世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4074
世界経済評論IMPACT No.4074

ベトナムと米国の貿易交渉合意の評価

池部 亮

(専修大学商学部 教授)

2025.11.10

トランプ関税の合意

 2025年7月2日,ベトナム政府は米国との貿易交渉で合意したことを発表した(注1)。合意内容は,ベトナムが対米輸入関税をすべて0%にし,米国の対ベトナム輸入には20%になる片務的な内容であった。とはいえ,そもそもトランプ関税の交渉は相手国に不利な内容を突きつけ,米国に有利な譲歩を引き出すことにあるから,どの国にとっても片務的なものにならざるを得ない。4月の相互関税発表時には,米国の対ベトナム関税は46%であり,今回の合意で半分以下の20%に引き下げることができたのである。これに加え,英国に次いでベトナムが早期の合意に達したことは,内外からその外交手腕に一定の評価を得た。ある意味,米国が赤字対象国として問題視する国の中で,最初の合意を取り付けたベトナムの20%は,交渉中の国々にとって,ある種の基準を提示したことにもなった。

 2024年の米国の対外貿易赤字額に占めるベトナムの割合は10%であり,中国の25%,メキシコの14%に次ぐ3番目の規模である。ベトナムが先に合意した20%という関税率は,その後,合意に達した日本(15%),インドネシア(19%),フィリピン(19%),EU(15%)と比較すると高い水準であるものの,外資系企業の生産拠点が他国へ移管する事態を引き起こすほどの関税差ではない。ベトナムの輸出の7割以上を占める外資系企業の生産拠点が他国へと逃げだすことがないようにすることがベトナムの最大の目標であったであろうから,今回の合意はその点において,合格点であったと評価できよう。

 2001年に発効した米越通商協定以降,米国はベトナムをWTOによる自由貿易体制,そしてTPPへと積極的に招き入れてきた。しかし,近年はベトナムの対米貿易黒字が年を追うごとに拡大し,米中貿易摩擦による貿易転換効果も相まって,ベトナムの対米黒字額の急増が続いている。こうした状況を捉え,トランプ米大統領(1期目)は,「ベトナムは貿易の最大の悪用者」と強く非難し(注2),2020年末にはベトナムを為替操作国に認定するなど,米国はベトナムの自由貿易を促す「伴走者」としての立場から,貿易摩擦の当事者へと変わったのである。

 では,今後,米側がベトナム産輸入に対し20%の関税を発動し,ベトナムが対米関税を撤廃した場合,どのような影響があるだろうか。前提としては,東南アジア諸国も最低水準がフィリピンやインドネシアの19%で,その他の国もおよそ20%以上の関税率で米国と合意した場合である。既述の通り,ベトナムから生産拠点の他国への移転(生産立地の転換)が起こる可能性は高くないと考えられる。既存サプライチェーンを変更し,他国に新工場を建設するのに必要な多額の初期投資を実施すること自体が,不確実性高まる通商環境下ではリスクとなるからである。また,他国との関税差が小さければ総合的な事業環境でみると,依然としてベトナムに優位性があると考えていいだろう。ただし,米国での最終財価格が上昇することになると,売れ行きには影響があるのは確かである。輸出加工拠点となるベトナムの加工賃への引き下げ圧力は強まる可能性はある。一方,為替相場でベトナム通貨ドンがドルに対して下落傾向にあるのも事実であり,2025年11月7日時点で前年同日比3.4%のドン安水準となっている(注3)。仮にドン安基調が続くのであれば,輸出売上がドルである以上,現地生産コストは下方耐性を持つともいえる。

 さて,最後に今回のベトナムの対米輸入関税撤廃措置をどう評価するかである。ベトナム統計総局によると,ベトナム財政収入に占める関税収入は,2000年に21%を占めたものの,2023年には12%にまで低下した。FTAなど自由貿易を進め,輸出加工の一大生産拠点(輸出品生産のための輸入原料や部品には関税がかからない)となったベトナムは近年急速に関税収入への依存を減らしてきたのである。

 対米関税について,WTOウェブサイトの“Bilateral trade relations”で確認すると,ベトナムの2022年の対米輸入に対する実効関税率は全品目ベースで2.9%,農業製品で4.8%,非農業製品で2.2%であった(注4)。ベトナムは農業国でもあり,国内産業保護の観点は農業製品の4.8%が撤廃されると影響は無視できない。とはいえ,対米関税を現行の2.9%から0%にすることはそれほど困難ではなさそうである。そして,非農業製品(工業製品)は実効関税率がもともと低水準ということだけでなく,「輸出品生産のための原材料・部品輸入の関税免税措置(いわゆるDuty Drawback Scheme)」があるので,対米輸入で23%を占め最大の品目となる集積回路は,元々無税で輸入されている。金額ベースで2番目の品目となるスマートフォン(最終財)もMFN税率は0%であるし,3番目の品目となる綿もMFN税率は0%である。こうしたことを鑑みて,ベトナムの対米関税交渉の今回の合意は合格点であったと評価できるのである。

[注]
  • (1)JETROビジネス短信,2025年7月3日付。
  • (2)IDE-JETRO『アジア動向年報2020年』。
  • (3)通貨換算及び送金サイトの『Xe』ウェブサイトより(https://www.xe.com/ja/)。
  • (4)WTO “Bilateral trade relations”によると,タイの対米MFN実効税率は5%,インドネシアは4%,フィリピンは3.3%,カンボジアは7.1%であり,ベトナムは相対的にも対米関税が低率であった。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4074.html)

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