世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4136
世界経済評論IMPACT No.4136

タイの対カンボジア国境紛争と解散総選挙

鈴木亨尚

(元亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

2025.12.22

 12月12日のタイの下院解散を受けて,本稿では,アヌティン内閣の失政と支持率の凋落,対カンボジア国境での戦闘再開,下院の解散総選挙を関連付けて考察する。

2022年末以降の景気過熱感が強まる

 最近,アヌティン首相は2つの問題で謝罪に追い込まれた。先ず,10月下旬,ASEAN首脳会議中に,「カンボジアがタイに侵入している地域がある。そして,タイがカンボジアに侵入している地域があるという事実も受け入れなければならない」と述べたことに対し国民からの批判が噴出し謝罪に追い込まれた(本コラムNo.4107にて既述)(注1)。第2は,南部の豪雨・洪水に対する政府の初動の遅れについて,最も被害が大きかったソンクラー県ハートヤイでの11月28日の記者会見で,「政府は壊滅的な洪水の管理に失敗した責任を認識している」と謝罪した。また,同訪問中,ある女性が,「家から出られなくなった際,当局はなにもしてくれなかった」と不満を述べたのに対し,アヌティンは,「それについては謝罪しなければならない」と述べて,「ワイ」(顔の前で手を合せ,頭を下げる謝罪の姿勢)を行った。過去25年間で最も大きな洪水で,死者数は,ソンクラー県だけで126人,合計で162人となった。アヌティンは,「この時期にこの地域で死亡した者は,洪水が原因である」として,1人当たり200万バーツの補償金を支給すると述べた。人としても,政治家としても,失敗すれば,謝罪は必要である。しかし,政治家の場合,それは政治資源を消耗させ,権威を失墜させてしまう(注2)。

 国民開発行政研究院(NIDA)の調査によれば,2024年8月の前進党解党後に設立された国民党は,当初,前進党時代と比較すると,支持率が低かった。しかし,2025年6月の調査では,前進党時代と同程度の支持(46.08%)を獲得するに至った。ところが,同年9月の調査で,国民党は支持を大幅に低下させた(33.08%)。これは,タイの誇り党(以下,誇り党)のアヌティン党首の首班指名に対し,最もラディカルな人々が支持を止め,「支持政党なし」になったためと思われる。誇り党は与党になったことにより,支持を高めた(9.76%→13.24%)。これに対して,タイ貢献党(以下,貢献党)は,同年6月の調査(調査期間は6月19~25日)で,支持を低下させた(28.05%→11.52%)。これは,同月18日,ペートンターン首相がフン・セン・カンボジア上院議長との電話で,フン・センを「おじさん」と呼び,「おじさんが望むものはすべて用意する」,「タイ軍は私たちに対峙する勢力」など従属的と取られる発言を繰り返したことに対する影響と考えられる(注3)。

 地域別では,イーサーン(東北部)での10月末の調査で,国民党(26.05%)が第1位となった。第2位は「支持政党なし」(24.65%),第3位と第4位は,この地域を地盤とする貢献党(16.85%)と誇り党(15.75%)だった。小選挙区の議席が全体の約4分の1を占めるイーサーンで,国民党が第1位となったことは重要である。また,カンボジア国境紛争の舞台であるイーサーンで「支持政党なし」が4分の1程度あるということも注目すべきである。中部での11月上旬の調査で,「支持政党なし」(28.95%)が第1位となった。第2位は国民党(28.85%),第3位以下は誇り党(9.70%),民主党(9.60%),貢献党(8.45%)だった。東部での11月中旬の調査で,「支持政党なし」(34.90%)が第1位となった。第2位は国民党(24.65%),第3位以下は誇り党(10.95%),民主党(7.95%),貢献党(7.50%)だった。諸データから,前回選挙時の前進党以上に国民党の全国政党化が進みつつあり,国民が投票先政党を決めかねていることがわかる。これは首相候補者に関する調査でも同様である。東部の調査では,ナタポン国民党党首(15.90%)やアヌティン(15.35%)を超えて,約4割の回答者(39.75%)が「適当な候補者がいない」と答えている。これらはアヌティン及び同政権に対する国民の不満の表れと思われる。アヌティンは,この段階で,このままでは,大幅な議席増は困難だと理解しただろう(注4)。

