世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.906

日本人の思考力と言語力

三輪晴治

((株)ベイサンド・ジャパン 代表)

2017.09.04

(1)世界経済社会の液状化

 この10年,世界的に経済,政治は混迷し,液状化してきている。これはハイパーグローバル化,マネー資本主義の行き過ぎで,世界的に所得格差が拡大し,それによる分裂,不信が各層で起こり,既得権者との対立の中で,社会は益々混乱,混沌の度を深めている。そしてこれは資本主義経済活動の「制御構造」が崩れてきているためであるとも言える。トランプのアメリカも,ブレグジットやEUの内部も,そしてアメリカとEUの反目もこうした混乱の結果である。

 しかしその中で日本は,別の意味で,大変重症であると言わねばならない。最近の日本の国会の議論を聞き,そして1989年以降の私のアメリカ企業での仕事の経験からして,日本人はその思考力と言語力では,これからの21世紀の国際社会でまともな仕事ができないのではないかと感じるようになった。特に国際的なビジネスで,普通の日本人はその議論の中心に入り込めないことを見てきた。日本の外交においても同じことである。日本による外国企業のM&Aで成功しているのが少ないと言われているのもこのためである。これは日本人が西洋人より劣っているためではない。日本人の「思考力」と「言語力」に問題があるのではと思う。社会を発展させ,企業を成長させるには,国民が,(1)ものの本質の究明力,(2)相手に対する説得力,そして(3)イノベーション力を持つことである。その基本がその国民の思考力と言語力である。

 ここ一,二年の日本の国会の論議を見ていると,その問題が深刻なものであることが分かる。国のいろいろな重要な問題に対して,それぞれ既得権者のプレッシャーを受けて議論しているが,本当に「何が国民国家にとって重要か」を究明する本質的な議論が欠落しているのだ。いやそれを排除しているようにも見える。結果は,すべて現行の六法全書を基準にして正か不正かの議論をし,そして国会答弁は,言質を取られないように「言語明瞭・意味不明瞭」で,問題や原因の追究ができなく,結果的には何を審議したか分からず,うやむやにしてしまっている。

 「デフレ状況ではないが,デフレ脱却には至っていない」「アベノミクスのエンジンを最大にふかす」「一億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」などという意味不明のものが多い。危なくなると事実の隠蔽があちこちで起こる。このために日本では,国として何か問題が起こっても誰も責任を取るものがいないという不思議な風土ができている。最近の森友学園問題,加計学園問題,PKO日報問題,共謀罪,憲法改正,働き方改革など,何故それが日本にとって重要なのかの議論が抜けており,野党,マスコミも徹底して問題を追求しない。なれ合いのセレモニーに見える。これは日本の政治だけの問題ではなく,民間の企業においても同じことが起こっているのだ。つまり基本の本質論を避けて,形容詞を並べて枝葉の議論に終始しているのだ。抽象的な言葉の「成長戦略」「骨太の方針」「抜本的」などだけが踊っており,言葉遊びでしかない。外国人にはSo What?(何いっているの?)と言われてしまう。これは本当に空恐ろしいことである。

 特に悪いことは,日本社会の風土として,ある問題が出てくと日本の「秀才」は,その時点でもっているありあわせの知識で素早く問題の落としどころを決め,解決策を示す。それにより,ろくでもない施策で対処しようとしてきた。残念ながら,問題の本質をとことん究明するという癖と能力が日本人にはないのだ。だが日本人が劣っているとか,馬鹿だと言うのではない。日本の思考力と言語体系と風土がそうなっていると言うのである。

 つまり日本では重要な問題は困難なことが孕んでいると分かると,その問題の本質には迫らないで,うやむやにし,先送りする風土がある。ある人を追い詰めて徹底的に,血祭に上げることを好まない。互いに傷をなめるのがよしとされる。国会の与野党の質問で,同じ問題でせいぜい2回,あるは3回質問したら終わる。何も本質は明らかにならない。しかしこれではイノベーション,改革は起こらない。思考力,言語力は,日本の国力に関係するものである。

