世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2855
世界経済評論IMPACT No.2855

日本銀行総裁の資質

重原久美春

(国際経済政策研究協会 会長)

2023.02.13

 小泉内閣の下で日銀総裁候選びが進められていた今から丁度20年前,政府による指名が公表されるまでの間,メディアの取材を逃れるため,当時の福田官房長官から筆者に海外に滞在するよう要請されたことは,月刊誌「選択」2003年6月号(注1)によって初めて明らかにされ,それから長い時間を経て2019年末に上梓された拙著「日本銀行とOECD:実録と考察」第27章「日本銀行総裁の選任〜私の経験」(注2)のなかでも言及された。しかしながら,何故,筆者のような日本人としては風変わりな経歴の持ち主が小泉内閣の「隠された日銀総裁候補」とされるようになったのか,その経緯は書かれていない。

 毎日新聞で主流を歩み,社長候補でもあったと言われた岸井成格氏(当時は特別編集委員)が小泉首相官邸と連絡を密にとっていたことは私にも知らされていた。とは言え,私は「小泉政権の経済政策は成功するか——日本経済再建の処方箋」と題した長い論文(金融財政事情,2001年10月8日号)を発表し,竹中平蔵経済財政担当相を軸にした小泉内閣の経済政策を強く批判した経緯もあって,小泉首相官邸が私を日銀総裁候補者として本当に真剣に検討しているとは信じられない感が拭えなかった。

 やがて日銀総裁候補が私を含む3人に絞り込まれたとの内報があり,更に煮詰まったギリギリの最終段階で岸井氏が小泉首相官邸に持ち込んだ「日銀総裁選定のポイント」(2003年2月13日付け)と題された一枚紙のメモのコピーが,パリ滞在中の私に事後的にメールで送られてきた。その文面は以下のとおりであった。

  • (1)海外で知名度の高い『国際派総裁』とするのが,時代の要請。
  •  ・国際情勢が緊迫している今日,海外通であることは,国益,経済安全保障の観点から絶対の要件。
  •  ・そのためには,欧米始め各国当局首脳の気心を知り,直接,機微に亙る話の出来る人。
  • (2)日銀組織を活性化できる『改革断行総裁』。
  •  ・日銀内部を一致団結させ,元気のある組織に戻すことのできる総裁。
  •  ・若手の目標になるような見識,高潔さのある人。
  • (3)経済構造改革の旗となりうる『華のある総裁』。
  •  ・賞味期限切れの「諮問会議」を再活性化できる人。
  •  ・金融庁(信用秩序),財務省(為替,国債)との調整のできる人(実際には副総裁が担当)。

 残念なことに岸井氏が他界された現在,自身の手で書かれたと思われる上掲のメモを一つの手がかりに,当時有力な総裁候補と報道されていた方々とは違った資質が重原にある,と同氏が判断されたと推測するしかない。

 岸井氏が小泉総理官邸に届けた,もう一つの「日銀組織の活性化—総裁として最大級の課題」と題したメモ(2003年2月11日)には,次のように書かれていた。

  • (1)政策決定は政策委員会が行うのに対し,日銀の経営管理は総裁の専決事項(日銀法)。総裁就任直後に組織改革案を提示できる位実情を把握しており,改革の理念・意欲のある人物でないと,伏魔殿と化した組織の実効ある改革は覚束ない。したがって,外部の人材,とくに組織を動かしたことのない学者では無理。また,今後予想される市中銀行の一層のリストラに合わせ,日銀職員自身のリストラも不可避。したがって,人間として相当の力量も必要。
  • (2)国際情勢が緊迫化する中であるだけに,海外で知名度の高い国際派総裁の登場は,時代的要請。むしろ,理念先行型の学者よりは,各国政府高官との連携をすぐに取れる中央銀行実務を承知した人材が望ましい。

 一方,『前川春雄 奴雁の哲学』(注3)を執筆した浪川攻氏は,『それでも次期日銀総裁は「下馬評に名前がない」と囁かれる本当の理由』(新潮社Foresight,2023年2月7日)のなかで,「少なくとも,総裁は,発足時点で手の内がわかりにくい人物を選ぶのが上策なのだ。たとえば,中立的な学識経験者,端的に言えば,(掲載された実名を本稿では省略)有力な経済学者があてはまる」と書いている。

