世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
タイにおける憲法改正と不信任決議・解散への動向
(元亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)
2025.12.08
11月から12月にかけて,タイでは「憲法改正案の承認」と「不信任決議・解散」という2つの争点が交錯する事態となっている。すなわち,野党は不信任動議について協議を重ねる一方,憲章改正に関する議会での採決が終るまで,これを延期するのではないかという憶測が飛び交っている。
8月29日,国民党は,他の政党の首相候補を支持する条件として,
- (1)新首相は議会での所信表明演説から4か月以内に下院を解散しなければならない,
- (2)新内閣は,国民から直接選出された憲法起草委員会によって起草された新憲法を認めるための2017年憲法の改正に関する国民投票を実施しなければならない。この国民投票は次の総選挙に遅れることなく実施されなければならない,
- (3)国民党は,野党にとどまり,新政権の行動を精査し,いかなる大臣の地位も受け入れない,
をあげ,タイの誇り党(以下,誇り党)がこれを受け入れて,9月5日,同党のアヌティン党首が下院で首相に指名された(注1)。
9月10日,憲法裁判所は,憲法起草委員会議員の直接選挙は認められず,議員は議会などの関与によって選出される必要があるとした。また,同裁判所は,新憲法の起草手続きを進めるにあたり,3段階の国民投票を経る必要があるとの判断を示した。国民投票の内容は,1回目が「新憲法起草の是非」,2回目が「起草の方法及び基本原則」,3回目が「起草完了後の憲法案の承認・否認」である。1回目と2回目は同時に実施することが可能としている(注2)。
この判断を受けて,同日,ナタポン国民党党首は,議会で憲法改正案を承認し,総選挙と同日に国民投票を行い,「新憲法を制定すべきか」と「憲法改正について定めた第15章の起草方法・内容を承認するか」を問うとした(注3)。憲法はその時々の政治体制を擁護するためのものなので,新憲法制定の規定を持たない。そこで,議会は,まず,このための憲法改正を行うことを課題とした。
憲法第256条6項は,「憲法改正は現有上下両院議員の過半数の賛成により承認される。この条件の下,大臣,下院議長と下院副議長に就いていない全野党の下院議員の20%以上が賛成しなければならず,上院の現有議席の3分の1以上の上院議員が賛成しなければならない」と規定している。下院の定数は500,上院の定数は200である。国民党は与党ではなく,上院では,誇りの党に近しい議員が123人(全議席の61.5%),国民党に近しい議員が18人(同9%)いると推測される(注4)。また,第2条(「タイは国王を国家元首とする民主主義体制を採用する」)など第1章と第2章の改正は,憲法第256条によって特に厳しく制限される禁止条項である。
憲法改正案は,下院と上院で3回の読会(審議)を経て採決される。10月15日,議会は,上下院合同会議で,与野党の3党がそれぞれ提出した憲法改正案の第1読会での採決を行い,誇り党,国民党の案を可決,貢献党の案を否決した。国民党案は,下院460票,上院108票,合計568票が賛成,10票が反対,74人が棄権した。これは下院の過半数,下院野党の5分の1(100人),上院議員の3分の1(67人)の閾値を上回り,第一読会を通過した。誇り党案は下院468票,上院161票,合計629票を獲得し,閾値を超えた。対照的に,貢献党案は合計521票を獲得し,下院議員の過半数と下院野党の5分の1を超えたが,上院での賛成は60票に留まり,法案は第一読会を通過できなかった。この後,国民党案と誇り党案のいずれを第二読会の優先法案とするかについての投票の際,貢献党は国民党案を支持し,結果,国民党案が300票,誇り党案が287票を獲得し,国民党案が優先法案となった。投票後,ワン・ムハマド・ヌール・マタ下院議長は承認された法案を下院憲法特別委員会に送り,統合・修正して単一の法案にする予定を示した。この法案が第2,第3読会で審議される(注5)。
国民党が提案した法案は,有権者によって選出された70人の候補者から議会が選出する35人の起草委員会を設置することを求めている。また,世論を集め,それを起草委員会に伝える役割を持つ100人の選出された「諮問委員会」も必要としている。貢献党の法案では,憲法起草議会(CDA)は151人で構成されており,100人は議会が選出した300人の候補者名簿から選出され,さらに51人は下院及び内閣から指名される。この法案は,CDAメンバーから選ばれる14人と,法学及び政治学の専門家13人からなる27人の起草委員会の設立を含んでいる。誇り党の法案は,99人のCDAを設立することを求めており,そのうち77人は各県から1人ずつの申請者リストから議会が選出し,22人は法学,政治学,その他関連分野の専門家が選ばれる。この法案は,CDAに起草委員会のメンバーを選出する権限を与えている。また,誇り党の法案は,修正案が可決されるために必要な上院の票数を3分の1から5分の1に減らしている。国民党は国民を,誇り党は地方を重視している(注6)。