(2)日本人の思考力と言語力の問題点

 西洋人と日本人の思考力,言語力には大きな違いがある。柳父章氏による日本語の問題点はこうである(柳父章著『翻訳文化を考える』,『近代日本語の思想』)。日本文化の伝統は,大事なものは陰に隠すもの。「主語」は発言されない。「秘すれば花」の「秘の文化」があるという。日本語の文の展開は,文末にくる述語に向かっている。展開というよりも,集約し,閉じようとする強い傾向がある。外山滋比古氏は,日本語は線的な論理ではなく,点的な論理で構成されていると述べている。逆に何度も問い続けることを忌み嫌う。和歌,俳句はこの凝縮である。日本は遠い彼方の夢を語ることをしない。つまり柳父氏によれば,日本語は大事なことは陰に隠すもの,極限追求を拒否する。極限追求は粋ではないとし,何故何故と聞くことは無礼だとした。そのために日本人は広い空間には出ないし,出されると怖くなる「広場恐怖症」にかかっていると言われている。今日の若者も海外には行きたがらない。自分の四畳半の部屋が一番安心できると言う。

 リービ英雄は,日本人は常に一つの小さな共同体に身を置き,その枠の中からものごとを考えると喝破している。そして日本には人間の色恋や私情を描写する「小説」はあるが,人間社会の「公」,「公益」,「国民国家の公益」という「大説」がないと言った。逆にこの国では,天下国家を論じても「詮なきこと」と皆が思っているようだ。「小説」しか書かない。鎖国の日本でならまだしも,国際社会のなかではこれではやっていけない。

 西洋の言葉は,直線上にいくらでも展開可能な,開いた論理をもっていて,極限追求の構造を持っている。関係代名詞を使い先へ先へと広がるものになっていて,問い続ける発想法であり,相手に説明しやすいものになっている。「科学」はこの極限追求によりもたらされるものである。どこまでも問い続け,無限の彼方にまで至ろうとする。しかも西洋は,嘘,詐欺的なもの,あるは仮説的なものから真実,本物が出てくるものと考えている。違った考えの人を説得するにはこのような言語力が必要。

 そして西洋は,神話,夢,ビジョン,構想,虚構,恐怖を創造し,すべての人を動員して国民的公益を究明し,それを神とともに新しい社会の発展の筋道として明らかにして,現実のものにしてしまう。これが創造的破壊であり,イノベーションである。

 そういう意味では,日本人の思考力,言語力は西洋のものとは真逆である。日本では「何故何故の連続」を忌み嫌う。三段論法の発想がなく,弁証的発展の思考が起こらない。これは企業の中での議論もそうである。

(3)正しく5回質問すれはどんな難問も解決

 こうした日本の古来の言語については簡単には変えられない。しかしかつて日本の製品の品質の高さが世界を風靡していたころは,日本では品質管理のツールとして何故何故を連発する「5Why」は最も重要なものであった。しかし5Whyは日本のものづくりにおける品質向上,コスト削減で大きな役割を果たしたが,残念なことには一般の日本の社会活動の思考の中に5Whyが入りこまなかった。もともと文科系の筆者はシリコンバレーのハイテクの半導体企業のなかで,5Whyで質問するとほとんどの難しい技術の問題の本質を究明することができた。素人だから恥もなく簡単なことでも質問できる。5Whyは難しいことではなく,子供はそれをやってきたのだ。

 これを国会での討議に適用すれば議論は様変わりするはずである。5Whyによると,どんな質問が出てくるか予測困難になり,国会質疑の八百長の問答集を作るのが少し難しくなるが,しかし真相が明確になり,言い逃れができなくなり,嘘は通らなくなる。これにより日本人の思考力,言語力も強化できる。

 筆者の経験であるが,次期の技術商品を開発するとき,技術担当者は自分の現在の能力で開発できるレベルの技術開発ターゲットを提案してくる。「それで世界市場が席捲できるのか」と問うと,返事がない。つまりその技術商品を開発しても成功しないのだ。そこで「ターゲット」をより強力なものに上げようとすると,「これこれの理由でそれは出来ません」と言う。そこでそれは何故できないのかと聞くと,具体的に説明してくるが,更にそれは何故ですかと聞き続け,その質問を4回ぐらいやると,やや考えて,ああこういう方法がありますねと言ってくる。良い案ができて,これで市場で勝てる強力な商品が開発できる。こんな経験を何度もした。ことの本質を究明するにも,異質の人を説得するにも,これが極めて重要になる。

