世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1653
世界経済評論IMPACT No.1653

ASEAN中心性の試金石になる南シナ海行動規範(COC)策定交渉

石川幸一

(亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

2020.03.09

 ASEAN中心性はASEANの最も重要な原則となっている。ASEAN中心性の公的な定義はないが,ASEANの公文書ではアジアの地域協力で「ASEANが中心的な役割(pivotal role)を果たし,推進力(primary driving force)となる」ことを意味している。アジアの経済統合でASEANが主導的な役割を果たす意味でも使われる(注1)。

 ASEAN中心性の判りやすい例は,ASEAN+3(日中韓),ASEAN+6(日中韓印豪NZ),東アジアサミット(EAS:米ロが加わりASEAN+8)などの東アジアの会議である。これらの会議はASEANの会議に併せてASEANで開催され,ASEAN議長国が議長を務める。

 ASEAN中心性がASEAN公式文書に最初に登場するのは2006年7月の第39回ASEAN外相会議の共同コミュニケである。ASEANが中心になるというコンセプトは,すでに1989年のAPEC創設の際に打ち出されている。ASEAN各国は当初APECに反対あるいは消極的だったが,「ASEANが会議で中心的かつ積極的役割を果たすこと」を条件として賛成に転じた。1994年に発足したASEAN地域フォーラム(ARF)では,①ASEANが中心的な役割を果たし推進力となる,②会議運営はASEANの規範と慣行をベースとする,③ASEAN外相会議(AMM)に合わせて開催しAMM開催国が議長となるという「ASEAN中心性」の実質的な中身がASEAN事務局のコンセプトペーパーに明記されている。

 ASEAN中心性はASEANの基本条約であるASEAN憲章でASEANの目的と原則と規定されており,ASEAN経済共同体(AEC)2025ビジョンとブループリントでも明記されている。

ASEAN中心性の効用

 ASEAN中心性により,ASEANが中心となって会議や協力で主導権を発揮することにより,域外の大国に比べると経済力,政治力,軍事力で弱小な国の集まりであるASEANが加盟国の利益を守り,主張を実現することが容易になる。たとえば,米国,中国,ロシアなど域外大国が参加する東アジアサミットの3つの参加条件(①東南アジア友好協力条約(TAC)に参加,②ASEANの対話国,③ASEANと実質的関係を持つ)はASEANが決定した。

 ASEAN中心性は域外国,とくに域外大国にとっても有用である。域外大国はASEAN中心性という概念が存在することによりASEAN各国政府や国民の反対を招くことなく,東南アジア地域への関与を行うことができるのである。域外大国はお互いよりも(たとえば,日本と中国,米国と中国,中国とインド)ASEANを信頼しており,自国のイニシアチブによりアジアの地域主義を進めるよりもASEAN中心性を受け入れていることは驚くべきことではないと指摘されている(注2)。アジアの経済統合はASEANが中心となる形で進展している。日本が主導権を取り進めた場合は韓国や中国の反発があっただろうし,中国が先頭に立って進めることは脅威論やインドの反発が予想され,経済的にも安全保障面でも各国に脅威とならないASEANが中心となり主導する形が結果的に最も円滑に進んだと考えられる。

不可欠なASEANの団結

 ASEAN中心性が機能するために欠かせない条件はASEANの団結(unity)である。しかし,この条件を揺るがすような事態が生じている。2012年7月のASEAN外相会議では,議長国カンボジアが南シナ海での中国の行動を批判する文言を共同声明に入れることに反対したため,ASEANの歴史で初めて共同声明を発表できなかった。中国はカンボジアの最大の援助国,投資国であり,カンボジアは一帯一路構想を熱心に支持するASEANの親中国である。中国はマネー外交によりカンボジアに影響力を及ぼしており,中国の権益が関係する事案ではカンボジアは中国の意向を受けた発言・行動を行っている。

 中国は,ASEANのインド太平洋構想(AOIP)策定過程でもカンボジアを通じた中国の影響力を行った可能性があり,AOIPは中国を排除しないインド太平洋構想としてまとめられた(注3)。中国はAOIPの具体化の過程で影響力を行使することが可能となったのである。今後,中国のカンボジアを通じた影響が懸念されるのは南シナ海行動規範(Code of conduct: COC)策定交渉である。COCは2017年8月のASEAN中国外相会議で「COCの枠組み」に合意し,2018年11月のASEAN中国首脳会議で3年以内に(2021年に)COC策定で合意,2019年の首脳会議でも2年以内の策定で一致している。

 COCは次のような争点がある。①COC適用の地理的範囲,②法的拘束力の付与,③紛争解決メカニズム,④監視メカニズムである。中国は,監視メカニズムには賛成したが,法的拘束力の付与と紛争解決メカニズムは一貫して反対で,カンボジアは中国に同意した(注4)。さらに中国は,⑤第3国との合同軍事演習は全てのCOC署名国の合意が必要,⑥域外国の資源開発の禁止を要求している。法的拘束力のないCOCは,南シナ海行動宣言(Declaration of Conduct: DOC)のように実効性のない文書になってしまう。

 内政不干渉を規範とするASEANではカンボジアの親中行動に縛りをかけることは難しい。2020年は南シナ海の領域紛争の当事国であるベトナムがASEANの議長国である。ベトナムでは,「ASEANマイナスX方式」の採用というアイディアがでている(注5)。「ASEANマイナスX」はサービス貿易自由化など経済統合で採用されており,全ての国が同時に参加するのではなく態勢の整った国が先に自由化を進めるという経済統合の方式である。ASEANの意思決定はコンセンサス方式だが,ASEANマイナスXは大きな経済格差など実態に合わせた柔軟な対応である。中国との交渉の前にASEANの中で意見が割れているようでは交渉にならない。ASEANマイナスX方式の採用やASEANの沿海国がグループを作るなどの対応策を真剣に検討すべきである。

[注]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1653.html)

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