世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
東ティモールのASEAN加盟:包摂の理念と制度調整のリアリズムの狭間で
(国士舘大学政経学部 教授・泰日工業大学 客員教授)
2025.06.30
2025年10月,東ティモールがASEANの11番目の加盟国として正式に加わることが認められた。2002年の独立以来,同国が追い求めてきた地域統合の悲願が,ついに実を結んだ形である。だがこの一歩は,ASEANの理念的達成にとどまらず,今後の制度・枠組みに大きな波及を及ぼす起点でもある。
まず,東ティモールの加盟はASEANにとって重要な理念的達成である。「包摂性(inclusivity)」を掲げる地域共同体として,最貧国である同国を排除することなく,支援と制度調和を通じて共に歩む姿勢は,国際社会からも評価されよう。加盟に向けたプロセスでは,ASEANが2011年の加盟申請以降,段階的な支援と評価を行い,84件に及ぶASEAN関連協定への署名・批准を東ティモールに求めてきた(注1)。その中には,ASEAN憲章のみならず,投資協定(ACIA)や自由貿易地域(AFTA),相互承認協定(MRA)などが含まれる。
だがその一方で,東ティモール加盟はASEANの制度的脆弱性を露呈させる懸念もはらんでいる。最大の問題は,「合意形成の硬直性」である。ASEANは全会一致原則を維持しており,制度や外交能力に未成熟な東ティモールの参加は,議論の停滞や意思決定の鈍化をもたらすおそれがある。実際,ミャンマー問題や南シナ海問題への対応に見られるように,立場の違いは共同声明の採択すら困難にする。加盟国の多様性が拡大する中で,地域協力機構としてASEANが国際的な認知性向上と発言力の強化には,意思決定の柔軟化,すなわち「多数決を含む段階的な統治改革」の検討は避けて通れない。
加えて,経済的格差の拡大も懸念される。東ティモールの一人当たりGDPは,1,000ドル台でASEAN域内でミャンマーと並び最も所得水準が低いものの,経済規模は同国の30分の1に過ぎず,制度整備やインフラ整備に対して自助努力が難しい状況にある。結果として,域内の支援負担は高所得加盟国や日本,オーストラリア,EUなど域外パートナーに集中する構図が予想される。この「援助の偏在」は,いずれASEAN内の結束を揺るがしかねない。
さらに,東ティモールが中国の支援によってインフラ整備を進めてきた経緯から,過去にカンボジアでも見られたように,加盟国内で中国との関係をめぐる政治的な軋轢も生じうる。例えば,南シナ海の領有権問題をめぐってはASEAN内でも見解が分かれるが,東ティモールが中国寄りの立場を強めた場合,「ASEANの声」が一層ばらける可能性がある。これは,「インド太平.洋に関するASEANアウトルック」(AOIP)におけるASEANの一体性を損ねる懸念ともなる。
このような複雑な環境の中で,今後の最大の課題は,いかに東ティモールの制度順応力を高め,ASEAN全体の統合速度を損なわずに包摂的発展を達成するかにある。そのためには,①全会一致原則の再検討,②加盟国間で異なる制度適用を許容する「差異的統合」や後の段階で参加が可能になる選択肢を与える「ASEAN-X」方式の拡大,③ASEAN事務局の機能強化および財源制度の再構築が求められる。
また,東ティモールは今後,ASEAN経済共同体の内部規律に加え,RCEP(地域的な包括的経済連携)やASEAN+1の自由貿易協定(FTA)に対しても,適合・参加のための制度整備が必要となる。これには,関税分類制度の整備,原産地証明システム,投資保護条項の履行体制などが含まれる。ASEAN加盟によって新たに必要となるFTA実施の体制整備,原産地証明や関税運用などは,東ティモールの財政構造と人的資源に大きな負担を与える。IMFが2025年6月の国別報告において指摘した通り,今後10年で歳出の構造改革と優先順位の明確化が不可欠である(注2)。
IMFは,「東ティモールの石油基金は豊かである一方,持続性ある成長には“better and more slowly”な財政支出の見直しが不可欠」と指摘している。こうした中で,ASEAN加盟に伴うRCEP・ACIA対応や通商制度整備に向けた支出の増加は避けられず,域内外パートナーが連携し,同国の制度整備や成長戦略を支えることが必要となろう。
また,ASEAN内のFTAやRCEPでは,通関や電子商取引の制度対応が求められるが,東ティモールは土地制度や会計制度の整備状況は相当遅れているようだ。IMFの指摘通り,民間投資を促す制度改革が急務であり,ASEAN+3からの技術協力を活用すべきである。
結局のところ,東ティモールのASEAN加盟は,理念と制度,包摂と効率,地域統合と主権尊重という二項対立を調和させる試金石である。ASEANがこれを危機でなく機会と捉えるならば,自らの制度疲労と機能分化への対処を避けてはならない。そして,日本を含む域外パートナーにもまた,理念を支える現実的な支援の手が求められている。
[参考文献]
- The Malaysian Reserve「Mohamad: Timor-Leste must meet ASEAN conditions before full membership」
- IMF NEWS「Timor-Leste’s Opportunity to Turn its Wealth Into Economic Development」
関連記事
助川成也
-
[No.3865 2025.06.09 ]
-
[No.3832 2025.05.19 ]
-
[No.3810 2025.04.28 ]
最新のコラム
-
New! [No.3899 2025.07.14 ]
-
New! [No.3898 2025.07.14 ]
-
New! [No.3897 2025.07.14 ]
-
New! [No.3896 2025.07.14 ]
-
New! [No.3895 2025.07.14 ]
世界経済評論IMPACT 記事検索
おすすめの本〈 広告 〉
-
RCEPと東アジア 本体価格:3,200円+税 2022年6月
文眞堂 -
ASEAN経済共同体の創設と日本 本体価格:2,800円+税 2016年11月
文眞堂 -
日本企業のアジアFTA活用戦略:TPP時代のFTA活用に向けた指針 本体価格:2,400円+税 2016年2月
文眞堂 -
ASEAN経済新時代 高まる中国の影響力 本体価格:3,500円+税 2025年1月
文眞堂 -
企業価値を高めるコーポレートガバナンス改革:CEOサクセッション入門 本体価格:2,200円+税 2025年5月
文眞堂 -
国民の安全を確保する政府の役割はどの程度果たされているか:規制によるリスク削減量の測定―航空の事例― 本体価格:3,500円+税 2025年1月
文眞堂 -
大転換時代の日韓関係 本体価格:3,500円+税 2025年5月
文眞堂 -
ビジネスとは何だろうか【改訂版】 本体価格:2,500円+税 2025年3月
文眞堂 -
文化×地域×デザインが社会を元気にする 本体価格:2,500円+税 2025年3月
文眞堂 -
日本経営学会東北部会発 企業家活動と高付加価値:地域中小企業を中心に 本体価格:2,600円+税 2025年6月
文眞堂