世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3310
世界経済評論IMPACT No.3310

欧州農業危機 過剰,競争,貧困,地球環境 焦点はどこか:環境政策,ウクライナ戦争,EU共通農業政策の破綻

瀬藤澄彦

(国際貿易投資研究所(ITI)客員 研究員・元帝京大学経済学部大学院 教授)

2024.02.26

 ジスカール・デスタン(Giscard d’Estaing)元大統領はかつて「農業はフランスの緑の石油である」と名言を吐いた。農業大国と呼ばれるフランス。米国に次ぎ世界第2位の農産物加工食品の輸出国。海洋性・大陸性・地中海性の3つの気候に恵まれ,牧草飼育,穀物栽培,果樹栽培・園芸栽培などほとんどすべての農産品を産出する。戦前の対外依存からいち早く,野菜,果物以外ではすべての品目で100%以上の自給体制を整えた。近代化,欧州共通農業政策,WTO協定,中東欧諸国のEU加入,反グローバリズム,環境問題など農業を取りまく環境は大きく変化した。今や食料の自給は大きなイシューではなく,食の安全,環境などが重要課題となってきた。他方,増税,燃料高騰,安価な農作物の輸入や小売業者からの値下げ要求などによる生活苦を訴える仏,独,伊など欧州主要国の農業従事者がトラクター数百台を高速道路でエスカルゴ式デモ行進させる異様な光景は,農業を取り巻く問題が新たな段階に差し掛かってきたことを示している。そうでなくても,農業問題は言わば経済政策と経済学のアキレス腱であると昔から言われてきた。

 現下の農業問題の異常事態をどう解釈するのか。一般論として先進国においては食料需要に対して生産性の上昇にともなう過剰生産と農業従事者の相対的貧困が発生する。途上国等では等比級数的に増える人口増に伴う食料需要に供給が追い付かず食料問題が発生する。これは19世紀のリカードとマルサスが,また日本では長い間,速水裕次郎と大川一司の経済発展論の論争であったことを忘れてはならない。これはのちに米国のシカゴ学派のT. Wシュルツが他の産業の停滞を代償として不均衡発展(unbalanced growth)する経済成長論を唱えて世界農業の危機と矛盾を経済発展段階格差という観点から説明したところであった。過剰が不足と隣り合わせという基本的シェーマは大きく変わっていない。その矛盾から抜け出そうとグローバル化のなかで農業の近代化が進められた。本稿ではEU農業の主要問題点の焦点を列挙する。

 日本では農産物の自給率はカロリー・ベースと生産・消費ベースで算出されているが,この自給率の考え方については,最近では食料の安全保障という言い方が1996年のローマ世界食料サミット以来,国際的なコンセンサスになっている。食料の安全保障は,「すべての人がいかなる時でも十分に,安全で栄養のある食料を各人の生活する上でその必要性を満足させるために調達する可能性があるときに存在する」と定義される。食料の安全保障は通常,次の4つの次元を包含する。①食料アクセス:自己の食料を生産し,その手段を有し,食料を購入する十分な購買力を持っている,②食料の調達可能性:国内生産・輸入・在庫を通じて十分な食料の量が確保されている,③食料の質:栄養,衛生の管理が行き届いている,④安定:食料へのアクセスが可能で購買力価格が妥当である。最近では食料安全保障の考え方は,さらに,⑤環境保護,⑥持続ある経済成長,と密接に関連するものと認識されるようになってきた。食料を自給率だけで議論しようとする時代は終わった。

