世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
信頼関係を損ねる米国の一方的な対印経済外交
(拓殖大学 名誉教授)
2025.08.18
法外で懲罰的な対印トランプ関税
今年4月2日,トランプ政権は対米貿易黒字を計上している59カ国・地域を対象に基本税率10%を上回る相互関税の適用を発表し,世界を震撼させた。インドには26%の関税を適用するとしたが,その執行は8月1日まで延期された。その間,各国・地域との個別交渉を行い,イギリス10%,EU15%以下,日本・韓国には15%を適用するなど4月2日当時に発表された税率を下回る新たな関税を付すことで合意された。
今年2月,モディ首相が訪米した際のトランプ大統領との首脳会談において,米印間の二国間貿易協定を年内に締結することが合意され,そのための第2回交渉が今年8月25日に予定されていた。その矢先の7月30日,突如としてトランプ政権はインドに対して,ベトナム20%,インドネシア19%など他のアジア新興国を上回る25%の追加関税を賦課するとの声明を出し,インド側に衝撃を与えた。それまでトランプ大統領は対米黒字国のインドの不公正貿易(高関税)に不満を示していたものの,基本的に好意的な姿勢で臨んでいた。しかしここに来て一転してインドに矛先を向けるようになった。これは,8月15日のプーチン大統領との会談を控えてのディール外交の一側面であるにせよ,インドがロシアから大量の原油を輸入していることへの懲罰的意味合いからである。翌7月31日には,インドとロシアを一緒くたにして,両国はいずれも「死んだ経済」であるとの扇動的な言動をTruth Social, Donald Trumpに載せるに至っている。
さらに追い打ちをかけるように,8月6日には先の25%に上乗せで25%追加関税が発表された。交渉の余地が残されるものの,これで合計50%の高関税が8月27日より適用されることになった。50%もの法外な関税が適用されるもう一つの国はブラジルである。ブラジルに対しては,大統領選挙での敗北に伴い,ブラジル議会襲撃を扇動したという廉でボルソナロ前大統領が起訴されたことへの制裁として,7月30日に40%の追加関税が賦課されることになったという経緯がある。
一方,経済,軍事の両面で米国と対抗する専制国家の中国に対しては145%の関税が8月13日より適用されることになっていたものの,直前になって上記の関税適用措置は90日間延長されることになった。そのため延長期間中,対中関税率は,基本税率10%,フェンタニル関連関税20%の計30%にとどまり,インド,ブラジル両国に対する関税率を下回ることになる。
アップルのインドでの生産拡大に難色を示すトランプ政権
エレクトロクス産業の台頭はインド経済にとっての長年の悲願でもあった。近年,生産連動型インセンティブ(PLI)スキームなど産業助成策の導入も手伝って,インドのエレクトロニクス産業は急速な拡大を示しつつある。実際,iPhoneの世界生産に占めるインドのシェアは昨年は18%をマークし,さらに今年は32%に拡大することが見込まれている。iPhone生産は長らく中国一極集中の状況にであったが,コロナ過での上海のロックダウン,さらには米中対立に伴う地政学的リスクを背景にして,アップルはインドでの生産を重視するようになった。
目下,米国はスマホの出荷全体の3分の1を占めており,来年末までには米国に出荷されるスマホの大半はインドで生産されたものと見込まれているが,こうした動きに水を差すものとして,インド側が強く警戒しているのが,米国での製造業の復権を目指すトランプ大統領の言動である。実際,今年5月には,アップルに対して米国での生産拡大を強く迫りつつ,インドでの生産拡大には反対の意向を表明している。
こうしたトランプ大統領の意向を汲んで,米国での生産コストはインドに比べて数倍高くなると指摘されているにもかかわらず,アップルは今年2月に発表した5000億ドルに加えて,今年8月には1000億ドルの追加投資を発表し,米国での生産強化に向けて今後4年間で合計6000億ドルを投入するとしており,インド政府としては大いに気をもむところである。
インドの拠り所は戦略的自律
印米関係は2008年に「印米原子力協定」が成立して以来,相互の信頼関係をベースに関係改善が図られてきた。22年5月には「重要・新興技術に関する米印イニシアティブ」(iCET),さらに今年2月にはiCETを引き継ぐ「21世紀米印COMPACT」が打ち出されたことは,戦略的重要性を帯びた印米経済関係の緊密化にとって重要な意味を持っていた。しかしながらトランプ政権が打ち出した今回の対印関税措置は,過去20年間にわたって印米関係改善のために培われてきた努力の成果を水泡に帰すとともに,中国からの挑戦に対抗する上での拮抗力として期待されてきたインドに対して経済戦争を宣言したのも同然の法外なものともいえる。
インドがトランプ政権の脅しを無視して,ロシア原油の購入を続ければ,インドは懲罰的な関税を蒙り,輸出全体の20%を占める865億ドル相当の対米輸出(2024年度)は大幅な削減を余儀なくされることを見越して,モディ政権はとりあえず国営石油企業によるロシアからの原油輸入を差し控えるということを含めて,柔軟な対応措置を模索している模様である。しかしながら他方において,トランプ大統領の脅しに屈するような対応を示すということは,戦略的自律を掲げるインドの外交方針,さらには強力なリーダーシップを発揮しているモディ氏の自負心からして,その可能性は皆無といえる。
印米両国はすでにサービス貿易と人的交流の分野では極めて強固な基盤を持った関係を構築している。実際。米国の競争力の源泉をなすIT企業の本社経営陣,さらにはインド拠点の幹部の多くはいずれもインド系人材によって占められている。こうした印米関係の現実を踏まえつつ,今後,モディ政権が対米交渉を通じていかなる実を挙げることができるのか,その手腕が問われている。
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