世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
重要性が増す多国間条約と日本の課題
(新潟県立大学 学長)
2016.02.01
第二次世界大戦後,多国間条約は着実に質量的に増加している。それは戦争で死亡する戦死者に反比例している。21世紀にはいってから,もう一つの世界趨勢で重要なのは,米国リーダーシップが衰退の方向へと進んでいるように見えることである。イアン・ブレマーほど衰退の方向を主張する必要はないかもしれない。しかし,多国間条約は一層重要なものになってきているのは疑いない。グローバル・ガバナンスが重要になっているのは間違いない。
日本はそのような事態が進展している時にそのための準備をしっかりとしているか。否である。その理由は次の通りである。多国間条約は地球的な問題,普遍的な人類的問題を解決に向けて,各国が共鳴したり,協調したりするから誕生する。誕生に必要なのは何か。第一,問題性についての共鳴がかなりなくては始まらない。この過程で重要なのは,各国政府に劣らず国際専門機関,超国家社会運動,非政府個人などである。共鳴が生まれるためにはなんとかしなければならないという声が世界中でなければならない。いつもデータを調査記録分析している国際専門機関,問題の緊急性について感情的にアピールする個人や団体の情熱が響かなければならない。それは各国政府でない方が良い場合が多い。超国家社会運動や非政府個人が重要になる所以である。第二,共鳴をできるだけ広く,深く,そして皆にアピールするように,多くの人々が協調や共同行動をとる際に基盤となる口上書がなければならない。口上書とは論理的にもしっかりとした理由が展開されており,しかもそれが経験的現実に裏付けられているということが明らかにわかる書類である。そのためには国際専門機関,シンクタンク,NGO,そして学者共同体である。第三,各国政府の関連省庁と折衝しながら,できるだけ多国間条約として成立できるようなラインで条約・協定素案をつくり,各国政府をできるだけ引きつけるように動く主体が不可欠である。
日本政府,日本社会はどこまで準備ができているか。第一,日本語だけを使う癖がとれない日本は,多国間条約立法過程ではいる余地が狭くなる。共鳴しようにも,言葉が違うと意外と共鳴しない。外務省が国家公務員になるために英語能力を一段高く設定するのは正しいが,今頃そんなことに取り組んでいるのかという気もする。各国で将来のエリート候補の外国語習得の程度は年々高くなってきている。英語を通用語としているアセアン諸国はいうまでもなく,韓国や中国は1990年代からこの方向の努力を本格化している。北朝鮮でも然りで,寧波のノッティンガム大学やニューヨークのシラキュース大学などに大量に留学している。日本も方向性は同じだが,その速度と広がりは弱い。
第二,日本政府が国際専門機関に国家官僚を送り出す仕組みは良くできているが,時代にそぐわない側面が余りにも大きくなっている。その結果,日本の国際的な影響力は意外と大きく削がれている。多国間条約は多くの場合,高い科学的専門的知識・技能・感性を必要とする。レベルの高い科学者,研究者の関与,活動が不可欠である。それも短期的な参加ではなく,国際専門機関に常駐して,さまざまの背景の同僚と口上書をしっかりとドラフトできる人,そのドラフトをもって,各国政府と喧々諤々とやりあう人が日本からは少ない。日本のシンクタンクや大学などから,国際専門機関をリードするような人材,つまり科学者や研究者を一つの重要なキャリアとするようにしなければならない。
第三,日本社会もグローバル化,デジタル化,多言語化の大きな趨勢に多分慣れていかなければならないのだろう。30歳以下の若者のなかではこのような趨勢が非常に目立っている。65歳以上の高齢者のなかではまったく逆である。日本社会では若者の割合が着実に減少し,高齢者の割合が急速に増加している。年々大きくなる高齢者集団は日本の場合にはとりわけ,デジタルに弱く,外国語には微力の人の割合が異常に高い。高度成長時代に最も活躍した年代ではあるが,それゆえにかえって,21世紀のグローバル化,デジタル化,多言語化の趨勢には時代錯誤的な人の割合が増加している。
米国のリーダーシップが20世紀後半のようでなくなってきている21世紀初頭ではグローバル・ガバナンスという概念で物事を整理したり,予測したりすることは大歓迎であるが,それを迎える知力もそれに耐えうる体力も,覚束ないというのでは困る。
第二次世界大戦以降の多国間条約の体系的な分析を私は最近進めているが,欧米の多国間条約を通じた業績には頭が下がる。上記のようなことに耐えうる人材養成が20世紀前半以降続いているのである。最近の中国の国際専門機関の創設はひとつにはそのような国際組織に中国の科学者,研究者がしっかりと配属し,立派な国際専門機関に育てようとする国家目的もあることを看過できない。最近の二国間協定で目立つものはインドと米国の核エネルギー協定および米欧とイランのやはり核エネルギー協定である。これらの動きで重要なのは,米国の核エネルギーの科学者,インドの核エネルギーの科学者,イランの核エネルギーの科学者がお互いに敬意を払っていることである。しかも,インド系米国科学者,イラン系米国科学者が米国の国家目的の遂行に全力を尽くしつつ,科学者として国家代表として,しっかりと理解できるからこそ,折衝も妥結も可能になったのではないか。
関連記事
猪口 孝
-
[No.2672 2022.09.12 ]
-
[No.704 2016.08.29 ]
-
[No.644 2016.05.23 ]
最新のコラム
-
New! [No.3616 2024.11.11 ]
-
New! [No.3615 2024.11.11 ]
-
New! [No.3614 2024.11.11 ]
-
New! [No.3613 2024.11.11 ]
-
New! [No.3612 2024.11.11 ]