世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3140
世界経済評論IMPACT No.3140

米国の長期金利の上昇と債券・株式市場

榊 茂樹

(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)

2023.10.09

長期実質金利が大きく上昇

 米国長期金利が大きく上昇している。長期金利の指標である30年物財務省証券利回りは,2021年末には2%を切っていたが,昨年10月には4.2%前後まで上昇した。その後一旦4%を割ったが,再上昇して今月には一時5%に達した。Fedによる政策金利の引上げは年内に終了する公算が強くなっているものの,その後,早期に利下げに転じる公算は小さいとの見方が長期金利の上昇の背景にあるようだ。

 通常の債券の利回りから実質金利の指標であるインフレ連動債利回りを引くと,期待インフレ率の指標であるブレ-クイーブン・インフレ率を算出できる。こうして長期金利を実質金利と期待インフレ率に分解すると,期待インフレ率は大きく動いておらず,実質金利が急上昇している。30年のブレークイーブン・インフレ率は2021年末も昨年末も足元でも2%台前半である。一方,30年物インフレ連動債利回りは,2021年末にはマイナスであったが,昨年末には1.6%台となり,足元では2.4%台まで上昇している。こうした実質金利の上昇は,Fedが国債等の証券の保有残高を減らす量的引締め策を行っている影響と見られる。ただ,経済の成長トレンドが1%台後半と考えられている米国経済において,マイナスの実質金利は下がり過ぎだったようだ。

金融市場はリスク・オフに至っていない

 基軸通貨国である米国における実質金利を中心にした長期金利の上昇は,米国のみならず世界の景気にマイナスに働くだろう。ただ,今のところ金融市場では混乱の兆候はまだそれほど見えていない。米国の株式市場は9月後半から下落したが,株式市場のリスク・プレミアムの指標であるVIX指数は足元で概ね歴史的平均並みであり,債券市場のリスク・プレミアム指標である米国ハイ・イールド社債のクレジット・スプレッドは,歴史的平均を下回っている。そうした点では,金融市場はリスク・オフの状態に入ったとは言えない。Fedが景気後退を回避しながらインフレを抑制できるというソフトランディングの期待が強いようだ。

 過去の事例を見ると,政策金利が低下に転じてから景気後退に入り,その後リスク・プレミアム指標が急上昇している。2001年1月にFedは利下げに転じたが,4月に米国経済は景気後退に入った。2000年後半から下落基調にあった米国株式は利下げ後も下げ止まらず,ハイ・イールド社債スプレッドやVIX指数は高水準で推移した。2001年9月の同時多発テロで金融市場は混乱に陥ったが,Fedの追加金融緩和や米政府による減税策などにより,11月には景気後退は終了した。ただ,一旦反発した米国株は,2002年には再び大幅に下落した。

 リーマンショックの前後のケースでは,2007年8月に利下げが始まったが,2008年1月に景気後退入りし,市場の混乱は続いて9~11月が金融危機のピークとなった。Fedによる量的緩和策の導入などにより株価は2009年3月を底に上昇に転じ,6月に景気後退は終了した。両ケースともFedが利下げに転じても,景気後退も金融市場の混乱も回避できなかった。

割高な米株の調整も景気後退入り後か

 本コラム7月10日付けの「割高感を増す米国株式」で示した米株の割引現在価値モデルによれば,

  リスク・プレミアム=1/PER-インフレ連動債利回り+潜在成長率

となる。PER(株価収益倍率)=株価/1株当たり利益であり,株価,1株当たり利益,潜在成長率が動かない時にインフレ連動債利回りが上昇すると,リスク・プレミアムが下落することになる。10月4日時点の米株式リスク・プレミアムの推計値は,2001年末以来の水準に下がっている。上の式を変形すると,

  株価=1株当たり利益/(リスク・プレミアム+インフレ連動債利回り-潜在成長率)

となる。ここで1株当たり利益,インフレ連動債利回り,潜在成長率が変わらず,リスク・プレミアムが2000年以来の平均に戻れば,米国の株価は約38%減少すると計算される。つまり,リスク・プレミアムが下がっていることで株価は約38%割高になっていることになる。

 ただ,過去の事例ではこのリスク・プレミアムが大きく上昇するのは景気後退に入った後であり,上に述べたハイ・イールド債のクレジット・スプレッドやVIX指数の動きとも整合的である。米株の割高感は強いものの,景気後退が始まる前に市場がそれを察知し,リスク・プレミアムが上昇して株価が大きく調整することはなさそうだ。

 金融市場は経済の先を読んで動くと言う。金融政策の効果は時差をもって現れるので,中央銀行も経済の先を読んで政策を運営しなければならない。しかし,景気が拡大から後退に転じる肝心な局面おいて,金融市場も中央銀行も正確に先を読むことはそれほど得意ではないようだ。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3140.html)

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