世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3444
世界経済評論IMPACT No.3444

トランプ現象を整理する

武者陵司

(武者リサーチ 代表)

2024.06.10

 世界最大の政治経済イベント米国大統領選挙が早くも半年後に迫ってきた。驚くべきは人格的にも倫理的にも大いに疑問符が付くトランプ氏再選の可能性が強いと伝えられていることである。4件の刑事訴追を受けており,5月30日には大統領経験者として初めて有罪評決を受けた。しかし刑事訴追が始まってから,政治的迫害を受けているというキャンペーンが功を奏してかえって支持率が高まってきた。選挙勝敗の鍵を握る接戦7州をみると,前回はバイデン氏が6勝したのに対して,今回は全ての州でトランプ氏が優勢との調査となっている。何故であろうか。

 米国の経済社会の底流で大きな構造変化が起きていること,その変化に対するトランプ氏の果敢な挑戦が,有権者と嚙み合い始めている,と考えざるを得ない。米国経済社会には2つの変化が起きている。その第一はテクノロジーの進歩と国際分業の進展による雇用構造の変化と中間層の消失である。かつての中間層を体現した製造業はグローバリゼーションによって劇的に海外に供給依存を強めた。1970年代まで米国は鉄鋼,化学などの重工業,エレクトロにクス産業,自動車産業等全ての製造業分野で世界最大の規模を擁していた。米国の財輸入依存度は1割に過ぎなかったが,今では8~9割を輸入に頼るようになり雇用が失われた。それを埋めた新規雇用は高賃金のビジネスサービス,金融,情報通信産業と,相対的に賃金が低い個人サービス,外食,娯楽,医療・介護など多様で格差がある産業群であった。労働分配率が60%から50%へと低下し,賃金上昇にもブレーキがかかり,家計は収入の多くを賃金ではなく公的扶助と株式など資産所得に依存するようになった。それは資産保有者と持たざる者の格差を拡大させることとなった。

 第二の変化は多様化(ダイバーシティ),包摂化(インクルージョン)の浸透と過激化である。人権,弱者保護,公平性,多様なメンバーが違いを尊重されることで働き甲斐を共有できる環境づくり運動,SDGsやESGとも共通する理想の追求が過激化・左傾化した。白人は生まれながらに差別という原罪を背負っているという批判的人種論,BLM(ブラック・ライブ・ズマター)運動,人種によって合格点に差をつけるというような過度な弱者への配慮,建国の父たちを奴隷所有者として否定するなどの反歴史主義など,左傾化,理想主義,建前主義の弊害が極まっている。それによる逆差別の被害者もマイノリティに転落する寸前にある白人の低学歴層で高まっている。それは過激な脱化石燃料化に対する反発とも共鳴している。

 トランプ氏は敵を想定することで,これらの国民的不満に真っ向から答えるというスタンスを明確にしている。第一の敵は米国の製造業の雇用を奪ったグローバリゼーションと中国,第二の敵は過度の弱者配慮,逆差別と歴史否定主義を推進する既得権益集団,官僚機構「ディープステイト(影の政府)」の解体である。この敵の想定は乱暴で必ずしも合理性があるとは考え難いが,選挙のスローガンとしては,国民心情に刺さるものになっているのであろう。

 既存の政治勢力はそうした国民の不満に応えられていなかった。かつての共和党対民主党は,保守対リベラル,小さな政府対大きな政府,自由主義と保護主義,と言ったはっきりした党派対立軸があったが,今はそれがほとんど失われ,混沌の状態にある。この民主党,共和党ともに再定義が必要な時期に,いち早く定義を明確にして飛び出したリーダーがトランプ氏である。トランプ氏は共和党内で圧倒的支持を得ているが,その主張の多くは伝統的共和党の価値観からかけ離れたものであり共和党の屋台骨を作り替えたと言える。大富豪が,取り残された弱者の利益を代弁してアンチワシントンを唱え,権力を「ディープステイト」から取り戻すと主張している。これは白色革命や復古主義などの反動的なものなのか,それとも改革を通して更なる発展をもたらすものなのだろうか。

 時期尚早ではあるがトランプ氏が大統領になったとして,どのような政策が打ち出されるのだろうか。選挙用のレトリックと真に追及される政策を峻別する必要がある。まず二つの敵に対する戦いは貫徹されるのではないか。米国の雇用だけでなく覇権を奪おうとする中国に対する姿勢は一段と強まるだろう。中国からの輸入関税を60%に引き上げること,中国最恵国待遇の撤廃などの政策により,対中デカップリングは更に急速に進むだろう。また「質の悪い官僚たちを排除し,腐敗したワシントンに民主主義を取り戻すこと」も実施される可能性が高い。今まで4000人程度に限られていた政治任用制度の適用範囲を5万人に広げ中堅官僚を大きく入れ替えることを示唆している。トランプの意にそわない官僚の魔女狩りとの批判が高まり,メディアやアカデミズムを巻き込んで先鋭的な対立をひき起こすかもしれない。かつてのマッカーシズムなど,米国は時としてラディカルな思想迫害をすることがある。

 またパリ協定からの離脱,EV補助金の停止,パイプライン建設促進等バイデン政権が推し進めた環境政策を換骨奪胎することも間違いないだろう。更に国境管理の強化,不法移民対策の強化も進めるだろう。

 その一方で選挙レトリックを変えつつある政策もある。中絶禁止やウクライナ戦争支援反対などの主張は大きくトーンを緩め始めている。また口先では反国際金融資本と言いつつウォール街の利益を代弁し,株価フレンドリーの政策をとり続けそうなのは,第一期のトランプ政権時と変わらないだろう。ドット・フランク法の改正,ボルカールールなどの金融規制の緩和,またバイデン政権が導入した自社株買い課税の撤廃など,反市場政策をひっこめるかもしれない。結局トランプ氏は金融資本,ウォール街利益を代弁し資本主義を擁護する立場を鮮明にするだろう。

 貿易赤字にこだわることからトランプ氏はドル安論者か思われるが,むしろドル高容認の姿勢を打ち出すのではないか。トランプ政権は保護主義の手段として高率関税を打ち出している。既に一律10%輸入関税,対中では60%の関税設定を提起しており,輸入関税にドル安が加われば米国の輸入物価が急上昇することは必至,だかそれは考え難い。むしろ高関税とドル高政策を併用してくるのではないか。

 以上,情勢は複雑怪奇ながら,トランプ氏の登場に一定の歴史的意義を認めるべきであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3444.html)

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