世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
トランプ関税に見る自由貿易の限界
(専修大学商学部 教授)
2025.07.14
近年の米国における自国優先主義(保護主義)は,明らかに自由貿易の精神に反するものである。ただし,自由貿易体制が世界の通商秩序として最善であることは確かだとしても,万能ではないことも事実である。
自由貿易の考え方は比較優位に基づく生産特化が原則となる。であるならば,農業が得意な国には農業生産だけ頑張ってもらい,自動車などの工業製品は輸入に頼ればいいということになりかねない。このため,自由貿易には投資の自由化も含まれ,工業化先発国から投資を受け入れることによって,自国での生産や輸出を開始することができる。これによって,自国の工業化を進め,先発工業化国を追従するキャッチアップ型工業化が可能になるのである。自由貿易の原則の下,外国投資を受け入れることによって,開発途上国も工業化の端緒をつかむことができる。
発展初期段階では労働力に比較優位がある国がほとんどなので,安価で豊富な労働力を活用した生産に特化することになる。繊維製品や水産品加工,家具製造といった製品製造が労働力をたくさん使う産業となる。こうした産業を振興することで比較的高い成長率を生み出すことができる。労働投入型経済と呼ばれる段階である。その後,経済成長に伴って人件費が上昇すると,労働集約型産業は不向きとなる。次いで,国内に内部化した資本を機械設備に投資するなどして化学,鉄鋼,製紙といった重厚長大産業がリーディング産業となる。その後,高等教育が行き届くようになると高度人材が育成され,研究開発など技術を多く必要とする自動車やエレクトロニクス産業などが得意分野となる。こうして,一国の経済成長は社会的変化に応じたリーディング産業を次々と継起させながら工業化を進め,国内での生産が難しくなった産業は順次,直接投資や委託生産などを通じて他国へと生産拠点を移転していく。
米国は国土が広く資本が豊富であり,よって大規模農業による安価な農産物の生産が得意である。一方,製造業では人件費が高く,労働集約型の生産は不向きである。多くの製造業は多国籍企業となり他国へと生産拠点を移転してきたし,資本や技術を多く使う半導体やICT関連製品,そしてテック企業と呼ばれるICTを使ったサービス業がリーディング産業となり,比較優位の転換に適応した産業を振興してきた。
自由貿易は万能ではない。生産特化による一時期の高成長は獲得できても,社会的条件の変化に伴う自国の比較優位に合致した産業へ継起できなければ成長は停滞する。多くの開発途上国が労働投入型経済で順調に経済成長をした後,資本や技術への産業転換ができず,中所得国の罠におちいっている。また,工業化に限定した場合,資本や技術を投入した製品は,今のところコンピュータ,スマートフォン,自動車などであり,その次を担う製品は出現していない資本と技術を活用したサービスに目を向けると,高度なサービス業は労働節約型のサービスを志向したものであり,労働生産性が極限に達したような先進国で生み出される。20世紀中ごろから,超先進国の米国で家電製品やコンピュータといった新しい製品が生み出された。近年では,製品ではなくサービス分野で,インターネットという新しい通信方式を生み出し,シェアサービスやSNSのプラットフォームが次々と現れ,世界を席巻した。多様性のある社会ということがユニバーサルな発明の根底にあるかもしれない。しかし,資本や技術を活用した労働節約型の高度なサービス業の勃興が必要不可欠な米国社会が,結果として巨大なテック企業を出現させたともいえる。
貿易には目に見える財貨の貿易(モノの貿易)と目に見えないサービス貿易がある。財貨の貿易で1兆3千億ドルにも達する赤字がトランプ政権で問題視され,これを解消するために力づくの関税政策が志向されている。一方で,米国のサービス貿易収支は黒字を維持しており,その額は2024年には2,952億ドルに達し,財貨の貿易赤字を帳消しにできる規模ではないものの,そこそこの収益を米国にもたらしている。また,世界のサービス輸出総額に占める米国のサービス輸出額は12.6%を占め最大である。米国は主に金融サービスとコンサルティングや研究開発(R&D)といったビジネスサービスの収益がサービス貿易の黒字を支えている。成熟した超先進国がもつ優位な生産要素を大いに活用した結果,こうした高度なサービス業の競争力が高まったのである。
米国では,財貨とサービス貿易に,企業が海外で稼ぎ出した収益や配当などの第一次所得(一般的に米国は黒字だが2024年は赤字に転落している)を加えた経常収支では赤字が続く。財貨の貿易赤字が大きいことがその主たる原因とされる。そして,ドル高が第一次所得の減少と財貨とサービスの輸入拡大(輸出の減少)に拍車をかけている。基軸通貨である高いドルを支えるだけの体力が米国になくなりつつある。自由貿易のけん引役として,米国は比較優位の順調な継起を重ね,競争力のある産業を次々と生み出してきた。その超先進国が次なる成長の源を自力で作り出すことができなければ,自由貿易体制も一旦停止するか,場合にとって後戻りすることになりかねない。
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