世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2865
世界経済評論IMPACT No.2865

「極端なグローバル化」の終わりとウクライナ侵攻

森原康仁

(専修大学経済学部 教授)

2023.02.27

 1989年の冷戦終結にともなうアメリカ一強状態の出現はアメリカ主導のグローバリズムに帰結したが,これは「極端なグローバル化」ともいうべき時代の到来を意味した。1990年代から2010年代の過去30年間はこうした「極端なグローバル化」が政治,経済,社会のあり方を全面的に規定する時代であった。中国や東欧の20億人の人口があらたに世界経済に参入することで労働供給に質的変化がもたらされ,「グローバル・スキャニング」によってだれでも適時かつ安価に資源・食糧を手に入れることができるようになった。作り手が増え,原材料が安くなるので,物価は低迷せざるをえない。このことは日本をふくむ主要国の金利の低迷につながり,少子高齢化の下で拡大する社会保障費を公的債務で賄う条件もつくりだした。

 アメリカ一強による大規模な戦争の回避,調達と生産の全面的なグローバル化,コスト低減による物価低迷,物価低迷を前提した「国債バブル」の継続と低金利,少子高齢化に対応するための公的債務の拡大——,これらはこの30年間の主要国の統治の大前提であった。しかし,2020年代に入って,こうした「極端なグローバル化」の巻き戻しの流れが明確になってきたように思われる。

 もともと「アメリカ一強」はイラク戦争の失敗によって変調を来していたし,2013年にオバマ元大統領が「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と演説してはいた。また,こうしたアメリカの自国重視の流れは,みずから提唱したTPPへの加盟取りやめ,排外主義的主張の蔓延に結びつきもしていた(その典型はトランプ元大統領である)。これらは自国の提供する国際公共財にただ乗りし国内統治を強化する中国(「中華民族の偉大な復興」)やロシア(「新ユーラシア主義」),インド(「ヒンドゥー・ナショナリズム」)など大国へのいら立ちの現れでもあった。しかし,こうした大国の「自国第一主義」の弊害は2010年代には決定的な形では現れていなかった。

 そうした中で発生した2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は,2010年代に兆候的に現れていた諸問題をメインストリームに引き上げる「役割」を果たした。領土獲得を目的にして他国の主権を明示的に侵犯するという点で,ロシアの行動はそれ以前の「自国第一主義」とは質的に異なる意味を持つからである。

 注意したいのは,「主権平等の原則」は,時代によってその内実が変化してきたということである。冷戦期は,パクス・アメリカーナの下で西側諸国の間に階層的な同盟関係が形成され,「アメリカの覇権を容認する限りで」各国の主権は尊重された。冷戦崩壊後はこれが旧東側諸国の多くの国々にも拡大され,「紛争はあっても大規模な戦争はなくなった」と考えられた。この結果,産業・企業のグローバル化は極点に達した——その典型がトマス・フリードマンの『フラット化する世界』であり,スマートフォンの生産をめぐるアップルと鴻海精密工業の国際的な企業間工程間分業である。

 しかし,ロシアによるウクライナ侵攻によって,この種の常識は「非常識」になりつつある。すなわち,2000年前後にみられたグローバル化楽観論すなわち「極端なグローバル化」は消え失せ,大国は経済の論理ではなく安全保障の論理に傾斜するようになっている。

 足元では,こうした論理は「地政学的競争」と表現され,こうしたレトリックを用いて各国は外交上の指針を決定し,国内政策を執行している。その具体例は他分野にわたる。日本の事例でいえば,たとえば,半導体産業の「国内回帰」や同産業をめぐる日米協調,研究機関に対する「機微技術」保護の義務付けが挙げられるが,もっとも象徴的なものは,2022年12月に閣議決定された「安保3文書」である。日本政府も同方針にもとづいて軍備拡張路線を打ち出した。

 ほとんどの大国が地政学的レトリックを用いて外交・内政を展開する結果,世界はますます内向きになっている。この結果,過去30年間にみられたディスインフレと低金利も逆回転を始めており,債務依存に対する懸念が台頭している。イギリスのトラス政権が減税策を政権の方針にした結果,イギリスの国債市場が激しく動揺し,多くの年金基金が破綻の危機に陥ったのはその最初の事例である。少子高齢化は長期的で構造的なトレンドだから公的債務の拡大は避けられない。しかし,グローバル化が逆回転するならば金利は上昇し,これ以上の債務バブルを続けることはできない。年金制度は20世紀の社会国家の核心部分のひとつであり,ここに亀裂が入るということは,足元の統治体制にたいする人びとの疑念が急速に高まる契機になりうる。

 システムに黄昏の兆候がみえているのに,そのシステムに代わるオルタナティブが明確的ではないこと——。これをアントニオ・グラムシは「危機」と呼んだ。我々はまだ主権国家システムに代わる統治システムを「発明」できていない。しかし,そのオルタナティブはなく,主要国は目先「自国第一主義」で乗り切ろうとしている。グラムシの議論をふまえるならば,現代が「危機」の時代であるといってもよいだろう。ここに我々が直面する深刻な問題がある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2865.html)

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