世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.852

21世紀資本主義経済社会の知恵と戒律:日本の再生の道(その2)

三輪晴治

(ベイサイト・ジャパン 代表取締役)

2017.05.29

(3)人類5000年の歴史の知恵と戒律

 しかし,これから21世紀資本主義経済社会の構築は,制御装置を単純に修復するだけでは済まない。政府要人,産業人,そして国民の道徳,理念を変えていかなければならない。つまり,グローバル化,新自由主義で,過去30年世界の産業界の人々,政府要人の考えも大きく変わってき,それまでの倫理,道徳,戒律を忘れ去ったしまった。現在のものの考え方では,経済制度の再設計だけでは,新しい豊かな社会はできない。

 幸い,人類の5000年の歴史のなかで編みだされた「知恵」に,その道が示されている。人類の歴史のなかで生み出された知恵がある。この「知恵」なしにはこの資本主義経済の修復・改革は旨くゆかない。特に日本のこれからの世界の資本主義経済社会に必要な知恵をもとに,それを生かす必要がある。それが日本の役割でもある。

1)イノベーションを通じてでしか人間社会では生きられない

 先ず,資本主義経済の発展はイノベーションによって成し遂げられるものである。イノベーションの衰退が経済社会を混乱に陥れることはこれまでの歴史で思い知らされた。人類の歴史の知恵は,イノベーションをどうとらえているのか。お釈迦さまは出家をされ,人間の生きる道を会得されたというが,お釈迦さまの教えの神髄は,何事にもこだわらないことであるという精神であり,お釈迦さまが出家されたのは,それまでのしがらみを捨て,新しい世界で新しいことをやるためであった。出家をしたのは,別の人たちと一緒になり,努力により最高の幸福を獲得するということであった。これがお釈迦様の「出家の精神」であり,新しいベンチャーの世界に入ることでもある。つまりイノベーションを起こすことである。これが小乗仏教の本質であるが,日本は大乗仏教として変質され,諦めの思想になり,イノベーションとはかけ離れていった。

 旧約聖書に安息日というものがある。金曜日の日没から土曜日の日没まで,すべての労働を停止し神の礼拝のために集い,神の栄光と人々の慰安のために捧げられるものと理解されているが,単に何もしないで休むのではない。知的労働の日であり,頭のチャンネルを切り替えて,こだわりなく新しい世界に思いを寄せることである。つまりイノベーションを起こす行いである。

 お釈迦様の出家は単なる出奔でも,諦めでもない。現世の価値観にどうしても満足できない人たちが集まって作る新しい社会がこの世には各所に存在するが,自分も俗世の生活を放棄して,そのような新しい社会のメンバーとして参入すること,これが出家の意味である。

 お釈迦さまもユダヤ教も,これまでのことにこだわらず新しいイノベーションを進めることを説かれているのだ。安息日も,これまでのことを一切忘れて,新たな気持ちで,世の中が必要としているものは何かを神とともに考え,心のスイッチを切り替える日である。これまでのことにこだわらず,社会全体を見渡して,何が必要か,何が足らないか,そのためにはどんな新しいことが起こせるかを考えることである。全てを常に洗い替えをすることである。これまでの世界では,些細なことに拘泥し,紛争を興したり,イノベーションの道を失っていることがあまりにも多い。

2)歴史と共に生きる

 ある賢人は「舟を前に進めるようと思ったら,人はうしろを向かなければならない」と教えている。未来を推し量るのは,過ぎ去っていく過去という両岸を見て前に進むしかない。常に原型復帰のチェックをかけながら先に進むことである。これがなければ暴走してしまう。あるいは目先だけしか見えないことになる。日本人は過去という歴史は,神話も含めて,自分とは別の昔の物語と見ているので,歴史の流れ,社会の構造としての歴史が見えない。そのために,何が行き過ぎたのか,何が足らないのか,これからどこへ行くべきなのかが分からない。

