世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2149
世界経済評論IMPACT No.2149

密入国か,亡命か,国防安全の落し穴:福建石獅市から来た招かれざる訪問者

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2021.05.17

招かれざる訪問者の入陸

 4月30日夜11時ごろ,台湾・台中港の港務局の従業員・林氏が,西埠頭内に不審者を発見した。不審者は空腹と渇水状態を示し,台湾の通貨を持っていないため,林は近くのコンビニエンスストアから自払いで弁当と飲料水を買い与えた。この周と名乗る33歳の男曰く,当日朝10時半に福建省石獅市からゴムボートに乗り,11時間かけて夜9時半に台中港に到着した。林は上司黄氏に報告し,近くの海巡署(海上警備機関)に連絡した。

 駆け込んで来た海巡署の担当者に対し,周は大きな声で「自由を求めて,台湾に亡命した」と言う。そのあとの調査で分かったことは,周は中国では無職で,台湾に来て一旗揚げたかったという。マスクを付け,新型コロナの検疫と14日間の隔離のため,5月1日に海巡署から台中留置所に移送された。来台の6日後に周は33歳の誕生日を迎えた。

 福建省石獅市から台中港まで直線距離は185キロである。方向設定にスマートフォン2本を持参し,GPS(全地球測位システム)や中国版GPSの北斗衛星導航系統で進む方向を設定し,羅針盤を一つ携行した。軍用規格のホルス(Horus)ゴムボートとエンジンは,淘宝網(タオバオワン)ネットショップから1万600人民元(約16万9600円)をかけて購入したという。35リットル燃料タンク3本,25リットル燃料タンク1本の計130リットルを搭載し,石獅市から11時間の航海で35リットルの燃料を使って,夜の9時半ごろに台中港に到着した。途中,台湾の海軍と海巡署から発見されていない。

 翌日以降,この招かれざる訪問客の到来で,国防安全関係の隙を巡る大きな論議が引き起こった。周の行動などにいくつかの疑問点が浮かんできた。最も大きな懸念は,このゴムボートが台湾の海軍や海巡署のレーダー探知機を通り抜けて,容赦なく堂々と台湾に「上陸」したことである。

 台湾の海軍司令部参謀長蒋正國は立法院(国会)外交及び国防委員会で,「海軍のレーダー探知機では,海上で小型ゴムボートの航行を発見しにくい。海巡署のレーダー探知機でなら探知されるかもしれない」と証言した。国防安全の大きな課題をもたらしている。

 事実は,他人事の話に留まらない。過去,北朝鮮は,小型潜水艦やボートで密かに日本に上陸し,日本人を拉致して日本語教師として北朝鮮諜報員の語学養成に使っている。その時期,日本の関係部署も事前に防ぐことができなかった。仮にこれと同じ手法を使い,ゴムボートで尖閣諸島に上陸し,五星旗を立てて,ここは自国の領土だと宣言した場合,海上自衛隊や海上保安庁は事前にレーダー探知機で探知することができるのか。同じく,ゴムボートで沖縄や九州に密入国する場合,探知することができるのか。現に覚醒剤や拳銃の密輸入のニュースがたまに報道されるが,逮捕されていないケースの存在も無視できない。国防安全の一環としてこの事件に注目し,日本の当局も対策を講じることが必要であろう。

密入国者に関する論議

 その後,台湾の各界で次のような論議があった。

 まず,前海軍軍官教官の呂氏によるフェイスブックでの指摘である。氏は軍事規格のゴムボートで台湾海峡を渡るのは可能であるが,時期,ナビゲーション,海象観測を総合して見ると,なぜこんなことができるのか疑問視している。事前に簡略な気象予報から海象観測ができるものの,広々と果てしない大海をいかにして航海するのか。結論として,「多くの偶然が重なっており,これは絶対に偶然でない」と主張し,以下の数点を提起した。

 (1)石獅市と台中港の当時の気象庁測定ステーション,金門島料羅港の南方海域の約4キロに金門データ浮標(航路標識の一種。海面に浮かべて暗礁や投錨地などを示す)と台中港データ浮標から実測した風力と浪の高さから,周氏が出発時の浪の高さは約40センチから20センチと緩やかである。風力は3級から2級に転じた時期であり,台中港の上陸時の風力と浪の高さも同じである。しかし,海象観測のデータと「現場の海象」を,事前の大まかな気象から如何に知ることができるのか。広々と果てしない大海で,いかに羅針盤とスマートフォンでGPSや北斗衛星導航系統を持ってしても位置を決めるのは容易ではない。

 (2)福建省では「八閩健康碼」(防疫用アプリケーション)を使って,中国の海岸に入ることが必要である。約42キロのゴムボートを持参するのを,「誰からも注目されないのか?」。

