世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
高市首相に立ちはだかるもうひとつの壁:官僚組織のゲマインシャフト的体質
(KKアソシエイツ 代表)
2026.03.09
先の総選挙で歴史的大勝利を収めた高市首相への世間の注目と期待はかつてないほど大きく,国会中継はじめ高市氏自身の言動や野党とのやり取りなどマスメディアの詳細な報道が溢れている。だが,高市政権の先行きを左右するほど決定的に重要な“あるファクター”についてはなぜか殆ど報道がない。あるファクターとは与野党幹部が犇めく永田町などではなく,政府の事務局とも言える霞が関の動きである。高市首相の政治エネルギーのかなりの部分が官僚組織,就中,省庁の中の省庁として絶大な政治力を持つ財務省との攻防に費やされるであろうことは想像に難くない。
もとより筆者には包括的な官僚論を展開するほどの知見も内部情報もないが,長年にわたり経済団体のスタッフとして限定的ながら公共政策に係わってきたので,キャリア官僚の本質を垣間見る機会が少なからずあった。そこで,本稿では,そうした経験から日本の官僚組織の特質について断片的ながら論評を試みたい。
なぜ「省益あって国益なし」が可能になるのか
日本の官僚組織が絶大な力を持つ理由については様々な議論があろうが,最も根源的な理由は,そのゲマインシャフト(共同体)的な体質にあるのではないかと筆者は考えている。本来ならば,官僚組織は立法府で定められた法律や制度を粛々と遂行するためのゲゼルシャフト(機能体)的なテクノクラート集団であるべきだが,日本の場合,実態は全く異なる。
どの省庁でも中枢ポストは,国家公務員第一種(現在は総合職)の試験に合格し,新卒で特定の省庁に入省した所謂キャリア組の生え抜きのみで独占されている。官僚の頂点である本省の事務次官や局長クラスに霞が関の外(民間)の人材が登用されたという事例は寡聞にして耳にしたことがない(法務省の事務次官は検察から出向だが検事は民間人ではない)。純血を堅持し続ける閉鎖的な共同体そのものである。大統領が替わるたびに,3,000から4,000の幹部ポストが総入れ替えとなる米国とは真逆である。
もっとも,このような共同体的組織にも政策の継続性や安定性の維持などポジティブな側面もある。特に戦後の復興から高度成長期の欧米へのキャッチアップ時代においては,共同体的体質がプラスに作用した部分も少なくなかった。日本経済というパイが拡大している間は,省益(予算と権限の拡大,天下り先の確保等)と国益(国民生活の豊かさの向上)の間にさほど大きな矛盾が露呈することもなかった。だが,バブルが崩壊し「失われた30年」の時代になると「省益あって国益なし」が随所に顕在化するようになった。その典型例が財務省による経済成長を犠牲にした消費増税であり,農水省による保護貿易やコメ減反政策である。
首相や閣僚が省益に抵触する政策に着手しようとした場合,官僚にはもうひとつの構造的な強みがある。それは政治家が個人であるのに対し,官僚は個人ではなく集合体だという点である。閣僚は,膨大な情報・データと広範なネットワークを堅持する省庁の無数の官僚たちと単身で対峙しなくてはならない。部下であるはずの官僚の言いなりではなく自らの判断で政策を推進しようとするには,途方もないエネルギーと時間を要することになる。長くてもせいぜい2,3年しか在任期間のない首相や閣僚にとって,官僚が抵抗する政策を実現させることは至難の業である。
憲政史上最長政権だった安倍首相は,類まれな強い政治リーダーシップを発揮し何度も財務省と真正面から対峙したが,「(財務省は)省益のために政権を倒すことも辞さない」との驚愕すべき言葉を残している。それが安倍首相の実感だったのであれば,軍でも警察でもない官僚によるクーデターの企て以外の何物でもない。
首相や閣僚は個人なので退任すれば,実現しようとした政策はそこで頓挫するが,官僚の個々人は1,2年で異動を繰り返す官僚組織という巨大なマシーンの歯車のひとつにすぎないので,誰が事務次官や局長であろうと官僚組織は従来どおりの形態のまま存続する。
なぜ官僚は省益ファーストにならざるを得ないのか
本稿は,官僚に対し批判的な論調だと受け止められるかもしれないが,決して官僚に対する個人攻撃ではない。筆者にはこれまで仕事を通じて知己を得た官僚が大勢いるが,彼らは殆ど例外なく優秀であり仕事熱心だった。では何が問題なのか。
未だに終身雇用を前提とするキャリア採用制度の下では,長年勤務すればするほど入省した省庁への忠誠心や同族意識が高まっていく。共同体である以上,当然であろう。他方,30年近く勤務し先が見えてくる頃になると退官後の職業人生が気になり始める。だが,いくらエリートとはいえ,霞が関の行政の世界しか経験のない官僚OBで民間セクター,特にビジネス界の高待遇ポストでも即戦力として通用する人材はごく限られている。従って,たとえ現職中に国益との矛盾を感じる局面があろうとも,結局は所属する省庁の意向に沿って天下りを受け入れることになる。
ここで筆者が懇意にしていた農水官僚の興味深い言葉を紹介しておきたい。同氏は英語のみならずフランス語も堪能で農産品分野のWTO交渉や経済連携協定を総括する国際派の高官だったが,その発言は10年数年前,ふたりで昼食をとりながら雑談していた時のことである。日本の農産品市場を思い切って自由化することが日本の農業全体の国際競争力の向上に繋がるのではないかとの筆者の質問に対し,同氏の反応は「そうかもしれないけど,そんなことしたらうち(農水省)の仕事も予算もなくなっちゃうよ。だって,補助金と高関税がうちの仕事の原資なんだから。」だった。全く内輪の会話とはいえ実に正直な本音ペースの発言だった。同氏も退官後は農水省傘下の某団体に天下りしている。
共同体から機能体への転換は可能か
人生100年の時代に50歳台前半で退職させられるキャリア官僚の天下りを頭から否定し非難するのは酷な話である。他方,各省庁所管の存在意義のない特殊法人等への夥しい数の天下りポストの温存が「省益あって国益なし」であることに間違いはない。より現実的かつ建設的な解決策として,少なくともキャリア組を含む国家公務員の定年延長や再雇用制度の導入が早急に検討されるべきだが,官僚組織が共同体から機能体へ転換していくためにはそれだけでは全く不十分である。
既存の小手先だけの部分的な(中枢ポストではない)民間人登用制度などではなく,事務次官クラスを含め幹部ポストに外部からの人材投入を思い切って導入すべきである。官僚の凄まじい抵抗が必至だろうが,そこは本当の国益を考えるべき政治に期待するしかない。
官僚組織の共同体から組織体への転換など机上の空論かもしれぬが,最近では霞が関の頂点に君臨する財務省にも多少の綻びが生じているように思われる。仮に高市首相が財務省の抵抗や妨害を封じ込めて公約どおり積極財政と消費減税を遂行できれば,財務省の岩盤にもついに亀裂が入ったことになる。他方,一部報道にあるように積極財政が修正され骨抜きとなるようであれば,やはり財務省は政治に優る最強の共同体であることが改めて確認されたことになる。夏頃までには一定の結論が出るらしいが,当面はその成り行きを注視したい。
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