世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
国際化の移ろいと国際性
(関東学院大学経営学部 教授)
2021.03.29
いまさらながらのところもあるが,「国際化」の議論は,常に古くて新しい。ただ,COVID-19のなか,また米中摩擦の深まりのなかで,これまでのいくつかの論考に依拠しながら,あらためて考えてみることも有用だと考える。
例えば,江夏(1970)(注1)は,1960年代末当時をとらえ,「国際化時代」の集約的で象徴的な事象として,資本取引の自由化を背景として加速化的に著増した直接投資,またその担い手である多国籍企業の進展,およびそれにともなう諸問題の表出をあげている。「国際化」は歴史的概念であり,米国的自由貿易政策=「自由化」と連続体をなす現象としての把握である。さらに要約すれば,直接投資は,貿易のようにフローではなく,投資ストックの累積的効果で,受入国に雇用および経済発展,ひいては経済的厚生をもたらす,いわば資源の世界的規模での最適配分を促すという議論を「タテマエ」とすれば,多国籍企業とは何か,また保護貿易主義の論理などに通ずる議論が「ホンネ」の部分である,となる。ジードが(注2),自由貿易主義政策は帝国主義的,保護貿易主義政策は国家主義的といった議論にもつながる。これらをふまえれば,自由化→参入障壁の撤廃→完全競争の実現となれば,「国際化」の概念は終わることになるが,いまだ終わっていない。江夏(1970)のいうように,誰がための国際化であるのかという価値基準が,対応策が必要となったときに問いただされ,論理が再構築されることになる。
矢野(1986)(注3)は,「国際化」論は,国家論と結びつけないかぎり,それ自体意味がない,という。それは,国益の恣意的な延長としての国際化と,世界の望ましい調和化と秩序化への筋書きとしての国際化の議論の可能性を問い,国際化を国家のあるべき姿を求める努力ととらえる。その意味で国家論と結びつく。矢野は,国家を閉鎖系から開放系に変えていく努力と結びつけ,国家あるいは国家主義を国際化によって中和化されなければならないという。個人・企業・国などそれぞれの国際化を考えれば,当然のことながら,その受入側に,度合いの違いはあれ,少なからずの影響を与えることは間違いない。相互作用のゆえである。中和化の議論は,70年代80年代の,ややもすると日本のなかでの傲慢とも言われかねない国際化への論調に対する懸念が基底にあったのだろう。そこで,摩擦の少ないかたちで国際的に定位させるための努力=国際化,という国際的定位の議論につなげた。
粉川(1991)は,80年代から90年代に至る当時の,21世紀の「地球の中心」は東京だという論調に,その根底に,東京が「国際化」度合いを加速させているという思い込み,また新種のナショナリズムの萌芽を感じ取っていた。粉川は,「国際化」を日本企業の海外進出とセットにあったとするが,「インターナショナリゼーション」に含まれる「領土などを国際管理におく」という意味はもとより,日本の物理的・身体的・情報的スペースを外に向かって開放するものではなかった,という。つまり,人的・情報的・物的通路が自由通路となっておらず,国境による閉鎖性のなかにある。したがって,当時のそれは,表層的な国際化で,深層的には国際化でなかった。ブランド品・希少品などの輸入の「高度化」が進んだ状況であったが,それは国際性の度合いの低下をもたらしかねない。高度化と国際性の反比例状況,表層的な高度化は,かえって海外文化に対する閉鎖的な態度さえも生み,場所性の希薄ないし喪失となりうる。「国際性」が異なる文化をもつ人びととの多様な交流,コミュニケーション概念であるとすれば,異なる文化との多元性また共存が求められる。しかしながら,単に物品のみを輸入することだけでは,深層的な国際性をもつとは言えない,というのである。
太田(2011)(注4)は,Knight(2008)にもとづいて,高等教育の国際化を「高等教育機関と,システムの目標,教育(学習),研究,サービス提供など大学の中核的機能に,国際的,異文化的,そしてグローバルな特質や局面を統合する多面的かつ多角的なプロセスである」としている。国際化は,ゴールではなく,「プロセス」であり,「進化的かつ発展的な特質の外延」である。1990年代半ば以降,ICT(通信情報技術)革命によって,ヒト・モノ・カネ・情報などの地球規模での展開が顕著となったとはよく言われる。この動きが一般的にグローバル化(グローバリゼーション)の進展である。そうしたなかで,学術ネットワークも地球規模での構築が進み,教育研究の国際的な協働と競争が一段と進んだ。これにかかわり,Knight(2008)は,グローバル化と国際化を峻別し,グローバル化は高等教育・大学それぞれの国際化の触媒であり,高等教育・大学の国際化はグローバル化の反応装置であった,といったのだ。
以上,1970年代以降の「国際化」にかかわる議論のいくつかをランダムにみた。江夏(1970)の議論は色あせていない。1990年年代半ばまでの日米間の摩擦が「自由化」論の連続体のなかでとらえられるとすれば,昨今の米中間の摩擦以上ともみられる動きは,根幹的な価値基準において,強者の論理的に,いわば帝国主義的に「特色ある社会主義体制」の構築を進める中国と,すべての人の権利尊重など根本的な信念の違いにもとづく米国の国家主義的な対応策とのぶつかり合いともいえよう。
国際化が国境を越えることであるとすると,究極的には国レベルでは国と国との国境を無意味な状態にしていくことである。しかし,国家の性格を変えなければ,それは難しい。アクターとしての企業ないし個人レベルで考えれば,国際化の進展は,ある意味でがんじがらめの国を越え,ある国のある場所(都市等)に,精神的を含めて,越境できる可能性を高めていくことになる。そこで,「国際性」が問われることになる。国際性がコミュニケーション概念,また心の問題と考えれば,今日の文字だけでも声だけでもなく映像・翻訳機能なども含め,他とのコミュニケーションの容易性が高まっている状況を踏まえれば,人と人との接触・交流が表層的ではなく,深層的にしていく要素は多い。ただ,こうした状況のなかでの懸念は,アイデンティの近い人などとのつながり「のみ」となることである。そうなると,国際性がかえって低下することにもなりかえない。となると,これまで以上に「異なる」ことへの柔軟性・柔らかさ,ひいては寛容さが求められることになるのだろう。
[注]
- (1)江夏健一(1970)「国際化経済の分析視角」『貿易と関税』Vol.18,N0.10(1970年10月)参照。
- (2)シャルル・ジード(1930*訳者推察)「国際貿易の問題点-その協同組合論的展開」(江夏健一[1973]『国際貿易と多国籍企業』八千代出版,pp.145-217,所収)
- (3)矢野暢(1986)『国際化の意味—いま「国家」を超えて—』NHKブックス509, 日本放送出版協会。
- (4)太田浩(2011)「大学国際化の動向及び日本の現状と課題:東アジアとの比較から」『メディア教育研究』第8巻第1号, S1−S12.
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