議会での議決に関し,国民党と貢献党の法案では1回通過すればよい。一方,誇り党の法案は通常の法案に割り当てられた3回の読会を義務付け,議員が変更を提案できるようにしている。すなわち,誇り党はCDAではなく,議会を重視している(注7)。
改正禁止条項に関し,誇り党と貢献党の法案は現行憲法の第1章及び2章の改正を禁止している。第1章はタイを「一つの不可分の王国」と定義し,国王を国家元首とする民主主義体制をとると示している。第2章は王の役割と王権の特権を概説している。一方,国民党の法案にはそのような禁止はなく,新憲法にはタイが単一不可分の王国であるという原則(国家の形態)と,国王を国家元首とする民主的な体制(統治形態)を含む9つの重要な要素を含めることが求められている(注8)。
11月20日,アヌティンはバンコクで開催されたセミナーで講演し,12月12日の下院解散に言及した。アヌティンは「政治的な現実は『このままでは到底続けられない』という段階にまで達している」と述べた。また,アヌティンは「不信任案が提出されると否決できそうにない。政権運営は来年1月31日までと述べてきたが,野党がそれさえも待てないというのなら,それでも構わない」,「議会再開の12月12日に解散を求めるなら,応じる準備がある」と強調した。ただし,解散が同日に行われれば未処理の案件が残るのは避けられないとし,「その責任を私に問うべきではない」と釘を刺した(注9)。
24日,ナタポンはタイ貢献党のジュラパン党首と会談し,不信任動議の提出は憲法改正案の承認後に行うよう要請したことを事実上認めた。また,ナタポンは,この場合,国民党は不信任に賛成すると述べた。一方,アヌティンは,同日,与党議員に対して,議会が再開される12月12日に待機態勢をとるよう指示した。それは,その日に不信任動議が提出されるか,ないし,それを示唆する「シグナル」が出る可能性があると考えてのことである(注10)。
26日,貢献党は,下院憲法特別委員会に所属するチュサック副党首ら3人の議員が記者会見を行い,憲法改正の第2・第3読会での審議を優先し,その結果が出るまで,不信任決議の提出を控えることを表明した。そこで,議員は,不信任決議の提出,憲法改正,議会解散は別々の問題であり,党の現在の優先事項は憲法改正の議論を監視し,影響を与えることだとした(注11)。
ボウォーンサック副首相(法務担当)は,議員に対して,12月20日までに第三読会で法案を採択するよう要望した。そうすれば,総選挙と同日に国民投票を実施することが可能になるからである(注12)。
[注]
- (1)The Nation , 29 August 2025;『YAHOO! JAPAN ニュース』2025年9月1日。
- (2)『週刊タイ経済』2025年9月11日;『newsclip.be』2025年9月12日。
- (3)『週刊タイ経済』前掲記事。
- (4)『日本経済新聞』2025年7月10日;JETRO「上院議員選の一時開票結果が公表,最終結果公表にはまだ時間要するもよう」(『ビジネス短信』2024年7月4日)。
- (5)The Nation , 15 October 2025;Termsak Chalermpalanupap,“Competition among Thailand’s Three Largest Parties Deepens the Country’s Political Uncertainties,”Perspective, Issue 2025,No.85,6 November 2025p.5.
- (6)Thai PBS World, 14 October 2025.
- (7)Ibid.
- (8)Ibid.
- (9)『newsclip.be』2025年11月6日。
- (10)Bangkok Post, 25 November 2025.
- (11)Thai Enquirer, 26 November 2025.
- (12)Termsak Chalermpalanupap,op.cit.
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