世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.851
世界経済評論IMPACT No.851

日本のエネルギー産業の成長戦略:新地平拓くベトナムでの二つのプロジェクト

橘川武郎

(東京理科大学大学院イノベーション研究科 教授)

2017.05.29

 2016年の3月と4月にベトナムを訪れ,日本のエネルギー産業の成長戦略を体現する二つの事業現場を見学させていただく機会を得た。3月は,日本の大手LPガス会社・サイサンが主宰するGas One(ガスワン)グループのホーチミンでのLPガス供給事業の現場であり,4月は,出光興産が三井化学などとともに北部ニソンで建設中の製油所・石油化学コンプレックスの現場である。

 ガスワングループは,日本のLPガス事業のアジア展開に関して,パイオニアと言うべき存在である。かつて韓国でLPガス自動車事業を根づかせることに一役買ったし,現在では,ベトナム・モンゴル・中国・インドネシアで手広くLPガス供給事業を手がけている。

 そのなかでガスワングループのプレゼンスが特に大きいのは,ベトナムだ。サイサンが2012年10月に75%出資の最大株主となったSOPET Gas One社(設立は2006年5月)は,ホーチミン近郊に本社・充填所を置き,約130社の工場および約70店のレストランと取引を行っています。年間のLPガス販売量は5万7000トンであり,2名のサイサン社員と76名の現地スタッフが働いている(訪問時の数値。以下同様)。

 それだけでなくサイサンは,ホーチミン証券取引所に上場しているAnpha Petrol Group JSC社に48%出資を行い,ベトナムで2社目となるガスワングループ企業が誕生した。同社は,ハイフォン市・ロンアン省にターミナル,ハノイ市・ホーチミン市に充填所を擁し,88のリテールショップを展開して,LPガスを直接顧客に販売しています。従業員数は788名にも及ぶ。

 2015年度におけるAnpha Petrol Group JSC社とSOPET Gas One社の合計LPガス取扱量は,13万7967トンに達した。ベトナム全体のLPガス需要量は167万1000トンだったから,Gas Oneグループ両社の合計シェアは8.3%となった。ガスワングループは,ベトナムで第3位を占める堂々たる大手LPガス供給事業者なのである。

 ベトナムのLPガス業界では,安全確保,安定供給,適正取引を一括して「日本品質」とみなすとらえ方が広がりつつあるという。ホーチミン近郊のSOPET Gas One社の基地・充填所では,LPガスを入れるシリンダーに,「Thuoug Hieu Nhat Ban」と刻印されているのを目撃した。「日本品質(商標)」を意味するベトナム語だそうだ。この言葉を記入して以来,シリンダーの売行きは向上したとのことである。日本人として,嬉しい話だ。

 目をアジアに転じれば,今まさにLPガスは,人びとに「豊かで幸せな暮らし」をもたらしつつある。これから,その勢いはさらに強まるだろうし,その範囲もアジアを超えて世界に広がることであろう。LPガスが人びとを幸せにしつつあるアジア市場。日本のLPガス企業がそれをも視野におさめるならば,新たな成長の道を切り開くことが可能だろう。

 一方,首都ハノイから南方に200km以上離れたタインホア省ニソン地区は,ついこの間まで静かなたたずまいの農漁村だったそうであるが,今では,日本の,いやアジアの石油・石化産業のあり方を変える一大製油所・石油化学コンプレックス建設の槌音が鳴り響き,活気に満ち溢れている。このニソン製油所は,モータリゼーションが進むベトナムにとってなくてはならない,期待の星だ。2005年に23万5000バレル/日だったベトナム国内の石油製品需要は,2010年には33万6000バレル/日となり,2015年には44万7000バレル/日まで増えた。2020年には58万3000バレル/日に急伸する見通しである。しかし,現在のところ,ベトナム国内には,日産14万7000バレルのズンクアット製油所しか存在しない。ここに日産20万バレルのニソン製油所が加われば,同国の石油製品自給率は,一挙に向上する。

 ニソンの建設現場に足を踏み入れると,その20万バレル/日の常圧蒸留装置(トッパー)があまり目立たない。重油直接脱硫装置(RHDS),重質油分解装置(RFCC),プロピレン製造装置,キシレン製造装置など,他の製造設備が,日本国内では想像することが困難なほど巨大だからである。なかでも,8万バレル/日のRFCCは圧巻だ。世界最大ではないが,ワールドクラスであることは,間違いない。

 このニソン・プロジェクトを推進している事業主体は,ニソン・リファイナリー・アンド・ペトロケミカル・リミテッド(NSRP)。NSRPの出資比率は,出光興産35.1%,クウェート国際石油35.1%,ペトロベトナム社25.1%,三井化学4.7%である。ニソンを舞台に進行しているのは,ベトナム北部に日本の出光興産と三井化学の技術によって製油所・石油化学工場を建設し,そこでクウェート産の重質原油を処理して得た製品を,ベトナム国内で販売しようという,壮大でグローバルなプロジェクトなのである。

 ニソン・プロジェクトが実現すると,日本の石油業界は,第二次世界大戦後長く続いた,国内を対象にした消費地精製方式の枠組みから脱却することになる。しかし,それはけっして,消費地精製方式の終焉を意味しない。石油需要が伸び続ける国や地域で新たな形で展開する,消費地精製方式の進化形だとみなすべきである。この方式こそ,日本の石油産業の成長戦略の核心をなすものである。ニソン・プロジェクトは,ベトナムの石油産業を大きく変えるだけでなく,日本の石油産業のあり方を根底的に変貌させるインパクトをもつ。

 消費地精製方式の進化形を完成させるため,出光興産はベトナムで,製油所の建設にとどまることなく,SS(サービスステーション)の事業にも乗り出そうとしている。2016年4月,クウェート石油と折半出資で,ベトナムでの石油製品小売事業に携わるIDEMITSU Q8 PETROLEUM LLCを設立したのが,その表れである(Q8は,クウェート石油がヨーロッパを中心に展開するSSのブランドである)。同社のSS事業は,早ければ,ニソン製油所・石油化学コンプレックスの商業運転以前にも始まる。ベトナムの地で日本の石油産業は,大きな変貌をとげようとしている。

 日本国内では,LPガスの民間需要も燃料油の需要も,長期にわたり減少傾向をたどっている。しかし,目をアジア市場に広げれば,LPガス産業も石油産業も新たな成長戦略を追求することができる。そのことを実感することができた,2016年春のベトナム行であった。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article851.html)

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