世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
総選挙直後のタイの動向:非公式結果と政権構想
(元亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)
2026.02.16
非公式結果
2月8日投開票の総選挙(定数500)は大きな混乱なく終了した。選挙管理委員会は,同日夜から順次,非公式結果を発表している。8日夜,第一党が確実となったタイ誇り党(以下,誇り党) のアヌティン党首(首相)は,バンコクの党本部での記者会見で,「誇り党の勝利はタイ国民の勝利だ」と勝利を宣言した。予想以上の結果だとも述べた。
9日午後3時51分,94%開票時点の選挙管理委員会の非公式結果によれば,小選挙区(定数400)に関し,誇り党174議席,国民党87議席,タイ貢献党(以下,貢献党)58議席,クラ・タム党56議席,民主党10議席であった。また,比例代表(定数100)は,議席数は示されないものの,得票率だけが発表されている。これによれば,誇り党17.23%,国民党28.30%,貢献党14.90%,クラ・タム党3.03%,民主党10.57%となっている(注1)。
比例代表に関するメディアの予測に基づくと,誇り党193議席(前回比122議席増,小選挙区174議席,比例代表19議席,以下,同),国民党118議席(33議席減,87議席,31議席),貢献党74議席(67議席減,58議席,16議席),クラ・タム党58議席(新党,56議席,2議席),民主党22(3議席減,10議席,12議席)となっている。投票率は65.17%で,前回比10.47%減である。この要因は背景には,有権者の中に,国民党の首班指名や穏健すぎる選挙公約に失望し棄権した者が一定程度いたためと考えられる。選挙管理委員会は投票日から60日以内に公式結果を発表しなければならない。
10日,国民党は,開票作業などに不正があったため,13県,18選挙区での集計やり直しを選挙管理委員会に求めたと発表した。国民党はチョンブリ県の選挙区では投票箱に封印がなかったほか,開票録がごみ箱から見つかったと明かした。同党は特設サイトで不正に関する情報提供を呼び掛けている。また,10日,バンコクや中部チョンブリ県などの有権者が,選挙に不正があった疑いがあるとして抗議活動を行っている。貢献党も再集計を求めている。こうした声を受け,10日,選挙管理委員会は事実関係を確認する考えを示した。再集計の要否は県選管の報告を踏まえて決定する方針である(注2)。
同日に行われた国民投票は,100%開票時点の非公式結果で,65.43%が賛成,34.57%が反対,8.67%が無効票である。賛成が過半数に達したので,公式発表を経て,草案作成の行程を決める2回目の投票に進む。
誇り党の勝因
誇り党の勝因は主に2つ,対カンボジア国境紛争と地方政治への影響力である。対カンボジア国境紛争は,タイ陸軍によれば,昨年12月7日午前7時頃,ウボンラーチャターニー県チョンボクとカンボジアのプレアヴィヒア州モムバイの国境でカンボジア軍から攻撃を受け応戦した。一方,12月23日,トランプ米大統領は,「タイがカンボジアと戦闘を再び開始した」と述べた。すなわち,トランプは,12月の軍事衝突で先制攻撃をしたのはタイで,少なくとも,7月と10月の軍事衝突のいずれかの先制攻撃はタイによるものだとの認識を示したのである。同日,アヌティンはこれを否定した(注3)。トランプが正しいとすれば,アヌティンは,下院解散を想定の上でカンボジアとの戦闘を開始し,これを激化させることでナショナリズムを喚起させ,安全保障を争点化した。
議院内閣制における選挙では,次の3点において与党は優位である。第1に,「ばらまき」である。第2に,選挙の日程の設定,第3に,争点の設定である。アヌティンはカンボジアとの軍事衝突の最中に下院を解散し,また,経済問題や政治改革ではなく,安全保障を選挙の争点にすることにより,自党に有利で,国民党に不利な選挙の枠組みを設定することに成功した。このように,誇り党は,与党の利点を最大限発揮し選挙に勝利した。
