世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
指令型システムが現代産業政策を阻害する
(国際貿易投資研究所 客員研究員)
2024.03.25
面的拡大後の彼岸に
スエズ運河の開通は自由貿易推進の象徴的事業であったが,フーシ派の攻撃によって紅海の航行に支障を来している。ウクライナ,イスラエル,中東地域の紛争拡大の懸念が高まっている。経済史家は1830年代から40年代の自由主義的改革と,1870年代に至るイギリス「世界の工場」としての自由貿易が,世界経済を発展させたと定説化している。また,自由貿易論はグローバル化のキーワードである一方で,植民政策=政治的直接支配のコスト削減の一環としても重要な概念である。渡辺利夫説(「文明之虚説」月刊『Voice』連載)によると,西欧の植民政策や台湾統治には多額のコストを要したようである。加えて,経済活動の広域化は奴隷解放にも弾みをつけた。ヒックスによれば奴隷解放は人道的動機というよりは,自由労働者への転換の方が経済的合理性が高かったためである。ウォーラースティンはこれらの世界史を「世界帝国」から「世界経済」への転換として総括した。
地域紛争や戦争は結局,地理的・面的な拡大しか自己目的化できないのではないか。領土拡大を達成するためのコストは膨大なものにならざるを得ない。しかし,それでもこれを行わなければならないのは,それなりの理由があってのことだ。おそらく時代錯誤の政治感覚が現代産業を生み出し,社会的に機能させることが出来ないためであろう。これが根本的要因である。そして,戦闘の長期化は従来の社会組織の破壊的改編を伴い,また戦時経済化の道を歩まざるを得なくなり,益々平時転換が難しくなる。建造物の物理的破壊は進んでも,軍需関連産業が強化され,GDP統計では一応成長する。ユーゴ内戦は1991年から2001年と10年間も継続し,ユーゴスラビアは9カ国(地域)に分裂した。この度のウクライナ戦争は「朝鮮戦争とは違って休戦協定が出来ないのではないか」と見られている。つまり,戦争が常態化するのではないかというロシア専門家の観測である。唯々,領土の拡張が戦争の論理であり,そこには政治的経済的合理性があるとは思えない。産業政策のない面的拡大主義は北朝鮮のような「先軍政治」という硬直化した政治システムを強化し,ユーラシア大陸を舞台に負の連鎖を生み出そうとしている。
これに対して,いつの時代でも人々は人道主義に基づいて「市民と非戦闘員」への戦闘・攻撃を非難している。翻って,国民国家における国民の地位というものはどういうものだったのか。おそらく国家・国民の概念化において,戦闘員と非戦闘員の区別はある局面にだけ存在する便宜上の概念なのだろう。特に近代戦においては総力戦の論理は常にビルトインされており,また社会構造は分業体制を構成している訳だから,成果も犠牲も表裏一体の運命共同体として抱えなければならない。それ故,国家諸悪説も流布するのだが,近代国家による戦時破壊や死者・犠牲者の比率は共同体的伝統社会の比率よりは,相対的に低いという「ビッグヒストリー論」の研究すらある。国家はそれ程悪人ではないようである。
技術革新の組織性
これまでの我が国の「武器輸出」原則を見直そうという動きが活発化している。第三国や部品として輸出すれば問題はないという論理でもある。法概念は「玉ねぎの皮むき」のような所があり,どこまで行っても芯は見えない。たしかに,現代産業の国際的水平分業論,産業内分業論=サプライチェーンの構築・拡張論からすれば,自由貿易主義にも抵触することはない。そして,技術開発は本来的に人道性の問題とは別物であり,人類の旺盛な知的活動と生産力向上・省力化の一環でしかない。人類の知性は他の動物とは異なって矛盾した構造を特性としている。そのため価値判断論争は尽きないものがあるが,技術開発は人道的であるか無いかとは無縁な普遍的行為である。開発は非合目的的性,非計画性,反合理的歴史主義をも伴いつつ展開するから,反戦平和主義・市民活動による「良心的批判」は時として裏切られる。知的好奇心と欲望,実用性と効率化等々,多元的解釈を技術開発論に導入すれば我々人類の諸活動が如何なるものか,がむしろ明らかになる。
戦時統制経済や科学技術の軍事科学化を理解する場合,科学技術開発は社会構造への影響も大であるから,政治性や組織性の観点も無視することは出来ない。しかし,これはいわゆる「真理の探究」という科学の本性とも深く関わって議論は錯綜する。「科学が人間生活の向上に役立たなければならない」とか,「平和に寄与すべきだ」といっても,本源的に科学と技術は人間の都合ばかりを聞いてくれない。
開発データの構造
情報体系はいわゆる「木構造(データ構造)」として整理される。つまり,ツリー状の「ノード(節点/頂点)」と「ニューロン&エッジ(枝/辺)」の構造から成っており,それぞれの階層が分岐している。「OSとアプリケーション」,「シーズと応用」の領域は複雑に交差している。開放系情報伝達機能=「ネットワーク構造」を創り出すためには,異業種・異分野との交流・結合・融合と特定権威の打破が前提条件ともなる。創造的で先端的開発はカオス的情報大群の中からしか生まれないからである。ネットワーク型組織原理によらない指令型・中央集中の技術開発は非効率・制限的になってしまう。さらに,ネットワーク型=技術革新を促進するためには,多くの周辺社会組織的制約を開放しなければならないが,他方で「情報開示・公開による社会的混乱」も視野に入れなければならないから厄介である。社会組織のバリアが存在している状況下ではそれが阻害される。それでも結構だという論理ももちろんあり得るが。
社会混乱が頂点に達すると,治安悪化や紛争問題が表面化するが,非軍事と軍事の領域は技術論として明確に分離できるものだろうか? むしろこの問題は技術開発の末端部分に位置付けられるものであり,学問とか科学技術論というよりも行政(組織)部門に係る領域ではないか。「学問の自由」とか「民主的な科学」といった場合,情報開発マトリックスのどこを議論しているのか。これは必ずしも明確になっていない。否,明確化させずに議論しているのではないか,と訝る時が多い。従って,これらの領域は科学論ではなく,政治判断として議論すべきである。
まとめとして,政治体制論の問題としての民主主義論を考えてみたい。中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国は国名としては,いずれも共和国であり民主主義国家である。しかし,これらの政体は戦時過程で成立した国家であり,経済システムも戦時経済の流れの中で形成されている。そのため技術開発や産業政策の組織性という観点から見ても柔軟性は損なわれ,生産第一主義による量的拡大を自己目的化する傾向が根強い。市場の選択という自由な資源配分の合理的機能には遠く及ばない。強権国家ロシアやグローバル・サウスのジレンマもこの辺にあるのではないか。
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末永 茂
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