世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
高市政権の産業クラスター政策:成長戦略の“マスター・スイッチ”を起動する
(国際貿易投資研究所 客員研究員)
2025.12.15
シュンペーターはかつて,「イノベーションは創造的破壊があってこそ生まれる」と語っている。その「破壊からイノベーション」へ向かう実際の「マスター・スイッチ」を起動する。結論から言うと,日本の成長戦略を動かす鍵は,「マスター・スイッチ」を起動できるかどうかである(Kuchiki,2025)。
産業集積が決める日本の成長戦略
2025年11月25日,政府は国内産業構造を大きく変えるかもしれない重大発表を行った。すなわち「国家戦略技術」の指定である。対象となったのは①AI・先端ロボット,②量子,③半導体・通信,④バイオ・ヘルスケア,⑤核融合,⑥宇宙,の6分野。中国,米国の産業政策と並ぶラインナップだ。これらの分野には研究予算が優先的に投入され,税制優遇も受けられる。端的に言えば,国が「この分野は絶対に伸ばす」と宣言したということだ。これは,アベノミックスで「撃ったのに当たらなかった」と言われた第3の矢「成長戦略の“再挑戦”」でもある。
ところが,この国家戦略,成功のカギを握るポイントがある。それが産業集積政策によるクラスターづくりだ。つまり,研究機関,企業,大学,人材,サプライチェーンが地理的に集まり,化学反応のようにイノベーションが生まれる状態をどう作るか,という話になる。だが,日本はここで何年もつまずいてきた。理由は簡単だ。「マスター・スイッチ」が入っていなかったからだ。この30年間,日本経済は低位安定の均衡にとどまり続けてきた。高度成長でも停滞崩壊でもなく,「なんとなく現状維持」であった。この均衡を崩し,成長モードへシフトさせるスイッチ。それが産業集積政策には必要なのに押されないままだった。
だが,例外がある。それが熊本だ。九州にはかつて「シリコンアイランド構想」があり,半導体産業の集積が期待されていた。だが長く実現には至らず,計画は半ば放置状態だった。しかし2022年,台湾の半導体企業TSMCが熊本に進出すると状況は一変した。企業,人材,設備,周辺企業,投資,大学,自治体。まるで磁石に吸い寄せられるように,要素が集まり始めた。
なぜか。TSMCが生産するのは「微細半導体」という世界でも限られた企業だけが作れる差別化された財だからだ。つまり,TSMCの誘致そのものが「マスター・スイッチ」だったのである。例えるならこうだ。金魚鉢に鯉を入れると金魚が必死になって強くなる(藤田昌久)。日系企業が刺激され,研究所も大学も自治体も動き出した。一匹の「鯉」が,池全体を活性化させたのだ。
日本が採るべきは,まさにこの「集積(agglomeration)」政策である。集積とは,関連産業が地理的に固まることで生まれるイノベーションの仕組みだ。経営学者のPorter(1998)は,「集積こそ競争力を高める源泉だ」と指摘した。またAudretsch & Feldman(1996)は,「企業の研究開発(R&D)が都市集積によってスピルオーバー(外部経済)を生み,イノベーションを押し上げる」と言った。つまり,国の政策・企業の投資・研究機関の知・人材。それらすべてが1カ所に“密集”することで,日本は再び世界の競争軸に戻る可能性を持つ。
“マスター・スイッチ”の発見そして起動
地域経済が長く停滞すると,そこには変化が起きない「低位安定均衡」が生まれる。便利ではあるが,新しい産業や投資を引き寄せない硬直した状態だ。まずこの安定を意図的に崩すことが重要である。この「安定を崩壊させる条件」こそが,「マスター・スイッチ」の本質だ。つまり,「安定を壊す(Break)→スイッチを起動する(Activate)→新しい均衡に移行開始」というプロセスが必要になるということだ。
空間経済学のモデルでは,「人口が均等に分散する状態=“対称均衡”」からスタートする。しかし,何かがその均衡を崩した瞬間,どこか一つの地域に企業の集積が始まる。そして,そこから集積・産業クラスターが形成されていく。この「均衡を崩す条件(Breaking condition)」を見つけ出すことが,政策の第一歩となる。その条件に該当するのは次の2点である。「マスター・スイッチ」を起動する条件として①輸送費(移動コスト)の大幅な低減と②代替が効きにくい“希少で差別化された財”をつくる企業の誘致である。
この2つが揃ったとき,地域はただの投資候補地から,産業が自然と集まる“磁場*へと変化する。熊本にTSMCが来た途端,企業,技術者,住宅,教育,行政サービスが連鎖的に動いた現象,まさにあれが「マスター・スイッチ」が入った瞬間である。このプロセスを理論化し「シークエンシング経済学」と名付けた。
産業クラスターは,思いつきや投資額の大きさではなく,「条件(スイッチ)」によって動く。その芽は,TSMCの九州,ラピダスの北海道,マイクロンの広島と共に関西,中部,東北,関東と日本全国ですでに存在する。すべてのクラスター政策が成功するわけではない。だが,正しい異質財の生産企業を誘致する「マスター・スイッチ」を起動することが,日本の成長戦略を決定する。
[参考文献]
- Audretsch, D. B., & Feldman, M. P. (1996). R&D spillovers and the geography of innovation and production. American Economic Review,86(3), 630–640.
- Kuchiki, A. (2025) “The Role of Sequencing Economics in Agglomeration: A Contrast with Tinbergen’s Rule,” Economies, 13 (7), 204.
- Porter, M. E. (1998). Clusters and the new economics of competition. Harvard Business Review, 76(6), 77–90.
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