総裁としたブンデスバンクは生産性格差とインフレリスクを理由にこれに反対した。最終的に政治主導で政策が決定された後,1991年5月にペール総裁は辞任した(注3)。
独立性は「語られて」初めて共有される
ブンデスバンクにおいて形成された独立性の規範的伝統は,超国家的中央銀行であるECBに制度的に継承されている。この点は,CBI指数においてECBの独立性が主要中央銀行の中で際立って高く評価されていることにも反映されている。
FRBにおいては,独立性は議長や理事による明示的な発言を通じて可視化される傾向が強い。議会や政権との緊張関係の中で,「どこまでが政治で,どこからが金融政策か」を言語化する行為そのものが,独立性の一部を構成している。
イングランド銀行では,個々の委員が実名で判断と説明を行う制度設計が,独立性の可視化を支えている。誰が,どの判断を下し,その結果にどのような責任を負うのかが明確であることが,制度への信認を支えているのである。
これに対し,日本銀行では,独立性は法の建前としては確立しているものの,危機局面においてそれを積極的に言語化し,行為として示すことが制度的に強く要請されてこなかった。その結果,沈黙が慎重さとして合理化される均衡が,長年にわたって形成されてきたと考えられる。
結び:独立性をどう示すのか
CBI指数が示す国際比較は,中央銀行の独立性が,語られずに自動的に理解されるものではないことを教えている。独立性とは,危機の局面において,何を守り,何を譲らないのかを中央銀行総裁が率先して言葉と行為で示すことで,初めて国内外に共有される規範なのである(注4)。
本補論で検討した歴史的事例と国際比較は,中央銀行の透明性と説明責任を再設計する際,「法の建前」と「独立性の可視化の様式」を併せて検討する必要性を示唆している。独立性をどのように語り,どのように示すのか。その選択自体が,中央銀行という制度の性格を形づくっているのである。
[注]
- (1)ロイター通信“Poker-faced Powell may have ace up sleeve to stymie Trump’s Fed shakeup”(2026年1月16日)に掲載された,CBI指数に基づく主要国中央銀行の国際比較図を参照。
- (2)吉野俊彦『日本銀行史2』春秋社,1976年,497頁。
- (3)Bundesbank史,Karl-Otto Pöhl の回顧録,およびドイツ再統一期の金融政策に関する先行研究。
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