世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「選別的保護主義」時代の到来に備えよ
(国士舘大学政経学部 教授・泰日工業大学 客員教授)
2025.11.10
メキシコの関税引き上げと「対米重視外交」
メキシコ政府は2025年秋,自由貿易協定(FTA)を締結していない国からの輸入品に対して,大幅な関税引き上げを行う法案を国会に提出した。対象は自動車や鉄鋼,電子機器,繊維,玩具など約1,400品目に及び,従来の15〜20%だった関税を最大50%に引き上げるという。対象国は中国のみならず,インドネシア,フィリピン,タイなどが含まれ,米国との通商関係を最優先する「対米重視外交」の一環とされる。
背景には,トランプ政権による追加関税発動の脅しがある。米国はUSMCAの枠外にある国からの輸入が米国メキシコカナダ協定(USMCA)加盟国を通じて米国市場に入る「抜け道」を問題視している。米国は次回のUSMCA再協議(2026年7月改定予定)を見据え,「中国および非加盟国からの輸入管理強化」を事前に約束させようとしている。
メキシコ政府は米国の圧力を回避すべく,非FTA国に対して防御的な関税政策を打ち出し,米国への譲歩姿勢を明確化した。もっとも,ASEAN諸国にとってメキシコは,総輸出の1%程度で,輸出先として決定的に重要な市場ではない。したがって,今回の措置はASEAN経済に深刻な打撃を与えるものではない。
浮き彫りになるASEAN域内のFTA格差
ただし,問題はASEAN加盟国間での「FTA格差」がより鮮明化する点にある。CPTPP加盟国であるベトナム,マレーシア,シンガポールは,メキシコとの間に既存のFTAを持つため,今回の関税引き上げの対象外となる。一方,インドネシア,タイ,フィリピンはFTA非締結国として,より高率の関税負担を強いられ輸出価格競争力が相対的に低下する。ただし,インドネシアは2024年9月,フィリピンは25年9月にCPTPP加盟申請を行っており,批准・発効が進めば将来的に関税優遇を受ける側へ移行する可能性がある。結果として,ASEAN内部で「制度上の勝ち組・負け組」が固定化する一方,加盟拡大を通じた再編の動きも生まれつつある。こうした差は偶発的なものではない。むしろ,FTAを介して貿易自由化を段階的に進めるなど,「協定を結ぶ努力をした国が恩恵を受け,結ばなかった国が取り残される」という新たな現実を象徴している。今回のメキシコの措置はその脆弱性を浮き彫りにした。
WTOとの整合性と「選別的保護主義」の連鎖
一方,このメキシコのFTA未締結国に対する関税引き上げ措置は,WTO上違反ではないのかとの疑問も出る。GATT第1条は「最恵国待遇(MFN)」を定め,すべての加盟国に同一関税率を適用することを原則としている。したがって,「FTAを結んでいない国」にのみ高関税を課すことは一見違反に見える。しかし,GATT第24条は関税同盟や自由貿易地域の形成を目的とする場合,加盟国間で関税を撤廃し,非加盟国に異なる税率を適用することを例外的に認めている。すなわち,FTAによる差別は制度的に合法化されている。
メキシコの平均譲許税率は36.2%で,一部品目では200%を優に超える。関税を50%に引き上げたとしても,この譲許枠内であればWTO違反には当たらない。形式上,メキシコは「譲許税率の範囲内で,FTA非加盟国に通常のMFN税率を適用したにすぎない」と主張できる。すなわち,制度を巧みに利用した合法的保護主義である。理念的には自由貿易の後退であっても,法的にこれを止める手段はない。
この点にこそ,本件の本質的リスクがある。つまり,メキシコがこの措置を成功裡に実施できれば,同様の政策を採る国が続出する可能性がある。実際,メキシコもトルコの先行事例に倣った可能性が高い。トルコは関税同盟・FTA締結国以外の国々に対して追加関税や輸入規制を課し,対象品目が年々拡大している。米国やブラジル,インドなどでも,特にFTA非締結国・協定対象外品目への関税上昇・障壁設定の傾向がある。
世界貿易の「FTAブロック化」とASEANの対応
こうした動きが拡大すれば,WTOのMFN原則は形骸化し,世界貿易は事実上「FTAブロック経済」に再編される。FTAを結んでいる国は優遇を受け,結んでいない国は高関税の壁に直面する。世界貿易の分断が静かに進行している。
このような環境変化に対し,ASEANは,第一に,FTAネットワークの拡充と活用を急ぐべきである。ASEANはすでにRCEPやASEAN+1協定を通じて広範な自由化を進めているが,中南米やアフリカはほぼ未開拓である。CPTPP未加盟国であるタイなどは,将来的な加盟検討や日墨EPAなど既存協定を通じた間接的な市場アクセス確保を進めるべきである。第二に,サプライチェーン戦略の再構築である。メキシコのような政策変更や迂回貿易対策の強化を踏まえ,現地生産・現地調達を核とした多層的供給網を形成することが必要である。
最後に,ASEAN全体として自由で公正な通商秩序の維持に努めることである。メキシコの事例は,自由貿易体制が制度的には維持されながらも,実質的には「排他的FTAの網の中」で再編されつつある現実を示している。ASEANはRCEPや将来のデジタル経済枠組み協定(DEFA)を通じ,包摂的なルール形成を主導する立場にある。選別的保護主義が世界的潮流となる前に,ASEANが「FTAが分断ではなく連結を生む」通商秩序を能動的に築くべきである。
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