世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2626
世界経済評論IMPACT No.2626

ECBの出口の今後

高屋定美

(関西大学商学部 教授)

2022.08.08

 7月21日に,欧州中央銀行(ECB)は利上げを決定した。およそ11年ぶりとなる利上げとなり,ECBはいままでの金融緩和環境から引き締めへとレジームを転換させることを決めた。しかも予告では0.25%の利上げであったが,実際には0.5%の利上げを決め,インフレへの警戒を強めた印象を与えることになった。資源価格上昇をうけ,インフレ期待は高止まりしており,インフレスワップ金利(5年先5年物)も今年5月上旬には2.4%を超えており,7月にはいって若干下がったものの2%台が続いている。また,ECBの専門家調査(Survey of Professional Forecast)でも,長期的インフレ予想が前回(4月)の2.1%から2.2%に上昇しており,このことがECBに予告以上の金利引き上げをさせたといえる。

 その一方で,ユーロ圏での成長率の落ち込みも懸念される。IMFの世界経済見通しによる2022年時点での予測値は2021年時点での成長率予測値よりも低く,2022年の成長率予想では,−1.1%,23年予想では,−0.2%低い成長率予想を出している。これはウクライナ危機による資源価格上昇による景気への影響を織り込んだものといえるが,ECBによる利上げの影響は織り込んでいない。そのため金利引き上げがどの程度,欧州の景気にさらなるマイナスの影響を与えるかに関心を払う必要がある。EUが公表している景況感指標も下落し始めている。

 したがって,ユーロ圏ではインフレ予想は高めに推移しつつ景気が悪化する局面にさしかかっている。ロシアによる欧州へのガス供給再開が確認されたことは政治リスクを引き下げるものの,依然として不透明感はぬぐえない。そのため欧州の各国政府は節電を呼びかけたり,新たなエネルギー供給減を探している。このことが欧州の景気に暗い影を落としており景況感はさらに悪化することも予想される。そのような中での利上げであり,今後の政策運営がより難しさが増している。具体的には,利上げをするにしても0.5%の利上げではなく,利上げ幅は0.25%にせざるをえないであろう。

 また,今回のECBの出口戦略に新たな手段が追加された。これは金融市場の分断化を回避するために,TPI(伝達保護措置)というものが導入された。金融資産価格の急激な変化は,債券市場でも外国為替市場でもみられ,株式市場での急激な下落にはサーキット・ブレーカーが働く。投資家たちの(心理的な)センチメントによって資産価格が変動するのは通常は,当然とされ,何らかの当局による市場介入は,新たな歪みを生み出す可能性がある。ただし,急激な変化には当局の人為的な介入も許容されることもある。

 今回,市場分断化対策のためとしてECBが導入したTPIは,過剰な財政赤字などを出すことなく健全な経済政策を維持することを条件にして,自国による政策の失敗などではなく金利が上昇した国の債券を購入するというものである。対象は公的部門の債券だけでなく,必要に応じて社債も含まれる見込みである。TPIの発動には,一定の厳格な条件を付けることが求められ,ECB政策理事会内のタカ派への配慮もうかがえる。

 たしかに,ユーロ圏全体の金利が上昇する局面では,各国金利が一応に上昇するだけでなく,経済運営に危惧のある諸国の金利が大幅に上昇することが想定される。そのためECBの金利政策の伝達が極端にふれる可能性はある。巷間,この対象になるのがイタリア国債になるのではないかと考えられている。この9月にドラギ首相の辞職が決まり,政治リスクの高まりがイタリア国債の金利上昇に反映されることを抑制するため,TPIの対象になるのではとの見通しが多い。ただし,9月に右派政権が成立し,EUと対立する姿勢をとれば,TPIの対象にならない可能性が高い。たとえば新政権が財政再建に後ろ向きで構造改革にも消極的隣,EUと対立すれば,ヨーロピアン・セメスターの下で来年度の予算編成も進まず,TPI発動の条件である欧州委員会による勧告に準拠できなくなる。

 そうであっても,イタリアの金利上昇を防ぐには,6月に導入されたPEPP(パンデミック緊急購入プログラム)の満期償還時の再投資資金の活用策を用いて,市場分断リスクを引き下げることが重要となろう。既に,その枠組みでの金利上昇策は実施されている。8月2日に公表されたECBのデータでは,独仏国債の保有額を減らし,その代わりイタリア,ギリシャ,そしてスペインの国債保有を増やしている。

 では,なぜ6月の活用策に続いてTPIを導入したのであろうか。再投資資金の活用だけでは資金量が少ないことに加え,厳格な発動条件を付帯するTPIの導入により,ECBの介入が財政などのマクロ経済政策運営を弛緩させずに,ファンダメンタルズ要因以外で混乱する金融市場を沈静化させたいECBの狙いがあったものといえる。ただし,2012年に導入された国債購入策,OMTのように抜かずの宝刀になる可能性はある。TPIが導入されたことで,投資家たちに一部のユーロ圏加盟国の国債売りを自制させる狙いもあると考えられる。

 以上のように,22年7月からECBは新たな金融政策のフェーズに踏み込んだ。それとともに,今後,難しい金融政策運営が求められる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2626.html)

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