世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
トランプ2.0の関税措置:相互関税の波紋と経済的合理性の限界
(専修大学経済学部 教授)
2025.05.26
2025年4月2日の「解放の日」(トランプ大統領)に,トランプ政権が打ち出した「相互関税」は,あたかも80年に及ぶグローバル化の潮流に終止符を打ち,世界経済を「脱グローバル化」へと導くかのような衝撃を与えた。数十パーセント,あるいは100パーセントを超える関税は,企業努力の限界をはるかに超え,事実上の禁輸措置,すなわち経済的デカップリングの宣告にも等しい。
しかし,その後の約1か月余りの政策の揺らぎと修正の過程は,グローバル・サプライチェーンが複雑に絡み合い,経済的相互依存が深化した現代において,一国の意志のみでこの潮流を完全に逆転させることの困難さをもまた浮き彫りにした。この混沌から,我々は何を読み解くべきだろうか。
「相互関税」の衝撃と政権内部の調整
発端は,トランプ大統領の側近,ピーター・ナヴァロ氏の思想的影響が色濃いとされる「相互関税」であった。かれのイメージする「反リカード的世界」においては,自由貿易,とりわけ中国とのそれは絵空事に過ぎず,比較優位に基づく国際分業の利益など期待できない。ゆえに,中国に対しては実質的な禁輸も辞さないデカップリングこそが必要であるとされた。事実,発表当初の対中追加関税30%に端を発する報復の連鎖は,この急進的な世界観を現実化する試みのようにみえた。
しかし,この過激な政策路線は,たちまち市場の激しい拒絶反応に直面する。株価の急落は問題ではない。4月第2週の米国債の異様な速さでの下落(金利急騰)と為替の急落は,古典的な資本逃避を想起させ,世界に戦慄を走らせた。この危機的状況下で,政権内部からの調整に動いたのが,スコット・ベッセント財務長官やハワード・ラトニック商務長官ら穏健派であった。
かれらにとって関税は,特定の世界像を強引に実現するための凶器ではなく,米国の「再工業化」や軍事産業基盤再構築のための「交渉手段の一つ」に過ぎなかった。それは,バイデン前政権の「スモールヤード・ハイフェンス」とも通底する,産業界や金融界がかろうじて許容しうる現実的アプローチといえよう。ナヴァロ氏不在の隙を突いたとされる大統領への直談判と,ソーシャルメディアを通じた(対中国以外の)関税一時停止の発表は,経済的現実が過激な政治的意志に一時的な抑制をかけた瞬間であった。
米中経済関係の現実と第3国協議
とはいえ,対中政策においては,報復合戦の末に累計145%という異常な関税率が維持されたままであった。この「事実上の禁輸」は,ビジネスの現場で価格転嫁の動きを加速させ,iPhoneのような大衆的製品の価格が50%以上跳ね上がる懸念すら生じさせた。
これは,トランプ政権の支持基盤である中間層以下の市民生活を直撃し,支持率低迷と中間選挙を控えるホワイトハウスにとって看過できない事態であった。くわえて,4月の中国の輸出統計が示すように,長年にわたり中国からの広範な財供給に深く依存してきた米国にとって,国内での代替調達は容易ではない。極端な関税は,輸入数量の急減よりもむしろ急激な輸入インフレという形で自国経済への打撃となって跳ね返ってくる。
こうして,水面下での米中交渉が模索され,紆余曲折の末に5月10~11日の「ジュネーブ協議」が実現する。そこで米国は,累計145%のうち115%を引き下げ,フェンタニル対策を名目とする「国別関税」20%と全世界一律の「相互関税」10%を合わせた30%(分野別関税は別)という水準で中国との妥協点を見出した。
経済的合理性と政治的合理性
この一連のプロセスは,二重の,そして一見相反するかにみえる含意を我々に示す。第1に,いかに強硬な意志を持つ政権であれ,国境を越えて張り巡らされたサプライチェーンと深化しきった経済的相互依存という構造的制約を完全に無視することは不可能であるという,ある意味で常識的な命題の再確認である。ベッセント財務長官のような存在が,その種の合理性の担い手として機能したといえよう。
しかし,より深刻に受け止めるべきは第2の含意である。それは,かかる経済的合理性が自明であるにもかかわらず,ナヴァロ氏の唱えるような,従来であれば非合理主義の極みとして顧みられなかったであろう急進的政策が,一時的にではあれ実行に移されたという厳然たる事実である。
国際政治理論のウィリアム・フッカーがカール・シュミットに触れて論じるように,「政治的なもの」から何かを「発掘」しようとする者と,それを「埋もれたままにしておきたい」者との間の緊張関係が続いている。シュミットが自由主義のグローバルな台頭を災厄とみなしたように,この対立軸はトランプ政権内部の相克にも投影されていると解釈できよう。アシュトン・カーター元国防長官が,かつて2017年のトランプ・プーチン会談に際して嘆いた「カテドラル(大聖堂)の崩壊を見ているようだ」という言葉は,この「政治的なもの」の不穏な蠢動への深い憂慮を示している。
だとすれば,経済的合理性によって「政治的なもの」の衝動を封じ込められるという楽観的な想定は,この根源的な対立から絶えず生成される「衝撃」によって,足元を掬われ続けるだろう。産業や企業にとって,それは保険計算可能な「リスク」ではなく,本源的な「不確実性」として降りかかる。真に必要なのは,シュミット的なものの誘惑――あるいはその非合理主義に依拠して世界を再構成しようとする勢力――を生み出す政治的・社会的土壌,すなわち深刻な所得格差や政治的疎外といった現実に正面から向き合い,それに対する適切な処方箋を提示しうる政治的構想力ではないか。トランプ2.0の混迷が示唆する,より公正で持続可能なグローバリゼーションへの道筋は,まさにこの点に見出されるように思われる。
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