世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4073
世界経済評論IMPACT No.4073

アメリカがカンボジアのプリンスグループに制裁:副首相兼内務大臣に疑惑が波及?

鈴木亨尚

(元亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

2025.11.10

 東南アジアを中心とする国際組織犯罪研究の第一人者ジェイコブ・シムズ(Jacob Sims)は,2025年5月に発表した『政策とパターン:グローバル安全保障への脅威としてのカンボジアにおける国家によって幇助された越境犯罪』という報告書で,2022年のカンボジア最大のフォーマルな産業である縫製業(93億ドル)の規模は,GDP(320億ドル)の約30%を占めるのに対し,インフォーマルな詐欺産業(scam industry)は125~190億ドルの規模で,GDPの39~59%に相当すると述べている。また,彼が行ったインタビューの回答者は,プリンスグループ(Prince Holding Group,2015年設立)会長のチェン・ジー(陳志:Chen Zhi)を含む28人は制裁を受けるべきだと主張したとしている(注1)。

 10月14日,アメリカ財務省外国資産管理局(OFAC)は,イギリス外務・英連邦・開発省(FCDO)との緊密な協調の下,プリンスグープを「越境犯罪組織(Transnational Criminal Organization,TCO)」に指定,プリンスグループ創業者のチェン・ジー会長を含む128社と18人に経済制裁を発動するなど,東南アジアのサイバー犯罪ネットワークを標的とした過去最大の措置を講じた。同グループは豚屠殺詐欺,マネーロンダリング(数十億ドルの違法資金洗浄),人身売買,強制労働,拷問,性的脅迫,腐敗,違法オンライン賭博,恐喝などを行い,被害者は主にアメリカ市民である。アメリカ政府の推計によれば,2024年のオンライン詐欺によるアメリカの損失は166億ドルを超え,うち,東南アジアを拠点とするものは少なくとも100億ドル(前年比66%増)である(注2)。

 チェン・ジーは1987年中国福建省生まれの37歳,その後,カンボジア国籍を取得し,さらに,バヌアツとキプロスの国籍も取得した。事業は不動産開発,金融サービス,消費者サービスを中心とする。不動産開発ではプノンペンの大型ショッピングモール「プリンスプラザ」を,金融サービスではプリンス銀行を運営している。チェン・ジーは国王から最高の称号「Neak Oknha」(ネアク・オクニャ)を授与され,フン・センとフン・マナエトという2代のカンボジア首相のアドバイザーを務めた。そのチェン・ジーは,経済制裁発動後行方をくらませている。これは,2019年にトリー・ピアプが木材の密輸出で,2024年にリー・ヨン・パット(上院議員)がオンライン詐欺に関連する人権侵害で,アメリカに制裁を受けた後も企業経営を続けていることと対照的で,チェン・ジーの国内基盤の脆弱さを示しているのかもしれない。

 OFACの措置の結果,制裁対象となった人物のアメリカ国内,または,アメリカ人が所有あるいは管理しているすべての財産および財産の利益は凍結され,OFACへの報告対象となる。また,直接・間接的に制裁対象の人物が一個人もしくは複数で50%以上所有している法人の資産も凍結される。さらに,制裁対象の個人および団体との特定の取引に従事する個人も,制裁措置の執行対象となる可能性がある。アメリカ国籍以外の個人が,アメリカ人に意図的または非意図的にアメリカの制裁に違反させたり,共謀してアメリカの制裁を回避する行為に従事することを禁じている(注3)。

 10月14日,ニューヨーク東部地区連邦検事局はチェン・ジーを,数十億ドル相当の仮想通貨を盗んだとして,ワイヤー詐欺とマネーロンダリングの罪で起訴し,彼とグループが保有している約12万7,271ビットコイン(当時の価値で約150億ドル相当)の没収を求める民事没収裁判を提起した。司法省によれば,プリンスグループはカンボジア国内に少なくとも10か所の詐欺拠点を持っており,働く者の大半は強制労働者である。

 イギリスはプリンスグループの1.33億ポンドを超える住宅,マンション,オフィスなどの資産を凍結した(注4)。

 これらに対して,カンボジア内務省のタッチ・ソカク報道官は,プリンスグループはカンボジアで事業を展開するためのすべての法的要件を満たしており,カンボジア政府自体はプリンスグループやチェン・ジーを不正行為で告発していないと強調した。しかし,他国とも協力すると語り,制裁について「米英が十分な証拠を有していることを望む」とも述べている(注5)。全体として,これまでの事例とは異なり,米英に協調的で,「トカゲのしっぽ切り」を狙っているのではないかと疑ってしまう。