 次にこの密入国は次のいくつかの疑問点があると指摘された。

 (1)仮に中国の情報員や密入国者の場合,台湾に上陸したあとどこかに隠れるハズである。台湾に密入国の場合,福建省の闇市で人民元から台湾元に両替し,台中港で上陸したあと,自からがコンビニエンスストアで何かを購入して空腹を満たすであろう。仮に現金を持っていない場合,密入国者はインスタント麺(カップ麺)や乾燥食品を携帯する。なぜ港務局の従業員に食べ物をもらうのか,これは「意図的な自首の行為」を意味する。あるいは意図的に人々に発見させ,台湾の海軍や海巡署に君たちのレーダー探知機は無効であると,警告しているようにも見える。あるいは解放軍は大量なゴムボートで台湾に侵攻し上陸するという脅かしとも見られる。要するに,台湾の国防安全の隙を突くことが考えられる。

 (2)周氏の体格や皮膚の日焼けの程度を見ると,漁民ではないと見られる。特に,台湾の海巡署の担当者と会ったときに,大きな声でしっかりと「自由を求めて,台湾に亡命した」と言った。解放軍で軍事訓練を受けたような口調であり,あるいは解放軍関係者の様子かと疑わしい。

 亡命を望む場合,石獅市の南側の金門島(福建省アモイから約2.1キロの台湾軍が実効支配する島)や北側の馬祖島(閩江,連江と羅源湾に近く中国から約9.25キロの台湾軍が実効支配の島)に,亡命した方が遥かに近い。しかも生命のリスクを冒して荒波が高い台湾海峡を渡るのは,不確実性が非常に高く,その必要がない。周氏は内陸部四川省の出身であり,海とは遠く離れている。エンジン付きゴムボートの操作に慣れないと,荒波の台湾海峡で直線185キロの距離をゴムボートで操作するのは決して容易ではない。

 周氏の動機は単純ではないだろう。単に密入国者だけでなく,その他の目的があると考えるのが当然であろう。密入国者の動機について,単に海巡署の調査だけでなく,国家安全保障の見地から徹底的に調査する必要がある。今回,海上防衛の点から見ると確かに欠点があるものの,その経緯から貴重な情報を得ることができる。海軍のレーダー探知機からゴムボートの探知ができないと証明されたので,その他の方策を講じることは必要であろう。

 (3)燃料は約95リットル残っている。一説では小型モーターでさえも1時間の航海に5リットルの燃料油を使うという。今回のゴムボートのエンジンモーターの容量は分からないが,11時間の航海には55リットルの燃料油を消耗する。あるいは周氏の協力者が船舶を使って,海峡の半分ぐらいまで送り,ゴムボートで残り半分の航海を渡り,台湾の海岸警備の隙を探っている。将来,解放軍による台湾侵入の場合,この方式のテストの可能性を排除することができない。

 この約40キロのゴムボートを中国の岸辺に持ち出し,それに燃料油,水などを用意するのに,中国の海岸防衛隊などの部署は気が付かないのか。今回の密入国者は午前中の9時ごろに石獅市から出発したという。理屈から言えば,密入国者の出発は夜の方が理にかなっている。今回は朝の9時に約40キロのゴムボートと燃料油などの重装備のため,誰かに発見されなかったのか疑わしい。

 (4)解放軍が台湾海峡を渡り台湾進攻に適するのは,1年12カ月のうち1カ月を超えない。現在は最も良い時期であり,風や浪が比較的に安定している。夏は台風があり,東北季節風は10月以降から翌年の3月に続き,台湾海峡で最も良い時期は4月から5月の数日間である。あるいは何時から出発し,何時に上陸できるのか。あるいはどの港や海岸線の防衛が緩やかであるかを探索する意図も排除できない。

 (5)現在は新型コロナが蔓延しているので,中国から台湾への団体観光を停止しているが,過去中国の台湾団体旅行の参加者が途中に逃げ出し,「行く先不明者」事件が多く発生している(その多くは台湾での不法就労)。この手を使えば,簡単に台湾に逃げ出すことができるのに,わざわざこのリスクを冒す目的に疑念が集中している。

 続いて,5月4日朝4時50分ごろ濃い霧のなか,金門島三獅山付近に一艘のゴムボートが接近し,上陸した。海巡署の岸に設置したレーダー探知機と赤外線カメラから探知し,確保した。密入国者はアモイ大嶝島から無動力ゴムボートで5時間かけて来た。「金門島に来たい」がその理由である。新型コロナの検疫後,14日の隔離後に「出入国及び移民法」と「国家安全法」に基づいて,詳細な調査を行う。同じく,解放軍による台湾の国防安全の隙を探る狙いがあると,関係者は見ている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2149.html)

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