 さて外的なショックから,フランスをはじめとする西欧主要国において「マクロ経済面で耐性力を与える」と評価されてきた食料安保に黄色信号が灯った。マクロン大統領は農業従事者の所得向上のため「食料総合会議」を設置,2017年以降,エガリム(Egalim)法(食料・農業・農村基本法)を制定し,農業部門と流通業界の合理化,価格適正化などを推進してきた。実際,ここ20年でフランスの農産物輸出は世界第2位から第5位に低下,630億ユーロの輸入は2000年の2.2倍に増大。ウクライナ戦争の影響で「食料安保」にかわり「食料主権」という考えが急浮上。しかし,農産物すべての国内調達を目指す「食料主権」は,購買力低下と価格上昇のため時宜を得ておらず外国農産物に国内市場は蚕食され始めた。深刻なのは一日1人以上,年間約400人と言う窮乏する農業従事者の間に急増する自殺の実態が大きくクローズアップされたことだ。有機農業も市場が低迷しはじめた。市場シェアが70%に後退したのは,外国の農業生産国に敗北したためとされる。環境保護政策は,農業経営規模平均が小さい農業従事者の負担を耐えがたいものにした。全要素生産性の向上も一気には進まない。こうした中,政府の諮問機関は①2028年成長目標とフランス農業競争力計画を推進する専門有識者会議の立上げ,②農産物加工部門の支援,③環境イノベーション推進,④EU規格の振興,⑤乾燥,酷暑,火災対策,⑥労働力不足対策など24の提言をまとめた。21年にはさらにパパン法(注1)が農業者所得改善のために多年度契約も提起した。

 鳴り物入りのEUの「グリーン・ディール」計画とディーゼル課税引上げや多くの生態環境政策に対してオランダ,ルーマニア,ポーランド,ドイツ,フランスの農業従事者が反対行動に出た。背景にさらにインフレとウクライからの輸入がある。このようにEU各国の農村が揺れている。EU当局は2018~19年のレジョーヌ運動や極右の台頭につながっていくのではないかと懸念する。ディーゼル燃料税,ウクライナ産品輸入,殺虫剤縮小,窒素と温室温暖化ガス排出の制限,生物多様性のための休耕地促進,などが農業経営を急速に圧迫させている。FNSEA(全国農業生産者連合)やそのEUの農業生産・組合共同のロビー団体(COPA-Cogeca)らは,欧州環境協約やグリーン・ディール計画を批判する。生態環境保護と殺虫剤使用の制限通じてバイオと多様性保護を推進するものである。グリーン・ディールが気候変動と環境保護の点で推進されても農業部門では大きな問題を起こすようになった。さらに中南米共同市場(MERCOSUR)との自由貿易協定によって農業保護政策にあったEU農産物は中南米農産物との間に貿易転換効果というマイナスの影響が強く懸念されるようになった。

 最後に次の2点の競争優位にある事実を忘れてはならない。第1に貿易面では農産物は一貫して大幅な黒字を続け,2000年代に入って継続するようになり経常収支の赤字拡大に歯止めをかけていた。第2に農業人口が4%弱という数字からだけで判断して農業の経済的インパクトを過小評価してはならない。アグリビジネスと呼ばれる農業生産から加工・貯蔵・輸送を経て小売りに至る世界の農産物加工食品産業のグローバル価値連鎖の特徴は,ほとんどあらゆる段階で集中化が進行している点である。エルフ・アキテーヌ,ダノン,ソデクサなどのフランスの農産物加工食品部門の巨大な多国籍企業や,ネスレなどに代表される外資系巨大企業の市場支配力など食品加工の上流と下流部門を含めると,実はフランス経済に占める広義の農業の比重は格段に大きくなることを忘れてはならない。第1次産業から第2次産業,そして第3次サービス産業まで巻き込んだ巨大なこの総合産業の流れは,フランスでは「農産物加工食品サービス産業・モデル」(MALT:modèle alimentaire agro-industriel tertiarisé)とも呼ばれている。平均的なひとつの食品の価格構造は,原材料20%,加工30%,サービス50%という具合に第3次産業における比重が一段と高まっている。この価格構造に対応する動きは,集約化,特化,グローバル化,金融化である。自動車産業の規模も上回るといわれるこのアグリビジネスの現状はフランスが農業大国であることを示すものである。

[注]
  • (1)2021年3月に,仏食品小売り大手の前CEOであるセルジュ・パパン氏が2018年に制定されたEgalim法の改善提案をし,同年10月に制定されたEgalim2法の通称
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3310.html)

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