 現時点で,ソー・ソカ(Sar Sokha)副首相兼内務大臣が,プリンスグループ傘下で,「詐欺団地」を所有・運営し,今回の制裁の対象となっているジンベイ・カジノ・グループの出資者の1人であり,チェン・ジーがかつてソー・ソカのアドバイザーだったことがわかっている。なお,ソー・ソカは父親ソー・ケーンから副首相と内務大臣を引き継いだ,近年,カンボジアに多い「世襲」政治家の1人であり,上記のジェイコブ・シムズの報告書でインタビュー回答者が制裁を受けるべき28人のうちの1人にあげた人物である(注6)。ソー・ケーンはカンボジア人民党内でフン・センのライバルと目された人物で,華人社会のリーダーである。チェン・ジーは華人人脈を利用しながら,短期で,のし上がっていったのだろう。

 9月18日,ジェファーソン・シュリーブ議員により,アメリカ下院に,主に東南アジアを対象とした「外国詐欺シンジケート解体法案(Dismantle Foreign Scam Syndicates Act)」が提出された。この目的は,「アメリカ人に対する大規模なオンライン詐欺活動を永続させている越境犯罪シンジケートを解体・閉鎖するための省庁間タスクフォースを設立すること」である。同法案は,制裁対象に,フン・トー(フン・セン前首相の甥で,2025年5月,取締役を務めるフイオン・グループ(Huione Group)をアメリカ財務省金融犯罪取締ネットワーク(FinCEN)が「主要なマネーロンダリング懸念対象団体」に指定),コック・アン(上院議員,2025年7月,タイの裁判所がオンライン詐欺やマネーロンダリングに関与したとして,逮捕状を発行済み),ネット・サブーン(副首相兼閣僚会議担当大臣[官房長官に相当],元警察庁長官,フン・セン前首相の姪の配偶者),チュー・ブンエン(Chou Bun Eng,内務省国務長官,人身売買対策国家委員会“National Committee for Counter Trafficking in persons, (NCCT)”常任副委員長)などと並んで,ソー・ソカをあげている。アメリカの法案は玉石混淆で,成立率は1割程度しかないが,カンボジア政府としては危機感を持っていることだろう(注7)。

 シンガポール金融管理局(MAS)も関連企業を調査中である。また,10月31日,シンガポール警察は,詐欺に関連して,プリンスグループの1.5億シンガポールドル相当の資産を押収した。同日,マレーシア警察はマレーシア人7人を全国指名手配リストに掲載した。

 10月20日,在カンボジアの韓国系銀行で,プリンスグループの資金が残っているはKB国民,全北(チョンブク),ウリィ,新韓(シンハン)の4行である。その残高は計912億ウォン(約97億円)で,15日,すべて凍結された。

 14日の経済制裁発動後,プリンス銀行では,大規模な取り付け騒動が発生した。複数の支店で,流動性が不足し,取引を停止する事態となった。これを受けて,カンボジア中央銀行(NBC)は,19日,緊急公示を出し,「銀行および金融機関に関する法律によりすべての顧客の利益と資産を保護するための『預金者保護措置』を施行し,無制限緊急流動性を供給する」と宣言した。これは事実上プリンス銀行に対する中央銀行の支払保証を宣言したものである。カンボジアはASEAN+3の中で預金保険制度がない数少ない国の1つであり,中央銀行の直接介入が市場の信頼を回復させる唯一の手段である(注8)。

[注]
  • (1)Jacob Sims,Policies and Patterns:State-Abetted Transnational Crime in Cambodia as Global Security Threat,Humanity Research Consultancy,May 2025,p.6 and 50.
  • (2)U.S.Department of the Treasury,U.S.and U.K. take largest action ever targeting cybercriminal networks in Southeast Asia,14 October 2025.
  • (3)Ibid.
  • (4)GOV・UK,UK and US take joint action to disrupt major online fraud network,14 October 2025.
  • (5)Guardian,17 October 2025.
  • (6)Jacob Sims,op.cit.,p.6,13 and 50.
  • (7)Congress.Gov,H.R.5490- Dismantle Foreign Scam Syndicates Act,18 September 2025.
  • (8)『毎日経済』2025年10月19日。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4073.html)

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