世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.780

Brexitはトランプ現象と同根なのか:EUに内在する構造的課題の特異性

金原主幸

(経団連 国際経済本部 シニア・アドバイザー)

2017.01.16

 昨年を振り返ると,英国のEU離脱(Brexit)への国民投票結果と米国大統領選でのトランプ氏の勝利という世界的なインパクトを持つ2つのショックがあったが,その背景と要因については多くの共通点が指摘されている。移民排除,格差拡大,反グローバリズム,反エスタブリッシメント等々である。おそらく,いずれの指摘もそれなりに正しく一定の真理を含んでいる。しかしながら,両者の共通点ばかり強調しすぎると問題の本質を見誤る恐れがある。Brexitは英国側の一方的な選択だが,根源はむしろEU側にあるというのが筆者の見立てである。事実,反EU,反移民の動きは独,仏,オランダ等を含む多くのEU加盟国内で強まっており,所謂EUエリート層は危機感を募らせている。

 Brexit問題によって,長年にわたりEU内に蓄積していた課題と矛盾がこれまで以上にはっきりと顕在化し,EU域外でも注目を浴びるようになったと筆者は解釈している。そこで本稿では,Brexitの遠因とも言えるEUの構造的,制度的課題について3つの重要なキーワードに焦点を当てることによって,目下全く結末不明なBrexit交渉の今後を観察していくうえでのひとつのヒントを提供してみたい。そのキーワードとは,第1が“superstructure”,第2が“subsidiarity”,そして第3に“democratic deficit”である。いずれも抽象概念であり翻訳困難だが,一般的には夫々,「上部構造」,「補完原則」,「民主主義の赤字(欠如)」などと和訳されることが多い。この3つは日本ではあまり馴染みのない用語だが,EUの本質に迫ろうとすると必ずぶち当たる言葉である。

 まず“superstructure”である。EUの文脈の場合,むしろ超国家組織と訳すほうが実態に近いだろう。EUは所謂国際機関ではない。国際機関とは国連,世銀・IMF,OECD等のようにあくまで各国政府の主権を前提とした文字通り国家間の機関である。これに対して,EU(欧州委員会)は通商政策はじめ多くの経済分野において加盟国から国家主権の移譲を受けている。そして何よりユーロという単一通貨が導入されている(英国は不参加)。またEU機関のひとつである欧州裁判所には政府のみではなく,個人や法人が直接提訴することもできるが,これもEUが超国家的組織であることの証左である。EUは,1957年のローマ条約の締結以来,紆余曲折を経ながら拡大と深化を遂げてきたが,多くのEU指導者層が抱く将来像は欧州合衆国の実現である。それは,欧州軍の創設も視野に入れた政治同盟的な概念であり,欧州統合の究極的な姿である。

 問題は,英国がそうしたEUの将来ビジョンを共有していないことである。英国内のEU離脱派が「主権を取り戻せ」と声高に叫んでいるのは,これ以上EUがsuperstructure化することを受け入れたくないからだ。Brexit交渉の前哨戦で,EU側がヒトの移動の自由についてはEUの基本原則の一部であるから絶対に譲歩はないと繰り返し強調しているが,これは欧州域外の如何なる国家関係においてもあり得ない基本原則だ。21世紀型,未来志向型と言われたTPPですら,ヒトの移動の自由化など端から交渉の対象外であった。EUは国家間の経済連携の次元を疾うに超えている。superstructureと呼称される所以である。

 次に“subsidiarity”について。これは「地元(加盟各国,各地域)に根付いている活動についての意思決定はできるだけ下位の行政体で行うべき」(ジョセフ・スティグリッツ),あるいは「自分たちでできることは自分で,コミュニティでできることはコミュニティで,国家でできることは国家でやる。主権国家を超えたところに委ねるべきものもあるが,その場合でも自分たちを規律する基本的なものは,すべて地域社会の内部に確保する」(田中直毅)といった概念である。長年にわたるEUの権限拡大の歴史のなかで,ブラッセル批判をかわすための便法だったとも解釈できる。欧州委員会が絶大な権限を持つ競争政策の分野などはその応用例だ。だが,この原則は必ずしも十分広範に活用されてきたとは言えず,それが英国はじめEU域内での反EU感情を助長する一因でもあった。「なぜ日々の生活の細かいところまでブラッセルの連中が決めたことに縛られなくちゃならないのか」といった反発である。鶏卵のダース単位販売の禁止(量り売りの強制)などは卑近な例である。

 これに対してEUのガバナンスを正面から批判する用語が,“democratic deficit”である。5年に一度の選挙によって国別に選出される議員から構成される欧州議会は,影響力を強めつつあるとは言え,肝心の法案提出権はなく,本来の意味での議会からは未だ程遠い。EUでは,民主主義の大原則である三権分立のうち行政にあたる欧州委員会が圧倒的な権限を持つ。政策の最終的決定権は加盟各国の担当閣僚から構成される理事会にあるが,実態は,選挙で選出されたわけではない欧州委員と官僚がEUの法令(規則,指令等)を立案し加盟各国に執行させている。今後,欧州統合の深化が進めば進むほど欧州委員会の権限がますます強まるのは,EUの構造上,火を見るより明らかである。この流れに英国はいよいよついていけなくなり,その我慢の限界に達したのが,昨年の国民投票の結果だったとの見方も可能である。そうした英国民の不満や苛立ちは,大陸欧州の国々の一般大衆もかなり共有している。

 かつて,明確なビジョンと強烈なカリスマ性によってEC92(欧州単一市場)を完成させ,さらに政治統合を推進しようとしたドロール欧州委員長は,ブラッセルを訪問した経団連会長一行に対して「われわれが欧州統合を推進する理由はふたつある。欧州で二度と戦争を起こさないためという政治的な理由と,米国や日本に負けない経済力をつけるためという経済的な理由だ」と喝破した。欧州統合は指導者層の熱い情熱と強い政治的リーダーシップがなければ,ここまで実現しなかっただろう。だが,民主主義を前提とする限り,一般大衆との長期ビジョンを十分共有できていないまま突き進めば,バックラッシュはBrexitだけでは終わらない。EUは試練の時代に突入した。


 *以上はすべて筆者の個人的見解である。

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