世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3437
世界経済評論IMPACT No.3437

口止め料裁判,結審:陪審評決後のトランプ前大統領の対応は?

滝井光夫

(桜美林大学 名誉教授・国際貿易投資研究所 客員研究員)

2024.06.03

5月末までには陪審団の評決か

 トランプ前大統領(以下,トランプ)は4件の刑事事件で前大統領としては初めて起訴され,そのうち口止め料裁判が5月21日結審した。他の起訴事件の公判開始はすべて大統領選挙後となるため,唯一この事件だけが大統領選挙前に判決が出る。マンハッタン区南部のニューヨーク州刑事裁判所では,結審後1週間の休廷を経て,メモリアル・デイの翌28日,検察側,弁護側から各1名(被告側は主任弁護士トッド・ブランシュ,検察側はマンハッタン地検のジョシュア・スタイングラス検事補)がそれぞれ最終弁論を行った。

 同28日午後8時前に最終弁論が終わり,マーチャン裁判長は陪審団に対し,有罪か無罪かを判断する際に考慮すべき事項をまとめた「指示書」を出した。陪審団が29日の午後4時半までに評決に達していない場合は,翌30日に陪審団は審理を再開する。裁判長が陪審団に与えた指示書は,検察側,弁護側との協議のうえ作成されたもので,陪審団が評決を下すうえで極めて重要なガイドラインとなる。

 陪審団の審議は3日程度で終わるとみられる。ただし,裁判官が陪審団の評決を受け入れるためには,12人の陪審員が全員評決に同意しなければならない。数日間の審議を経ても合意に達しない場合は,裁判長は陪審団に評決に向けて努力するよう指示し,指示後も評決に達しない場合は「評決不一致」(hung jury)とみなされ,裁判長は未決定審理(mistrial)と宣告する。

燃え上がるトランプの怒りと報復の念

 4月22日,陪審団を前にして始まった公判は,5月21日に結審するまで(水曜日と金曜日は休廷),被告席に座ったトランプは裁判長が定めた箝口令に10回違反し,罰金が科された後は法廷での言動を慎んでいた。しかし,報道写真でその表情を見ると,20人の証言やマーチャン裁判長の言動に内心怒りと報復の念をたぎらせていたことは想像にかたくない。陪審評決が有罪であれば,その念は一層高まるだろうし,刑事裁判の逆風を大統領選挙の順風に変える言動はこれまで以上に激しくなるだろう。仮に無罪となったとしても,政敵を許すことなど論外で,彼らに対する怒りと報復が収まることはあるまい。これまでの2回の弾劾裁判,2016年大統領選挙に対するロシアの介入疑惑に関するムラー特別検察官の捜査などをみれば,トランプの対応は容易に予想できる。

 昨年12月,トランプは大統領に就任したら,就任初日は「独裁者」になってメキシコ国境を閉鎖し,石油掘削を拡大すると述べた。しかし,これだけでは終わるまい。選挙に勝利したら政敵に報復すると何回も明言してきたから,公判を仕切ったフアン・マーチャン判事,民主党のコンサルタント役を果たしたといわれる判事の娘,さらにアルビン・ブラッグ検事を筆頭に検察側も報復の対象とされよう。また,トランプが大統領に就任すれば,米国史上最も腐敗した大統領と決め付けているバイデン大統領とその一家を捜査する特別検察官を任命するとも公言してきた。

 トランプの報復は言葉だけでは終わっていない。議事堂襲撃事件で下院が弾劾訴追決議を可決した時(2021年1月),訴追に賛成した10名の共和党下院議員のうち8名は,選挙でトランプの刺客に敗れ,あるいは再選の見込みがなくなり,立候補を断念して議会を去った。10名のうち,ブッシュ政権のチェイニー副大統領の娘のリズ・チェイニー下院議員は,議事堂襲撃下院特別調査委員会の副委員長としてトランプの責任を追及したが,2022年の予備選挙でトランプの刺客に敗北を喫し,もう一人の共和党議員アダム・キンジンガーは再選を断念している。なお,口止め料裁判の終盤,マイク・ジョンソン下院議長,オハイオ州のJ.D.バンス議員など多くの共和党議員が法廷に集まり,公判を声高に非難したが,これはトランプの復讐から我が身を守るパフォーマンスのようにも見えた。

 大統領選挙に対する国民の不信を煽るトランプの言動も激化している。5月24日付のニューヨークタイムズ(NYT)によると,2016年選挙ではトランプが「この選挙は不正な方法で行われている」と主張し始めたのは投票日の25日前からだったが,2020年選挙では200日前から「敵は選挙を盗もうとしている」と言い始め,今年2024年選挙では「選挙を盗むのをやめろ」,「選挙妨害だ」と訴え始めたのは投票日から700日前に早まり,攻撃の頻度も2020年を上回っているという。

有権者のトランプ支持に大きな変化は起こっていない

 前大統領に対する史上初の歴史的な刑事裁判であるにもかかわらず,不思議なことに,有権者の裁判に対する関心は高まらず,投票志向にも大きな変化が出ていない。アリゾナ,ジョージア,ミシガン,ネバダ,ペンシルバニア,ウイスコンシンの激戦6州では,ウイスコンシン州以外ではトランプに対する支持率がバイデンに対する支持率を上回り,トランプの支持率は裁判によって大きな影響を受けていない。これら6州の有権者は,今日が投票日だとすると,42%がトランプ,36%がバイデン,9%がロバート・ケネディ・ジュニアに投票すると答えている。バイデン支持者の約9割が新聞やテレビなどで裁判の状況を「非常に」または「普通に」注目しているのに対して,トランプ支持者のその割合は1割以下にとどまり,情報の入手先もソーシャルメディアが中心だという(5月24日付NYT)。

 NYTのオピニオンコラムニスト,ミシェル・ゴールドバーグは,「トランプ裁判は大きな期待外れだだった」とし,「トランプが裁判に負ければ懲役刑を受ける可能性はあるが,そうなった場合は,トランプは必ず控訴するため,投票日までに投獄される可能性はほぼない。このため,ほとんどの有権者がこの裁判を無視しているのも不思議ではない。トランプが落選するかどうかを決めるのは陪審団ではなく,有権者なのだ」と書いている(5月20日付NYT)。

 一方,落選した場合,あなたは落選を受け入れるかと記者に問われても,トランプはまともに答えていない。「トランプ落選」となってもトランプは落選の事実を受け入れず,事態は2020年当時以上に混迷を深めることになるのではなかろうか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3437.html)

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