世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
クラフト(Craft)と宇宙産業をめぐって
(関東学院大学 客員研究員・広島市立大学 名誉教授)
2025.12.29
今週(2025年12月22日),種子島宇宙センターからH3ロケット8号機によって打ち上げられた日本版GPS準天頂衛星「みちびき5号機」は,予定軌道に投入できず失敗したとのニュースが流れてきた。H3ロケット第2段エンジンが燃焼1秒で突如停止し,「みちびき5号機」の分離もできなかったようだ。第2段搭載の液体水素燃料タンク内の圧力低下が疑われているようだが,真相解明にはこれからしばらくかかるのだろう。
ところで,宇宙産業とクラフト(Craft)にかかわる興味深い論文がある。Messeri, L.R. & Richards, M. G.(2009)だ。宇宙産業における「標準化(Standardization)」の歴史的背景と,将来に向けた課題を分析している。「標準化」は,いうまでもなくフォーディズム(Fordism)以降顕著となった「大量生産」を実現するために求められてきたものである。製品設計,部品の大きさ・寸法,道具,また作業動作などを統一化・秩序化することであり,規格化,ルール化と同義に近いところがある。「標準化」していくことによって,「部品の互換性(Interchangeability)」も確保されるし,ライン生産方式(分担流れ作業)が可能となった。
宇宙開発は最先端技術の象徴だとわれわれは見なしがちだが,Messeri & Richardsによれば,宇宙産業は長く「Craft Mentality(職人気質)」に根ざしているという。つまり,一般的なハイテク産業では大量生産が行われるが,この産業は,人工衛星など限られた少数の製品をカスタムメイド(Custom Made:特注)で製造する形態が続いてきた。そうなると,部品の互換性などの業界全体の標準化は進まず,多くの企業が毎回「ゼロから設計」する状態に近い。また,もう一方で巨大な予算を投じていることも係わっていると思われるが,技術者ほかは,完璧を追求し妥協なく,いわば技術またそれぞれの仕事に誇りをもって真摯に取り組んでいく傾向がある。いわば,職人気質が醸成されていく傾向がある。
Messeri & Richardsは,標準化が遅れた一因として,スペースシャトルの存在を挙げている。スペースシャトル時代には,宇宙飛行士は,船外活動を行って修理も行う「修理屋」という役割を担っていた。人間がその場の状況に合わせて柔軟に対応してきた。そのために,高度な標準インターフェースとか共通規格がなくても,修理やメンテナンスが可能だったという。
「修理屋」は,Craft的な生産において,部品の多くで微妙な誤差があっても,それを職人が例えばヤスリで削るといった「現物合わせ」という調整作業をしていたことと同じことを意味する。
しかし,Messeri & Richardsは,これからの宇宙産業において,標準化が不可欠になるとも述べている。ひとつに,燃料補給や修理,アップグレードなどの軌道上で行うサービス(On-Orbit Servicing: OOS)への需要が高まっていることを挙げている。また,もうひとつに,人間の代わりにロボットアームなどが作業を行うようになると,人間のような柔軟な対応が難しい。そこで,接続部や部品の「相互運用性(Interoperability)」の標準化が求められるようになるという。
こうしたMesseri & Richardsの指摘は,標準化を「いつ,何を,どのように,そして誰が決めるのか」という組織的・戦略的な意思決定への示唆につながる。
今日,Craftに対する関心が再び高まっているようだ。国際ビジネス系ほかの研究者は,現代社会におけるCraft製品の位置づけや,Craft製品の生産と消費がどのように組織化されているのかを理解しようと努めてきた。また,個人とCraftのプロセスに関わる知識や技能,そしてその伝達に関わる知識やスキルの認識も含まれ,Craft製品が美術品になっていくことと関連づけられるが,創造的な産業との関係へとさらなる関心は拡がっている(Austin et al, 2017; Cacciatore & Panozzo, 2022など)。「ひとつの国民文化とは無限の地方文化の総結集」といったのはエリオット(T.S.Eliot 1948)であるが,これは,今日,支配的な様式であるグローバル化された生産と組織に対するCraftの存在意義を示唆するし,より地域に根ざした,より持続可能な生産と消費のための代替モデルを,経営史の視点を踏まえ,提供する可能性を浮かび上がらせる。これは,コミュニティ・レベルでの社会的・政治的関与の場としての役割の可能性を指摘する声にも通じる(Gasparin & Neyland, 2022ほか)。
広島の熊野筆を源流として化粧筆市場で存在感をもっている白鳳堂を対象とした研究がある(大東和, 2023ほか)。熊野筆は,毛筆用書道筆,画筆,化粧筆を生産し,いまでも国内シェアはそれぞれ80%~90%と高いが,生産規模でいえば,熊野筆全体で,近年は合計で90~100億円程度で推移している。ただ,内訳では化粧筆の比率が次第に高くなり50~60億円,他がそれぞれ20~25億円となっている。
柱になっている化粧筆市場で,国際的に参入しようとすると,国際的な大手化粧品メーカーへのOEM供給はひとつの手段だった。白鳳堂はそれを実現させて成長してきた。それは,書道筆市場衰退というトレンドに逆らい,化粧筆の隠れた生産者として世界的な成功を収めることにつながった。ただ,その過程では,大量発注に応えるという「量産化」が求められた。この成功において,白鳳堂は「Craft」を犠牲にしたのだろうか。しかし,そうではなかった。白鳳堂は自分たちのCraftの本質を捨てずに「量産化」を行った。
Messeri & Richardsは,「標準化」への組織的・戦略的な意思決定が,次世代の人工衛星設計や宇宙産業のあり方に重大な影響を及ぼすとまとめ,「職人気質」から脱却し「標準化」を取り入れるべきだとの示唆を導出した。しかし,白鳳堂の事例は,「職人気質」いわばCraft性と「標準化」との両立にもとづく「量産化」,それを可能にする条件と行動を考察していく意味を示しているように思える。このことは,「みちびき5号機」の失敗からの導かれたものかもしれない。
[主な引用・参考文献]
- Lisa R. Messeri Lisa R., and Matthew G. Richards (2009) Standards in the space industry: Looking back, looking forward, Management & Organizational History, 4 (3), pp.281-297.
- 大東和 武司(2023)『地域企業のポートレイト 遠景近景の国際ビジネス』文眞堂
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