また地方政治への影響力も有意に活用した。2025年2月1日,全国76県のうち,47県の県行政機構(PAO)の首長と議員を選ぶ選挙が実施された。総選挙と関連する範囲で振り返ってみよう。県首長に関しては,「バーン・ヤイ(英語では,「Baan Yai ないしBan Yai」)」が20県,誇り党が12県,この時点で首相を擁していた貢献党が11県,国民党が12県などとなっている。バーン・ヤイは,政党ではなく,「地方を支配している政治家系」である。誇り党は15県で自党以外の候補を支持しているが,これは「バーン・ヤイ」に対するものだと思われる。保守政党,特に,誇り党はバーン・ヤイと協力関係を構築することにより,地方における影響力を高めることに成功した。これにより,誇り党は,総選挙で,多くのバーン・ヤイの協力を得るとともに,過去に他の政党,特に,貢献党から選挙に出たことがある政治家を自党から立候補させることに成功した。これが総選挙における誇り党の地方での票獲得につながった。投票率は58.45%(前回比4%減)だった(注4)。
クラ・タム党
開票前の時点で,クラ・タム党はさほど注目されていなかった。どのような政党なのだろうか。クラ・タム党は,2020年創設の「タイ経済党」が2023年に名称変更して設立された。ナルモン・ピンヨーンシンワット教育大臣が党首を務め,実力者のタマナット・プロムパオ副首相兼農業協同組合大臣が合流した政党である。同党はこれまで貢献党の地盤だった北部地域で多くの議席を獲得した。同党が連立政権に参加する小政党をまとめる役割を担うとみられる。クラ・タム党は農業協同組合省や社会政策関連の省庁を担当し,貧困層支援を通じて支持基盤の拡大を図りたい考えと思われる(注5)。
選挙戦中,国民党と民主党は,クラ・タム党が「グレー」だとして,同党との連立参加を拒否していた。タマナットは,ヘロイン密輸で,1994年から4年間,オーストラリアで服役していた。2024年8月,過去に服役した人物を閣僚に起用したことが憲法違反だとして,セター首相が憲法裁判所により解任された原因を作り出した人物である。
クラ・タム党に関しては,小選挙区が56議席,比例代表が3.03%となっている。小選挙区で,クラ・タム党が全体に占める割合は十数%で,両者の差が10%程度あるという特異な状況がみられる。これは交差投票(同日に行われる選挙で,2つ以上の異なる選挙制度に対して異なる政党へ投票すること)が広範に行われたということである。筆者は,小選挙区でクラ・タム党に投票した有権者の相当数が,比例代表では,主に,貢献党や誇り党に投票したと推測しているが,事実は確認できていない。
政権構想
クラ・タム党は連立政権への参加を希望しており,既に誇り党と政権構想協議を開始している。一方,貢献党の政権参加は現時点では見通せない。誇り党も貢献党も保守派であるというイデオロギー・政策の近さがある。一方,対カンボジア国境紛争を招き,その後の対応も適切ではなかったと貢献党を批判し,貢献党中心のペートンターン政権から離脱,同政権崩壊後にアヌティン政権が成立した経緯がある。貢献党は既に敗北を認め,野党に回る意向を表明した。ナタポン国民党党首は8日夜に敗北を認め,国民党は誇り党との連立への参加は「ない」と述べた。民衆党も既に野党となる意向を示している。クラ・タム党関係者によれば,次期連立政権は小規模政党も含め,下院500議席のうち290議席の確保を見込んでいる。とすれば,次期連立政権は貢献党も含めず,誇り党,クラ・タム党,いくつかの小規模政党によって構成されることになる(注6)。
総選挙の結果を受けた首相指名選挙は5月上旬にも行われる見通しである。
[注]
- (1)The Government Public Relations Department,Unofficial Results of the 8 February General Election and Timeline for Formation of New Government, 10 February 2026.
- (2)『YAHOO JAPAN!ニュース』2026年2月12日。
- (3)Khmer Times, 24 December 2025.
- (4)IIPA:INSTITUTE FOR INDO-PACIFIC AFFAIRS,Ballots and Backlash:The Aftermath of Thailand’s 2025 Provincial Elections, 25 February 2025.
- (5)『newsclip.be』2026年2月10日。
- (6)同上。
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