世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
インド高速鉄道プロジェクトでの新幹線方式導入の盲点
(拓殖大学 名誉教授)
2025.11.17
目下,工事が進行中のムンバイ・アーメダバード間高速鉄道プロジェクトは,今年8月末にモディ首相が来日した際の日印首脳共同声明にも謳われているように,まさしく日印間の旗艦事業をなすものである。そもそも同プロジェクトは,インド国鉄とJICAの事業化調査を経て,2012年12月の安倍・シン両首相の首脳会談において,上記区間の路線について新幹線方式を採用するということで正式決定されたものである。
総事業費は2015年時点で9800億ルピー(約1兆8000億円)と見積もられ,全体の80.9%がODA借款でカバーされることになっており,融資条件はインド側に極めて有利なものになっている(注1)。土木工事は2018年に開始され,2023年末までに完成されるはずであったが,マハラシュトラ州での政権交代の絡みで一部用地収用が難航したこともあり,目下,工事完成の見込みはグジャラート州で2027年末,マハラシュトラ州を含む全線では2029年末とされる。
上記プロジェクトをめぐって,現時点での最大の懸念材料は新幹線車両の導入についてである。上記プロジェクトに適用されるODA借款は二国間タイドであり,競争入札に基づいて日印どちらかが担当することになっていたが,車両生産については日本側が競争入札ではなく,日立・川重連合が新幹線5E系を提供することで押し切った経緯がある(注2)。しかし,日本側メーカーの希望価格とインド側の希望価格に大きな乖離がある中で,日本側メーカーはコスト上昇を理由にさらなる価格引き上げを提示した。
これに対してインド側は強く反発し,昨年9月,インド国鉄は,インド鉄道省傘下の主要な鉄道客車製造部門であるIntegral Coach Factoryを通じて国営BEML社に対し,1車両当たり日本側メーカーの提示価格の6割の価格での製造を発注し,26年末に納入(最高時速250㎞)を求める結果となった。さらにやっかいなことには,早期にムンバイ・アーメダバード間の操業を開始したいインド側としては,国産車両を走行させるべく,今年5月,インド高速鉄道公社とドイツのシーメンス連合との間でムンバイ・アーメダバード間高速鉄道の信号・通信システム導入の契約を結ぶに至った。
他方,その間の経緯は定かではないが,目下,日本側はそれまで想定していたE5系車両に代えて,現在開発中のE10系車両を2030年代初頭に導入するという新たな提案を行っている。当然のことながら,新幹線車両を走行させる場合には日本式信号システムの導入が不可欠とされ,そのためにはドイツ式信号システムを日本式へと全面的に切り替える必要がある。これに対しインド側がいかなる決断を下すことになるのか,全く予断を許さない状況にある。
ここで想起されるのは,すでに部分開通しているデリー・ムンバイ間貨物専用鉄道(円借款:約7800億円)である。当初,電気機関車は日本側が納入する予定になっていたものの,最終的にはインド鉄道省がフランスのアルストムの技術に基づいて西ベンガル州の工場で全車両(9000馬力)を製造するという結末になった。それというのも,競争入札を主張するインド側の意向を押し切る形で,日本側が企業連合(川重・日立)の単独入札に持ち込み,最終的に川重による一社入札となったものの,川重が提示した金額がインド側の求めた金額と大きく乖離していたため,日本企業からの納入を前提とした借款契約が破棄されたためである。ムンバイ・アーメダバード間高速鉄道プロジェクトの場合,貨物専用鉄道の二の舞になることはぜひとも回避したいところである。
新幹線方式のインド導入を進めていく上で,日本政府の陣容は外務省,経済産業省,国土交通省から課長級が参加し,トップは内閣総理大臣補佐官が務める形になっている。問題は日本側の担当者がしばしば交代するとともに,各省庁間の壁があり,その間の意思疎通が容易でなく,そのため対印交渉を行う上でのチームジャパンとしての司令塔がうまく機能できているのどうかという点である。目下,新幹線E10系車両の導入に向けて大きな正念場を迎えている中,対印交渉を行う上での日本側のリーダーシップが大きく問われるところである。
[注]
- (1)融資条件は,付期間50年,返済猶予15年,利子率0.1%というインド側にとって極めて有利なものになっているが,これは2015年9月,インドネシアでの高速鉄道採用に関して,日本側が最終段階において中国側に逆転勝利されたという苦い経験を反映したものである。
- (2)E5系車両の導入に際して,インド側は高温(摂氏50度)に対応するための特別な冷却装置の導入,さらには乗客の荷物スペースの確保といったインド向け仕様変更を求めていたという経緯がある。
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