世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2254
世界経済評論IMPACT No.2254

五輪・中国メダリストの光と影

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2021.08.16

 東京オリンピック2020は,1年遅れの7月23日から8月8日にかけて開催された。アメリカは金39,銀41,銅33の計113個のメダルで,最多の獲得国になった。中国は金38,銀32,銅18の計88個のメダルで第2位。日本は金27,銀14,銅17の計58個のメダル獲得数で第3位,開催国の面目を保った。

 オリンピックメダル獲得アスリートの様々な知られない出来事は,マスコミの報道で,注目のマトになった。

金メダリストの“光”

 8月5日,中国の女子10メートル高飛び込みアスリート全紅嬋は,5回中3回の満点で金メダルを獲得した。圧巻の優勝のため,14歳のヒロインの生い立ちが注目を浴びるようになった。

 マスコミのインタービューに対し,全紅嬋は「自分が金メダルを獲得するのは,カネ(メダル獲得者の奨励金)を稼き,母親の病気治療費に充てるためである」と語り,その目から涙が溢れた。通常,社会主義国家アスリートのインタービューで,「政府・首脳の支援に感謝する」という画一的で“無難な回答”になるが,全のそれは異なり,純粋な素直さを感じさせた。

 マスコミは全の家庭に注目するようになった。全は広東省湛江市(たんこうし)農村の低所得家庭(中国では「低保戸」と呼び,年間所得額は現地の最低生活保障基準よりも低い家庭を指す)で,サトウキビと果物の栽培農家である。母親は病気に罹り,2017年に自動車事故の大けがで入退院を繰り返し,家計が更に悪化した。

 出身地の湛江は「中国水泳・飛び込みの故郷」と呼ばれた。全は身体能力に優れ,7歳で初めて飛び込みを行い,11歳に広東省代表チームの一員に選抜され,13歳には中国の国家チームの一員に選抜された。2020年10月,東京五輪とワールドカップの選考会を兼ねた中国全国飛び込み選手権で,一挙に金メダルを獲得した。指導コーチによると,毎日のトレーニングは飛び込み400回以上であり,全の優れた身体能力ゆえに,進歩が極めて速かったという。

 「家にはおカネがないから。遊園地や動物園に行ったこともない」,「お菓子を食べたい。遊園地や動物園にも行ってみたい。とにかく遊びたい。UFOキャッチャーもやってみたい」とは,全の試合後の言葉である。全の育った環境は中国の貧困家庭であり,遊園地や動物園に行きたいという子供の単純で純粋な夢は,仮に全がメダルを獲得することができなかった場合,直ぐに忘れられてしまうだろう。

 しかし,金メダリストになった今,彼女の待遇は異なるようになる。中国のマスコミによると,政府から少なくとも50万人民元(約800万円)の報奨金が得られ,現地の工商連合副主席の車子豪は彼女に家1軒を贈呈すると宣言し,広東達智投資公司は店舗付き1軒家(全の親が商品雑貨屋を開店希望)を贈呈,某企業は20万人民元(約320万円)を贈呈する。さらに,某病院は全の祖父と母親の医療費を無償で治療し,某遊園地と動物園は全を招待するとする報道があった。

 他の中国の金メダリストと同じように,全は“時代の寵児”になり,名誉と利益が得られるが,仮にメダルを獲得できなかった場合は,貧困家庭であろうとも何も得られないことを意味している。

 全の金メダル獲得の翌日から,湛江市の実家は“著名な観光地”になり,やむを得ず全の親は家の扉を閉じて観光客の到来を断ることになった。今まで見たことがない遠い親戚も訪れるようになった。全の母親はメディアのインタービューで,娘が金メダリストになってから多くの親戚が「思いやりを示す」という皮肉な出来事になったと語った。

メダリストの“影”

 東京オリンピック期間,元ユニバーシアード金メダルの中国体操アスリート張尚武の写真がネットで流れた。

 張は中国国家チームのユニホームを着て,片手に喜捨金入れのお椀,片手に「張尚武」の名前を書いた紙を持ち,地下鉄の車両の中を回っていた(筆者が北京の地下鉄の車両で物乞い人の様子を見たことがあり,片手にテープレコーダーを持ち,喜捨の要請の音声が流れている。片手に喜捨金入れの箱を持っていた。大変驚いたが,その風景はよくあると言われている)。

 1983年に生まれた張は2001年の北京第21回ユニバーシアードで,2つの金メダル(つり輪の個人と団体)を獲得した。一説によると,当時,張は中学2年生であり,18歳未満であったが,中国が大学生のスポーツ祭典のユニバーシアードでメダル獲得のために,張を体育大学生1年生とし,ニセの学歴を使わせたと言われている。

 しかし,2005年に両足踵の腱を断裂し,現役からリタイアを余儀なくされ,張の生活は一変した。北京や天津などでアクロバットの大道芸人で生計を営んでいた。その時期に,生計のために,窃盗で3回も牢屋にも入り,獲得した金メダルも手放した。地下鉄車両での「物乞い」の写真は現実生活の一面を赤裸々に描いている。

 元重量挙げの鄒春蘭は中国で非常に有名な選手である。1971年に吉林省で生まれ,1990年の中国全国重量挙げチャンピオンとなり,48キロ級世界記録更新を果たした。鄒の青春時代は重量挙げのトレーニングに全てを投入し,別の技能を身に着けることが出来なかった。

 1993年に鄒がリタイアした後,彼女の生計に問題が発生した。鄒はトレーニング期間にコーチから男性ホルモンであるアンドロゲンを長期にわたり服用させられていた。薬名「大力補」というアンドロゲンを含む薬物を長期にわたり服用した結果,鄒はリタイア後,体内の男性ホルモンが一般男子よりも多くなり,明らかな喉頭隆起(喉仏)や髭の男性の性徴が出,妊娠することもできず,“薬害”の被害者となったのである。鄒の身の上に起きた出来事は中国のメディアで報道され,地方政府や機構から限られた協力が得られた。鄒はサウナでアカスリの仕事を経て,クリーニング店を持つようになった。その多くは鄒の努力によって,生計の圧力を克服することができた。

 中国のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)では,ネットユーザーがアスリートのリタイア後の生計を重視するよう,中国当局に対し呼び掛けている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2254.html)

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