世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2949
世界経済評論IMPACT No.2949

サムスン電子物語:如何にして今日を築いたのか

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2023.05.08

 サムスン電子は1969年に設立されたサムスングループの企業で,2021年の売上高は約2000億ドル。サムスングループの“金の卵を産む鶏”である。液晶テレビ,スマートフォン,メモリー部門は韓国を代表する製品群であり,世界でもトップシェアを占めている。垂直統合型生産様式によって,サムスングループに大きな強みをもたらした。

2代目李健煕時代・構築の基盤

 過去54年間の歴史を回顧すると,サムスングループは3つの時代を歩んだことがわかる。

 まず,1988年のソウルオリンピック以前の時代。サムスンは伝統的な電子企業であった。また,1980年代後半のサムスンは,情報領域に積極的に投資し,パソコン用液晶デスプレィの製造に着手した。その後,サムスンは大規模な転換を見せ,新しい運営戦略を構築。成功した企業モデルが形成された。

 1990年代以降,韓国の経済発展で人件費が高騰するようになり,2代目経営者の李健煕は,時代の変化を感知し,OEM生産路線を放棄。技術集約,資本集約による製品・重要部品の自社ブランド路線を選択するようになった。それにより,今日のサムスンは国際市場において不可欠の存在となった。

 当時,アジア諸国では勤勉で安価な労働力に依存するのが主流であった。李健煕は内部の反対者の意見を退け,在米の韓国系半導体研究者・専門家を招聘し,自社技術のR&D(研究・開発)を構築した。サムスンにとって大きな挑戦であった。そして10年にわたる努力の結果,1992年にサムスンは世界初の64MB DRAMを開発し注目を浴びた。それ以降,サムスンはメモリー領域にも参入するようになった。

 半導体産業の成功経験をもって,李健煕は大きな組織改造計画を断行した。1993年,李健煕は日系米国籍専門家のフクダ・シンジを顧問として招聘し,製品戦略と管理において大幅な改革に着手した。李健煕は「新経営会議(New Management)」を開催し,「妻と子供は変えることができないが,それ以外の全てを徹底的に変え,不良品を製造した従業員は“戦犯”として扱うとする」と檄を飛ばした。

 この新経営会議の要請により,サムスンはグローバリゼーションの活用とシステム統合を行い,常に新たな品質と価値を追求するようになった。従業員の意識改革を通じて徹底的にこれを実施させるため,1995年には品質不良品で返品された携帯電話機15万本を従業員の前で焼却した。強い意識改革のショック療法である。

 1997年のアジア金融危機による韓国のIMF危機(韓国がドル不足による破産危機に陥り,IMFからの借款受け入れという国の“恥”)の前に,サムスンは第5世代LCDパネルの生産ラインに投資していた。それによって,サムスンはLCDパネル発展の契機を獲得した。IMF危機時に多くの韓国財閥が倒産したが,サムスンはこれらの教訓をしっかりと捉え,企業の負債比率を積極的に改善した。

 サムスンの指導者は,品質管理と先端技術の重要性を深く理解することができた。新しい製品に投資し,製品の世界市場シェアでトップ2位以内の地位を維持することで,“ブランド”による経営上の高い利回り(報酬率)追求するようになった。

 2003年以降,サムスンは中国市場の開拓を中心に取り組み,2006年にボルドー(Bordeaux)系列の平面(非球面)テレビを開発した。イノベーションを通じて平面テレビの価値を追求するようになり,それ以降,サムスンのテレビ売上高は,ソニーを越えて,世界最大のテレビブランドへと躍進した。さらに,2010年には開発したスマートフォンのギャラクシー(Galaxy)が世界トップブランドの地位を獲得した。

 企業戦略や国際的競争戦略に関する研究の第一人者として知られるハーバード大学経営大学院教授のマイケル・ポーターは,企業がブランド,技術,コストのすべてにおいて,適切に管理・運営することは理想的であるが,極めるのは困難であると述べた。しかし,サムスンはメモリー,液晶パネル,テレビ,スマートフォンなどの製品のいずれでも,優れた業績を挙げた。

 唯一の例外は,李健煕時代に乗り出した非メモリー半導体の受託加工(ファウンドリー)に,2030年までに171兆ウォン(約17兆円)を投資し,TSMC(台湾積体電路製造)からファウンドリー・ビジネスのトップの座を奪取する野望を掲げた。野望は野望である。サムスンは2013に線幅28nm(ナノメートル),2015年と2016年に14nmにおいてアップルのiPhone向けのCPUチップの納入を勝ち取っていたが,それ以降はTSMCに負けている。また,2022年6月末に線幅3nm半導体チップの世界初開発を宣言したが,5nm以下チップのファウンドリー市場の8割以上は,今になってもTSMCが牛耳っている。

優秀企業家の決断

 2008年には世界金融危機の嵐が襲来し,当時,多くの企業が資金不足に悩んだ。サムスンは連続2年にわたり工場を拡大し,技術と規模の経済効果で価格の決定権を掌握し,メモリー界のライバルを市場から排除した。それ以降,サムスンはメモリーのトップの座を維持している。

 他のメモリー製造企業と異なるサムスンの最大の強みは,消費者電子領域で高い市場シェアを占めていることである。特にスマートフォンとテレビにメモリーが大量に使われ,サムスンが掌握した2大製品で高い規格を決定している。

 初代創業者の李秉喆の時代から,サムスンは韓国で影響力を持つ財閥である。韓国の大型財閥は,政治との関係が緊密な「政商」であり,常に重要な時期に大きな役割を果たしてきた。1997年のIMF危機に,韓国政府はIMFから580億ドルの借款をした。それにもかかわらず,サムスンは前述のように第5世代LCDパネル製造設備の生産ラインを投資した。この出来事は,韓国における「政商」機能が顕著に現れたものと考えられている。

 2010年代以降,サムスンは液晶パネルをOLED(発光材料に有機物質を使った発光ダイオード)に重心を移すことを決めた。主な理由は,この時期に中国の企業が伝統パネル市場で大きく進出し,“キャッチアップ”による脅威を回避するためだ。また,2つ折で収納できるスマートフォン用パネルへの発展もこの次世代OLEDへのシフトの成果である。遂に,サムスンはOLEDパネルの領域で世界の90%以上の市場シェアを獲得するようになり,2020年以前に伝統的液晶パネル生産ラインを閉鎖すると決定した。今日,サムスンは自社のOLEDを同じく自社のスマートフォンに供与できたことで,OLEDとスマートフォンの双方で世界をリードできるようになった。

 現在,サムスンは3代目指導者の李在鎔体制の下,2030年に世界の半導体設計(ファブレス)市場の10%,半導体製造(ファウンドリー)市場の35%シェアを目標に掲げた。サムスンにとって,ファブレスとファウンドリーの両者を同時に推進させるには多くの困難があり,厳しい挑戦であろう。サムスンのファウンドリー売上高のうち,線幅10nm以下の先端半導体の製造の売上高は,全社半導体の寄与度の4割未満であり,生産能力は最大ライバルのTSMCの約3分の1であり,8インチ換算で約97.3万枚である。サムスンがTSMCを凌駕することは,簡単に達成できることではなく,大きな試練でもある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2949.html)

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