世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2192
世界経済評論IMPACT No.2192

グローバリストによる民主主義の攻撃

三輪晴治

(エアノス・ジャパン 代表取締役)

2021.06.14

第二次世界大戦後フーヴァー大統領の告白

 アメリカ第31代大統領ハーバート・フーヴァーは,その自伝(『Freedom Betrayed』)の中で「アメリカのルーズベルト大統領と取り巻きの極左系のグループが仕組んだ先進国アメリカと後進国の日本・ドイツとの戦争」であったと言っている。そして,日本から戦争を仕掛けるようにルーズベルトが,ハル国防長官の「ハル・ノート」(最後通牒)などにより仕組んだものであったという。石油をアメリカに頼っていた日本に対して,アメリカは,「ABCD包囲網」で,経済制裁として,石油の輸出をストップした。そのために日本は自衛のために石油をアジアに求めて行かざるを得ず,戦争に突入した。フーヴァーは,「日米戦争は,日本が仕掛けたのではなく,アメリカの狂人ルーズベルトが起こした」と言っている。フーヴァーが1946年5月に日本に来てマッカーサーに会って会談した。「私(フーヴァー)が,日本との戦争のすべてが,戦争を開始したいという狂人(F・ルーズベルト)の欲望であったと述べたところ,マッカーサーも同意した」,「やる必要のない戦争をやり,その結果として世界的に共産主義の進出を許し,アメリカの中にも広めてしまった」と言っている。マッカーサーも「太平洋においてアメリカが過去100年間に犯した最大の政治的過ちは,共産主義をチャイナにおいて強大にさせたことだと私は思います」と言っている。

 形としては,第二次世界大戦は,アメリカと中国が組んで,日本に戦争を仕掛けたのである。ルーズベルトの祖父は中国へのアヘンの商売で富をなした人であり,ルーズベルトは中国共産党,ソ連共産党とも通じていたようである。ルーズベルト大統領の閣僚には多くの共産主義者がいた。

共産党勢力の世界的な拡大

 重要なことは,第二次世界大戦後から,漁夫の利を得て,ソ連共産党勢力,中国の共産党勢力が世界的に拡大して来たことである。あるアメリカ人は,ヤルタ会談にスターリンを入れたことが間違いであったと言っていた。1917年レーニンは国際金融資本家グループから資金をもらってソ連共産党をつくり,ロシアを乗っ取り,ソビエト連邦の経済を拡大してきたが,1991年に内部崩壊してしまった。1949年毛沢東が同じように国際金融資本家グループから資金をもらい中国共産党を結成して農村から都市に勢力を伸ばし,中国全体を支配下においた。1978年鄧小平が「改革開放」により,アメリカと日本が資本と技術を持ち込んで「世界の工場」をつくり急速に経済力と軍事力を拡大させた。2010年にはGDPで日本を抜き中国は世界第二位の大国になった。1991年以降,中国共産党勢力が世界中に活動の場を広げてきている。中國共産党は,ソ連と違い,「超限戦」でいろいろの形で,世界の国々を侵略している。今日の世界の構図は,中国共産党とアメリカとの戦いではなく,中国共産党を含めた「グローバリスト」が世界の民主主義国家を攻撃し,侵略しており,これにトランプが立ち向かっているのである。

アジア諸国は植民地から抜け出し独立した

 第二次世界大戦の終了により,有色人のアジア諸国は長い間西洋諸国の植民地であったものが独立することができた。インドネシアの場合は350年ぶりに植民地から独立した。そういう意味でアジアの諸国は日本に感謝している。だが日本は敗戦以降今日までアメリカの属国になっている。

グローバリスト共産党勢力の発展と衰退

 1917年「国際金融資本グループ」が金を出してレーニンにソ連共産党を作らせ,そしてユダヤのテロ組織がテロの手口をレーニンに教えた。それによりレーニンのソ連共産党は,ロシア皇帝を倒し,ロシアを乗っ取った。レーニンの共産党は国家というよりも「テロ組織」であった。レーニンはコミンテルンを組織して世界を共産主義にするために動き出した。

 共産主義国家,全体主義国家を維持するには,全体主義,共産主義思想や統治のやり方に反対するものを即座に排除しなければ,その体制は崩壊する。そして外へ外へと侵略を続けなければ崩壊する。レーニン,スターリンは,その反対意見の何百万人もの人を粛正し,殺してソ連共産主義社会を維持した。毛沢東も「人民の開放」と言って,数千万人の農民や反対派を殺した。

 共産主義国,全体主義国は,「計画経済方式」でものを生産する社会であるが,計画経済生産はインフラ建設,武器生産を含む「生活必需品」の生産では旨く行くが,人民大衆のための消費物質の「便益品」の生産は旨く行かない。計画経済社会では,社会に必要な人の好みを満足させる「便益品」を適切に予測して生産し,供給することはできない。そのために,ソ連は,計画経済の破綻による経済の停滞とそれによる人民の貧困による反抗で1991年に崩壊した。つまり1917年から1960年ぐらいまでの生活必需品の時代はソ連経済の成長率は,資本主義国より高かった。しかし,それ以降「便益品」時代に入り,ソ連経済は衰退し,ついに1991年にソ連は崩壊した。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2192.html)

関連記事

三輪晴治

最新のコラム