世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
冗長性が必要である
(元信州大学先鋭研究所 特任教授)
2024.09.16
常日頃,政治家や経済専門家が唱える「日本再興のための革新技術の創出」が自民党総裁選挙の重要テーマの一つになるかと思っていたら,裏金問題や増減税が中心になり産業経済の中長期的回復に関するテーマは二の次になっている。文科省と経産省にアカデミアへのケアを任せれば良いというのが政治家の本音なのであろう。オバマ元大統領のナノテク構想が単なるハイプになってしまったことも影を落としていると思われる。とかく技術革新というとメディア有識者の唱える,IT分野での「小作人」状態から抜け出すために半導体産業とAIシステム創出に話が集中する。しかし,IT分野と雖も産業化するためには「冗長性」というものが必要になる。冗長性は天才ではなく経験を積んだエンジニアによって地道に構築され産業経済を支えているので,ほとんどの国民はその重要さや恩恵に気が付かずに日々過ごしている。
一般に文系の方々の間では冗長性は無駄を表す言葉として理解されていると思う。「冗長」という言葉は,小学館精選版日本語大辞典でも「傍証や話などがくどくて長ったらしいと。不必要に長いさま。」と記載され悪いイメージの言葉である。小売業の世界でも「ワンオペ」という言葉が流行り言葉になったように,最小限の必要人員でDX運営化を進めて固定費を極小にして極力無駄を省くことが生産性向上に必要と多くの文系有識者によって信じられている。それを突き詰めると資本主義社会では芸術文化文芸は経済活動にとって無駄であるということになりかねない。書籍がHow To本ばかりになったら興醒めである。
分かりやすい例を挙げて説明すると冗長性の重要性が見えてくる。航空機や鉄道などわずかな故障が大惨事につながる分野や,工場の設備などの不具合が人命のみならず環境破壊に繋がる分野では「無駄」な部分を設計時から必ず繰り込むこと(これは経験者から新人に引き継がれていく)で事故発生を最小限にしている。最近の航空機は電気指令式で昇降舵を操作しているが一昔前の小型機はハンドルやペダルの動きをワイヤで昇降舵に伝えていた。複数本装備すれば1本が切れても残りのワイヤで緊急操作ができる。今日の電気指令式でも機体の別々の場所を経由する独立した複数回路で昇降舵をコントロールしている。2000年代にLEDレーザーが発達したのでワイヤレス信号伝達による重量削減策(銅線は重たい)が盛んに研究開発されていたが,結局,航空機の機体は気圧変化や風で結構伸び縮みするので光軸を揃えることができずに萎んでしまった。
長年使用していてトラブルの少ない装置をあえて採用することも冗長性担保の一つである。少し前までEVへの参入の遅れが日本衰退の元凶のように識者からたたかれていたが,韓国では地下駐車場での電池発火による被害が深刻になってきていると報道されている。我が国でも電動自転車の電池トラブルが時々報道される。リチウムイオン電池は体積・重量あたりのエネルギーが爆弾並かそれ以上なのに消火する方法が砂をかけるぐらいしかないので専門家は当初より危惧していた。日本の自動車メーカーが未だに一部で使用実績のあるニッケル水素電池を使用しているのも部材の安全性を担保するためと言える。ニッケル水素電池では中国車のような性能仕様にはできないが,社会的安全性を担保するためには古く実績のある技術を採用することも必要である。
情報通信システムは日常の生活に必須のものとなっている。そのため基幹通信網は複数が設置されている。しかし,災害時に広域停電になると端末は使えなくなり買い物もできなくなる。2018年の北海道胆振東部地震では,緊急時電源を用意してあったセイコーマートが数多くあり,キャッシャーが機能したことを覚えておられる方もあるだろう。通常の電力送電網も複数の路線なので一部の電柱が倒れたくらいなら比較的早期に復旧するのだが,この地震では北海道電力の唯一の火力発電所が損傷したので送電能力の大半が失われてしまった。太陽光や風力は不安定なので必ずバックアップ電源が必要であり,そのための火力・原子力発電所が使えないということは致命的である。原子力発電所を政治や感情で反対していると送電の冗長性が確立せずにかえって多数の人命が失われる結果になりかねない。主義主張は自由であるが,それこそマクロな社会維持課題を無視した議論が非常に危険であることを示した事例であった。
マネーの世界では,主な関係機関は概ね非常用電源を装備しているので安心と思っている関係者が大多数であろう。また,リスクヘッジの手法も複雑怪奇であるものの多種に渡るので暴落や急騰による損失は低減されるようになっている。しかし,富士山噴火のようなことが発生したらどうであろうか。電子取引の冗長性が十分に具備されていることを願う。
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