(4)日本経済の再発展のために

国際社会での説得力:外国人との打ち合わせで日本人は議論の中に入り込めない。スマイル,スリーピング,サイレント。これは日本人がシャイなためではなく,思考力,言語力が劣っているからである。三段論法,Why, Becauseが旨く使えない。相対的な日本産業の衰退問題もこれに起因する。日本産業の商品技術は世界市場を支配できるものは極めて少ないのはこのためである。世界市場を制覇するという気持ちで商品開発をしていない。日本の外国企業のM&Aではあまり成功したものがない。説得力からくる経営力の問題のためである。

 日本人には議論の中で哲学や歴史が語れない。「歴史的パースペクティブ」を持たないと説得できない。外交は単なるコミュニケーションではない。

ものの本質の究明力:日本の商品・技術のレベルの低さは,5Whyによるものの本質の極限追求がないことからきている。企業の商品技術のスペック・ターゲットを技術屋に造らせると,達成できないと困るので容易に自分のできそうな低いレベルのターゲットにする。イノベーションはパラダイムシフトで,頭を切り替え,考えに考えて生まれるもので,簡単に落としどころが決まるものではない。これは5Whyで究明できる。

夢とビジョン:今の日本の経営者は夢を語れない。これも日本の言語風土からきている。日本で成功した数少ない企業の経営者は夢を語った。ソニーの井深大氏,ホンダの本田宗一郎氏,松下の松下幸之助氏,クロネコヤマトの小倉昌男氏など。これが無ければ企業は大きく成功しない。西洋は夢を語り,夢を追う。旧約聖書にもそれが明確に記されている。

地球全体を見る眼:日本は,グローバル市場を見据えたビジネスが弱い。世界をリードするロードマップができない。広場恐怖症で,世界標準が取れない。世の中の動きは全体で見なければ本質が分からない。日本は文明の開化が遅れたため,急いで追いつくには専門家を育てた。日本人は専門馬鹿になってしまった。殆どの日本の大学もユニバーシティではなく「単科大学」になっている。西洋は,社会科学と自然科学との総合が徹底している。常に高い位置から全体を見ようとする。今求められているのはシステムの総合力である。つまり日本は局所の最適化は旨いが,全体の商品はマネジできない。特殊な素材,部品には強いところがあるが,スマートホーン,検索ビジネス,ビッグデーター・ビジネスなどのシステム全体の主役になれていない。

イノベーション力:ビル・エモット氏は,「ジョセフ・シュンペーターが資本主義の精髄とした創造的破壊は,日本には存在しなかったようだ」と言った。そして「日本は,成功ではなく停滞,保守主義,硬直化のケース・スタディになった」とまで言っている。大変失礼な話だが,どうもそれが本当であるのでやむを得ない。

 これには,日本人は思考力と言葉力を変革しなければならない。これは日本人だけが悩んでもできそうもない。世界の優秀な人を呼び寄せ,その中で自らを変える必要がある。それには,優秀な人材が世界から集まるような魅力ある国にしなければならない。日本ファーストではなく,「輝ける日本」にしなければならない。思考力,言葉力を変革するとイノベーションも生まれてくる。

教育を変えること:日本の戦後の教育に問題があるのかもしれない。日本の教育は総て定まった内容を教え込む,覚えさせるものである。疑問に思ったことを質問させることは許さない。問うこと,疑問に思うこと,疑ってみることを禁止する教育である。教科書にないもの,あるいは教科書と違うものは間違いであるとする。本当は,答えのないものを考えさせることが必要なのだ。日本は答えのあるものを教え,それを覚えこますのが教育と思っている。答えのない問題を考えさせる教育が必要である。日本のこうした言語風土の問題は,大学と企業が連携して。大改革運動をすることにより可能になる。同時にアメリカに派遣する。歴史を勉強する。

日本人の役割:今や西洋の一神教にも限界が来ている。かつて一神教の欠陥を多神教が補完しようとする時代があったが,すぐキリスト教の強力な世界的な布教活動により消されてしまった。西洋自体で分裂があちこちで起きている。トランプのアメリカ問題に極端な形で表れている。西洋の一神教の限界のなかで,本質の究明も答えは一つではない世界に我々はいる。グローバル化,国家主権,民主主義のトリレマンの解決は,そしていろいろの分裂の修復は,東洋思想を持った日本人がやる仕事である。お釈迦様の「三性の理」,「三方よし」である。日本人も歴史的パースペクティブを体得し,5Whyで世界を解きほぐしてゆくことである。

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