3)秤を持つこと

 これもヘブライの時代からの戒律の一つ。しかも人間は二つの秤を持ってはならない。現実の人類の歴史を見ても,世の中はどんどん変化してやまないことが分かる。一つのことが終わってもそれが終わりではない。それは区切りに過ぎず,これを乗り越え新しい時代が展開する。絶えず「来るべき終末」を意識し,それを乗り越えるのが人生であると心得るべし。それには人生,社会の「秤」を持ち,「原器」を軸として,アジャストしていかなければならない。同時に秤を基に移り替わる時代を分析し,行き過ぎれば秤をもとにこれを是正する。日本人は現在の立ち位置の理解力とセンサーがないと言われている。日本にはこの「秤」が欠落している。

4)適度という哲学

 「適当」,でも「中庸」でもない,「適度」である。お釈迦様の教えも,旧約聖書の教えも,「適度」ということが極めて重要なことであることを説いている。何事も「適度」に行う,ほどほどにする。行き過ぎないこと。これは簡単なことのようだが,極めて難しいもので,人類の長い歴史のなかでの重要な知恵である。N乗で,天空の外まででないこと。マルチ商法,無限の核分裂ではすぐ行き詰る。バベルの塔,イカロスの翼の教訓を人類は時々忘れてしまう。

 グローバル化の行き過ぎは命取りになる。過ぎたるは及ばざるなり。ドイツの産業はこれを守っている。ドイツの隠れチャンピオン(グローバルニッチ企業)は,量は追わない。どんなに注文が来ても,あるレベル以上は量を拡大しない。それ以上拡大すると,その商品の本質を見失い顧客の満足度が維持できないことを知っているのだ。ドイツではジャガイモは床下に隠すという言葉がある。実物経済,実体経済を離れてはならない。「売りの範囲で買いを立てる」というシカゴの精神である。実体経済を離れたウォールの金融資本を諫めたものである。孔子が70歳で会得した「心の欲する所に従えども矩を踰えず」である。

5)三方良し

 日本の近江商人の知恵「三方良し」。売り手良し,買い手良し,世間良し。特に世間という「全体」を満足させるという精神が重要であるが,それが近代は欠けていた。特に売り手と買い手だけではない,「全体」が良くなるのかを考える必要がある。倫理道徳を前提としたアダム・スミスの「自己の利益をどこまでも追及すると調和のとれた豊かな社会になる」という言葉を,市場自由主義の信奉者は誤解してしまった。国際産業競争で相手をせん滅してはならない。相手をも生かす道を探すことである。相手の企業・産業を殲滅すると必ず報復・敵討ちとなる。その報復は永遠に続く。日本は1980年代,「安くて良いものを売ってどこが悪いか」と豪語し,アメリカの電器産業を価格切り下げ競争で殲滅してしまった。アメリカの敵討ちとしての逆襲はそこから起こり,2000年には日本電子産業もアメリカにより殲滅されてしまった。

6)神に挑戦すべからず:人工知能との共存

 バベルの塔,イカロスの翼の教えは,人間に神に挑戦することを諫めてきた。しかし今日の「人工知能」の進化は神に逆らうものとなりそうだ。イカロスの翼が溶けるための危険ではなく,人工知能が人間を襲う可能性が出てきたことだ。人工知能はプロの棋士を打ち破り,今日でも,日本の労働者の仕事の49%を奪うと言われている。カレル・チャペックの戯曲『ロボット』のように,ロボットは人間に逆襲してくる。初めは邪心を持った人間が「ロボット」「人工知能」で他の人間を襲撃しようとしたが,やがて人工知能は人間の支配をはねのけ,人間に逆襲することになる。今や「ロボット」が「人工知能」になっている。その兆候はすでに出ている。人間を助ける人工知能にしなければならない。中国の易経の「地天泰」の心である。それには人間そのものが,これまで述べた「倫理」,「イノベーション」,「歴史」,500年の人間の「知恵」から学ばなければ,人工知能を人間の仲間にはできない。人間の心に邪心があれば「人工知能」もそのようになる。人間がそうした倫理,知恵により,資本主義経済を制御できるようになれば,人工知能も人間のパートナーになるであろう。

関連記事

三輪晴治

国際経済

科学技術

最新のコラム