 この記述を読んで,筆者は先ず,米国で学者上がりでFRB議長となったベン・バーナンキを想起した。しかし,彼はFRB理事を務めたあとの議長就任であった。筆者の欧米における親しい友人の一人で,イングランド銀行総裁として活躍したマーヴィン・キングも想起した。彼も確かに学者上がりであるが,ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)教授から先ずイングランド銀行の調査担当理事,ついで副総裁に昇格,これらの二つのポスト在任中に,単にBISのような中央銀行関連の国際機関だけでなく,財務省や経済省などの高官たちも出席するOECD経済政策委員会やいわゆる国際金融マフィアを主要メンバーとするOECD第三作業部会(WP3)にも積極的に参加し,海外中央銀行や国際機関の首脳・高官たちとの人脈作りにも努めた。そうした努力にも拘らず,キングはマクロ政策面と比べてプルーデンス政策面での経験不足が露呈し,禍根を残した。

 小泉首相官邸によって日銀総裁候補者のリストに入れられることを筆者が受容れた後,筆者自身が作成した「中央銀行総裁の資質(私見)」と題するメモには次のように書かれている。

  • 1.「公僕(civil servant)」,「国民に仕える僕(しもべ)」としての強い職業人意識,それに支えられた職務実績
  • 2.内外金融・実体経済の短期的動向と中長期的展開に関する鋭い洞察力,これに基づく国内マクロ経済および金融システムに関わる中央銀行政策の卓越した企画力と迅速かつ果敢な実践力
  • 3.民主政治制度のもとで国民から直接選ばれた議員によって構成されている立法府および議院内閣制によって成り立っている行政府と中央銀行との関係に関する日本銀行法の立法精神ならびに内外における長い歴史の教訓についての深い識見,これに基づく政府各部門との適切な関係の構築力
  • 4.国民(消費者),民間金融界,産業界などとの対話を重視する開放性,国民経済全体の健全な発展と分配の公平性維持の均衡を重視した柔軟な思考力
  • 5.海外中央銀行や国際機関首脳との人脈,国際的な実務経験などに支えられた国際政策協力に関する交渉力と統率力
  • 6.中央銀行という一つの人的組織の統括力と包容力
  • 7.健全な身体と不屈の忍耐力,自己に厳しく,清廉潔白

 これは,筆者自身が至らないことを十分承知の上で,日銀総裁の理想像を描いたものであったことは言うまでもない。

 小泉総理の最終決断が発表されると,英国フィナンシャルタイムズ紙は直ちに,『小泉の小心(Koizumi’s Timidity)』と題する社説(2003年2月25日号)を発表し,小泉首相が結局は既成勢力の圧力に屈し,意中の人の総裁指名に失敗したと批判した(注4)。米国クリントン政権時代に財務次官(国際金融担当)として活躍したジェフリ・シェーファーはこれを読んで,「クミ(筆者の愛称)が指名されれば,米国のアラン・グリーンスパンFRB議長,そして英国のマーヴィン・キング総裁と同じタイプの中央銀行総裁が日本でも誕生し,我々が歓迎したのに,こういう結果となったのは小泉首相,そして日本にとって残念なことだ」というコメントを含む長文のメール(注5)を同日ニューヨークから送ってきた。

 日本通の彼から,先日,「岸田首相が,かつての小泉首相と同じ失敗をしないことを望んでいる」という趣旨のメールが,筆者のほか,OECDの事務総長を含む現役幹部と元高官,IMF,BISと欧米主要国の中央銀行元幹部たちと一部の金融学者に一斉配信された。

 次期日銀総裁の人選については,海外からも最良の選択をしたと評価される決断を岸田首相に期待したい。

(2023年2月9日 記)

[注]
  • (1)「選択」2003年6月号,「日銀総裁内定を耳打ちされた重原久美春氏の落胆」。
  • (2)重原久美春『日本銀行とOECD—実録と考察:内外経済の安定と発展を求めて』中央公論事業出版,2019年,第27章「日本銀行総裁の選任〜私の経験」,366〜371ページ。
  • (3)浪川攻『前川春雄「奴雁」の哲学』東洋経済新報社,2008年12月
  • (4)“Koizumi’s timidity”, Central Banking staff 25 Feb 2003.
  • (5)英語の全文は重原久美春,上掲書,369〜370ページ。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2855.html)

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