世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.968

親日国モンゴルの対日感情悪化と日馬富士問題の本質(その1)

田崎正巳

(STRパートナーズ 代表)

2017.12.18

対日感情悪化の懸念

 日馬富士の騒動が起こってから,1か月が過ぎている。この間,モンゴルに関係する日本人や日本にいるモンゴル人は何度も周囲の人から「モンゴル人について」聞かれたりした。そして,一番懸念した通りの最悪の結果になってしまった。この間の報道の過熱ぶりはひどく,遠くモンゴルにまで飛び火して日本のマスコミが訪れたり,モンゴル国内でも大きな関心事として取り上げられた。当初は「ああ,またモンゴルの男が酔っ払って喧嘩したか。いかにもありそうなことだ。」と比較的冷静にしていたモンゴル人たち(在日,在モンゴルの両方)も,いろんな報道が出てくると見方が大きく変わってきた。

 現在のモンゴル国内での大半の見方は「日馬富士は酒飲んで喧嘩しただけで大した話じゃないのに,日本人親方の政治的意向で引退させられた」,「モンゴル人が日本人にいじめられているのではないか?」,「日本人じゃないから,ここまで追い詰められたのではないか?」というものであり,対日感情悪化の兆しが相当出ているのである。段々「超親日国モンゴル」との認識の差による軋轢も感じ,二国間問題に発展する可能性すら出てくる始末である。私はこの点について非常に懸念している。

 今もって何が事実であるかわからないが,最終的に日馬富士が引退発表したことで,大きな節目を迎えたことは事実であり,この場を借りて「モンゴル国側が理解できない本質的な問題」を記そうと思う。当然,事件の全容解明にはほど遠いし,警察の判断もまだなので,今後どういう展開になるかはわからないという前提である。

 最初に結論らしきことを言うとすると,「今回の事件は日本人横綱が起こしたとしても,暴力事件が警察沙汰になれば同じように引退するしかないだろう。つまり,モンゴル人だからということが理由ではない。」ということである。過去にも,横綱や親方が不祥事を起こして引退させられたり,廃業したりした例はあり,それらと比べても今回が異例の扱いには見えないからである。

 私がここで書こうとするのは,なぜ日馬富士がこのような事態に陥ってしまったのかの,根本的問題についてである。そしてそのことは,モンゴル側からは全く見えないので,認識差がどんどん大きくなっていくのである。モンゴルとの付き合いが15年を超え,モンゴルにも住んだ経験のある身として,モンゴル側の事情や立場を理解したうえで,以下述べていきたい。

 いくつかの問題が複合的に原因となり,それがこうした悲しい結果になってしまったと考える。大まかに言うと,「1,日本社会を理解する」「2,なぜ品格とか,わけのわからないことを言い出すのか?」「3,相撲界の裏事情」の3つが要因となっているように思える。

1.日本社会を理解する

 モンゴル人力士たちは,顔は似てるけど社会構造や習慣が全然違う日本に少年の時にやってきて,一生懸命に日本社会を理解しようとする。日本語は話すだけでなく,読み書きもできるように努力する。そこでいくつか「モンゴルにあまりない慣習」については,より一生懸命に学ばないといけない。その代表例が「先輩後輩」という関係である。

 今回の日馬富士の記者会見では,日馬富士は何度も「先輩として」という言い方をしていた。私は「ああ,日馬富士は日本の習慣を身に着けたうえで起こした行動だと言いたいのだろうな」と感じた。なぜならモンゴルにはあまり「先輩後輩」という概念がないからである。

 年上の人を大切にする,というのはモンゴル人は誰もが持っている。特にお年寄りを大切にする気持ちは,少なくとも今の日本の若い人よりはモンゴルの若者のほうがずっと大きいと言える。自分の祖父母はもちろん,知らないお年寄りも大切にする慣習はとても強いのである。だがモンゴルには日本的な「先輩後輩」という意識はない。

 言葉にしにくいこの概念を,日馬富士は相撲部屋で見て,体験して一生懸命学んだことであろう。相撲部屋は恐らく今の普通の日本人では考えられないほど,上下関係に厳しく,入門が1年でも違えば先輩後輩であり,後輩はまるで奴隷のごとく先輩の言うことを聞かねばならない。口答えなんて持っての他である。相撲に限らず,野球やサッカーでも暴力不祥事はよく起きている。しごき,という名のイジメ,一方的な価値観の押し付け,白いものでも先輩が黒と言ったらそれは黒が正しい,など日本人なら経験なくとも大概のことは推測できる。

 そしてそれらとセットになっているのが「組織としての隠蔽」である。高校野球だろうが,一流企業だろうが,あるいは自殺にまで追い込んだ中学生であろうが,そうしたハラスメントは日常茶飯事なのに,それが一旦,外部に漏れそうになるとその組織は「隠ぺい」に走るのである。それはサッカー部の監督でも小学校の校長先生でも一流企業の幹部も同じである。

 これも日本の特徴なのである。モンゴルは大体において,あけっぴろげであっけらかんとしているので,あまり隠すということはしない。私はこうしたモンゴルにはない「先輩後輩の関係」つまり,先輩は絶対であり,後輩は奴隷並み。口答えしたら,ぶん殴ってもイジメてもいい。ばれそうになったら,組織としては「隠蔽する」のが正しい,ということを日馬富士らモンゴル人力士たちは一生懸命学んだと思う。なぜなら,これらは全て「Made in モンゴル」ではなく「Made in 日本」なのである。

 そして日馬富士はその通りのことをした。日本人よりも日本人らしくやった。ところが,貴ノ岩はまだモンゴル人らしさが残っていた。「先輩後輩?だから何?」「なんで先輩のくだらない説教を聞かなければならない?」という普通のモンゴル人らしく振舞ったのであろう。

 ここに悲劇が起きたのである。恐らくモンゴルにいたままであれば,日馬富士や白鵬も「後輩に説教」なんかするはずもないし「後輩が話を聞かない」からという理由で怒り出すこともない。そんな習慣はないのだから。こういう考察がゼロのまま,一生懸命に日本人的行動,特に相撲界では「常識」「良いこと」とされる行動がこんなに非難され,犯罪者扱いまでされることに関して,日馬富士が納得していないのは当たり前のことなのである。

 マスコミなどの批判には,モンゴル人力士が日本の伝統や習慣がわかっていないことを理由に挙げる人がいるが,逆なのだ。先輩が後輩を「態度が悪かったら,ぶん殴っていい」というのは,日本から学んだのである。そして協会も含め,日本人らしく「不都合なことは隠蔽せよ」との慣習に従っているのである。こうした理解なしに,今回の事件を日本とモンゴルの文化的な差や「日本人とは違う」といういい方は,全く的を射ない批判である。日本人そのものの行動なのである。(続く)

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