世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.785
世界経済評論IMPACT No.785

インドにおける高額紙幣廃止の波紋

小島 眞

(拓殖大学 教授)

2017.01.23

 インド政府は,昨年11月8日,モディ首相の突如の声明を通じて,その日の深夜零時をもって,それまで通用していた500ルピー(1ルピー=約1.6円)と1000ルピーの高額紙幣は使用禁止にするとの措置を発表した。インドでは1ルピーから1000ルピーまで8種類の紙幣が発行されているが,このうち500ルピーと1000ルピーの高額紙幣だけで発行紙幣額の86%を占めており,旧紙幣廃止の持つ影響の大きさは実に甚大なものがある。旧紙幣は,12月30日までの期間付きで,銀行に他の法定貨幣に交換してもらえるが,500ルピーと2000ルピーの新紙幣の印刷が大幅に遅れているため,銀行では一定額しか換金してもらえず,大多数の人々は極端な現金不足を強いられ,日常生活において多大な不便を強いられている状況となった。そのため国民会議派など野党勢力は,高額紙幣廃止は暴挙であるとして,政府批判を強める結果になっている。

 今回の高額紙幣の廃止の狙いは,不正資金の根絶にあるとされている。インドでは課税逃れのための公的な記録に残らない「地下経済」はGDPの2~4割に及んでいる。高額紙幣の所有者は,不正に富を蓄積した資産家に集中している。不動産取引の場合,その多くは帳簿外の現金取引でされ,また政治献金の場合も,その大部分は記録に残らない現金でなされている。高額紙幣は多くの不正取引に使用され,退蔵された形になっている。そうした点にメスを入れようというのが,今回の高額紙幣廃止という措置であったわけである。そのため今回の措置に対しては,数時間も換金のために銀行で長蛇の列で待たされるという不自由な思いを強いられながらも,一般庶民の間ではかなり肯定的に受け止められ,しばらく様子を見ようという動きが強いようである。野党陣営の間でも,ビハール州のニティシュ・クマール首相,アンドラ・プラデーシュ州のチャンドラバブ・ナイドゥ首相のように,今回の措置を好意的に受け止めている有力な政治家も存在している。実際,私蔵していた高額紙幣を銀行に持ち込み,新たに預金するというケースが急増し,銀行の預金額が短期間のうちに10兆ルピーも増加するという結果になり,「地下経済」の一掃にそれなりの効果をもたらしていることは否定できないようである。

 また何故,この時期のタイミングで実施されたかという理由については,次の2つが考えられる。その一つは,昨年8月に画期的な「物品・サービス税(GST)」導入のための憲法改正が実現し,今年4月からの実施が予定されていることと関連している。GSTとは,中央・州の錯綜した間接税の一本化を目指したもので,これによってインド国内の共通市場が実現し,さらには税基盤の拡大と納税順守につながることが期待されている。GST導入のための地ならしとして,今回,高額紙幣廃止という措置を通じて,少しでも「地下経済」の一掃を図ることができれば,GST導入のインド経済に与える効果はより大きなものになるという期待が政府側にあったためと思われる。

 もう一つは,インドでは今年2~3月に人口2億を超えるウッタル・プラデーシュ州など5州で州議会選挙が予定されており,それに先手を打って選挙戦を有利に進めようとの思惑が作用したためと思われる。インドの政党の収入は,その多くは出所不明の個人献金が多く,汚職の温床になっている。今回,高額紙幣の廃止という措置は,各政党の資金源に大きな打撃を与えることになる。そのため選挙においてカネが幅を利かすという現象を断ち切り,自らのリーダーシップで州議会選挙を有利に展開させようという狙いがあったものと思われる。

 インドでは全商取引の8割が現金決済でなされており,今回の高額紙幣廃止の措置に伴い,最も大きな影響を受けているのが食料や日用品に係る小売りや流通部門である。そのためアジア開発銀行の予測によれば,2016年度のインドの経済成長率は当初見込みの7.4%から7.0%に引き下げられている。もっとも,2月末までには新紙幣も十分供給されるということであり,その後は混乱も次第に収まる見込みである。また結果的に,今回の現金不足という状況下でデジタル決済が活況を呈し,インド経済のキャッスレス化に拍車を掛けることになった。実際,一日当たり決済件数はモバイル決済では630万件,カード決済では160万件という具合に,いずれも4倍に増大したとされている。いずれにせよ,今回の高額紙幣廃止という措置がインド経済にプラスに作用するかどうか,ひとえに汚職撲滅に向けてのインド政府の取り組み如何にかかっているといえよう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article785.html)

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