世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
トランプの大誤算:対中通商戦略の死角
(杏林大学 名誉教授)
2025.11.10
“TACO”と揶揄されるトランプ
関税を武器に他国にディール(取引)を仕掛けて譲歩を引き出すトランプ米大統領は,「史上最強の貿易交渉人」と自画自賛するが,中国に対してはどうも勝手が違うようだ。米メディアから「TACO」(Trump Always Chickens Out=トランプはいつも腰砕け)としばしば揶揄されるように,トランプの対中関税も腰砕けに終わるのか。
トランプは今年4月2日,国・地域別の相互関税の発動を表明した(その直後に発動を90日間延期,さらにその後,各国との交渉のため発動を8月1日まで延期)。中国への相互関税は当初34%,その後米中の報復の応酬で125%に引き上げられた。薬物対策で20%の追加関税がすでに発動,米国の対中関税は累計で145%になった。一方,中国の対米関税も米国の相互関税と同一税率を上乗せしたので125%になった。
米中は5月,この異常な状況を解消するため,スイスのジュネーブで貿易協議を行い,相互関税の廃止や停止,協議の継続などで合意,互いに関税を115%引き下げると発表した。また,7月にもスウェーデンのストックホルムで貿易協議を行い,関税発動の停止期限を90日間(11月10日まで)延長することで合意,「一時休戦」となった。この劇的な合意の裏で,一体,何が起きていたのか。
重要鉱物の中国支配,後の祭り
トランプ関税への対抗措置として4月に実施された中国によるレアアース(希土類)の輸出規制が,米国の自動車産業に壊滅的な打撃を与えるだけでなく,軍需を含む幅広い米先端産業にも甚大な影響を及ぼす可能性が高まった。このため,トランプ政権が中国に譲歩,規制の解除と引き替えに追加関税の大幅引き下げに応じたとみられる。
中国との交渉でトランプは戦術を誤った。中国の対米依存を突こうとしたトランプが,逆に米国の対中依存を突かれ,白旗を揚げた。もはや後の祭りか。トランプが中国に仕掛けた関税戦争で露呈したのは,重要鉱物のサプライチェーン(供給網)をめぐる中国支配だ。レアアースの生産は7割,精製は9割を中国が占めている。
中国は5月の米中合意でレアアースの輸出規制を緩和するとし,輸出量も回復傾向にあったが,それは糠喜びだった。中国政府によってレアアース管理強化の新規制が公布されたからだ。
中国商務省は10月9日,レアアースに関連する技術を輸出する際に中国政府の許可を得るよう義務付ける(発効は12月1日予定)など,規制を一段と強化した。今回の規制強化で,中国は防衛産業に対する輸出の原則禁止を打ち出した。中国のレアアースを0.1%以上含む外国製品の輸出にも「域外適用」されるので,米国は,戦闘機やミサイルなどの軍事兵器に必要なレアアースの調達が困難となり,防衛産業に大きな痛手となる。
トランプは10日,SNSで中国からの輸入品に対して11月1日から100%の追加関税を課すと表明した。中国によるレアアース関連の輸出規制への対抗措置であり,中国に対して撤回を迫った。
だが,そもそも中国がレアアース規制を強化した背景には,トランプ政権による禁輸措置の拡大がある。米政府は9月末,事実上の禁輸対象となる「エンティティリスト」のルールを改め,リストに掲載された企業の子会社(株式の50%以上)も禁輸対象に含めたが,影響が甚大で,中国側には到底受け入れられない措置だった。
中国,大豆輸入で「脱米国」
レアアースだけでなく,大豆もトランプを窮地に追い込んだ。トランプにとって,まさに「泣きっ面に蜂」。中国は米中の貿易戦争を見据えて,食糧安保の強化のため大豆輸入先の多角化を図っている。米国産の輸入が減る一方,ブラジル産の輸入が増え,輸入全体に占める比率は7割に達している。さらに,最近では大豆の調達網をアルゼンチンやウルグアイなどにも拡げるなど,大豆輸入の「脱米国」が加速している。
中国は今年5月以降,米国産大豆の輸入を中止した。米国の大豆の収穫期は9~11月だが,トランプ米大統領は10月14日,中国政府が米国産の大豆を「意図的に買わないのは敵対行為だ」と非難,対抗措置として中国からの食用油の輸入停止を検討していると表明した。
米大豆協会は8月,「買い手のない大豆」と題したレポートを発表,中国向け輸出の蒸発は米国の大豆農家にとって深刻な問題となった。米国の中西部の農村地帯はトランプの支持基盤であるため,中国が狙い撃ちしたとみられている。
中国政府は大豆輸入を交渉材料にする考えだ。中国に米国産大豆の輸入拡大を要求するトランプに対して,中国は関税を撤廃すれば輸入拡大に応じる可能性を示した。
中国がトランプに仕掛ける罠
米中貿易交渉の力学が大きく変わる中で,もはや中国は一筋縄では妥協してくれない。トランプは一体どうするつもりなのか。トランプの対中通商戦略は波乱含みだ。
韓国で開催されたAPEC首脳会議に合わせ,10月30日に米中首脳会談が行われた。トランプは米国への帰途,大統領専用機エアーフォースワンの機内で,習近平との首脳会談の成果について「10点満点中12点」と楽観的な見方を示したが,本当にそうだろうか。
今回の合意は,来年11月の米議会の中間選挙を睨んで,高関税や輸出規制の実施を「1年延期」したに過ぎない。米中の「火種」が先送りされた格好だが,トランプにとって中国の仕掛ける罠に嵌る危険な賭けだ。
米国政府は11月1日,米中の合意内容をまとめた「ファクトシート」を公表した。それによると,中国は,12月1日に発効予定だったレアアースの新たな輸出規制を1年延期,米国産大豆の購入再開も約束した。
それと引き換えに,米国は,中国によるレアアース規制強化への対抗措置として11月1日から発動するとしていた中国の輸入品に対する100%の追加関税を見送った。また,中国のレアアース規制強化の引き金となった禁輸措置対象を定める「エンティティリスト」の拡大(輸出管理50%ルール)も1年延期した。
事前の予想では,トランプが台湾問題と貿易でディールをするかもしれないとの懸念があったが,今回,なぜか台湾を議題にしなかった。
台湾有事に米軍がどう動くか明示せず不確実性を残し,中国に最悪の事態を想定させることで武力行使の抑止につなげる「戦略的曖昧さ」が,これまでの米国の台湾政策の基本だ。一方,中国は米国に対し,台湾独立について「支持しない(disagree)」から「反対する(against)」というより明確な表現に変えるよう要求している。
中国は今回合意した来年4月のトランプ訪中を,台湾問題でトランプから譲歩を引き出す絶好のチャンスと踏んでいる。このため,来年11月の中間選挙もにらみ,「休戦」によってレアアース規制や大豆購入の交渉カードを温存した。
中国が中間選挙を前にレアアースの規制強化や大豆の購入停止に踏み切れば,米国の労働者や農家から不満が噴出し,共和党離れが生じ選挙に大敗する恐れがある。それを避けるため,追い詰められたトランプが交渉の取引材料として台湾政策を巡る文言の修正に応じるかもしれない。そうなれば,中国の思う壺ではないか。トランプなら,「不支持」と「反対」に大差はないと言い出しそうだ。
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