カンボジア国境での戦闘再開

 カンボジアとの国境における軍事衝突が起きたのは12月7日か8日か,また,タイとカンボジアのいずれが先制攻撃をしたのか,未だ不明である。もし,このタイミングで,カンボジアが先制攻撃をしたならば,アヌティンにとっては大変好都合であろう。なぜなら,ナショナリズムが喚起され,誇り党に対する投票が増加する可能性があるからだ。

 7日午前7時頃,タイ陸軍によると,ウボンラーチャターニー県チョンボクとカンボジアのプレアヴィヒア州モムバイの国境で,カンボジア軍から攻撃を受け,これに応戦。8日午前10時半までにタイ兵1人が死亡,4人が負傷した。また,7日午後2時15分頃,シーサケート県プーパーレック―プラーンヒン・ペートコンでタイ軍が基地から検問所への道路改修作業を行っていたところ,カンボジア軍兵士が,タイが一方的に設置した鉄条網付近まで接近,小銃を警備部隊に発砲し,タイ兵2人が負傷した(注5)。これを受けて,タイ軍は住民らに避難指示を出した。その後,タイ軍はF16戦闘機を用いるなどして攻撃の地域を拡大し続けている。9日午後には戦闘はタイ東部のトラート県にまで拡大した。

 今回のタイ軍の攻撃は以下2つの目的がある。第1に,プレアヴィヒア寺院,タモアントム寺院,タークロバイ寺院などを自国の支配下に置くこと。第2に,オンライン詐欺拠点を破壊することである。タイは,当初,オンライン詐欺拠点を攻撃したと発表していたが,「民間施設に対する攻撃は問題だ」との非難を受け,「オンライン詐欺拠点は閉鎖されており,カンボジア軍がドローン施設などとして利用している」と説明するようになった。攻撃されたカジノの中には,2024年9月にアメリカから制裁を受けたリー・ヨンパット上院議員のオスマッチ・リゾートが含まれる。また,15日,タイ軍はF16戦闘機2機でポーサット州のカジノと近隣のチェイ・チュムニアス橋を攻撃し,破壊した。18日,カンボジア国防省は,バンテアイミアンチェイ州ポイペトが空爆されたと発表した。ポイペトには複数の日系企業が生産拠点を持つ。詳しい着弾地点や具体的な被害状況などは明らかになっていないがポイペトにも多くのオンライン詐欺拠点がある(注6)。同日,タイ側も多連装ロケット砲の格納庫を狙った空爆の事実を認めた。在カンボジア日本大使館などによると,現地には日系企業7社が工場を置いているが,既に全社が操業停止,日本人や建物の被害は確認されていないという(注7)。18日,茂木俊充外務大臣はタイのシーハサック外務大臣と東京都内で会談し,カンボジアとの軍事衝突に懸念を伝えた。民間人を含む被害に「心を痛めている」と述べ,最大限の自制と対話による平和的解決を要請。日本として緊張緩和に向けた外交努力を続ける考えも示した(注8)。

 12日,トランプ米大統領はタイのアヌティンとカンボジアのフン・マナエトと各々電話会談を行い,「両首脳があらゆる発砲を今晩までに停止し,私とともに作り上げた平和協定に立ち戻ることで合意した」とSNSに投稿した。攻撃停止はタイ・カンボジア時間12日午後10時である。トランプは,カンボジア軍が意図的に敷設したとタイ側が主張する地雷の爆発について,「道ばたの爆発は事故だったのに,タイは非常に強く報復した」との見方を示し,戦闘が「非常に不幸な形で再燃した」と書き込んだ。これに対して,13日,アヌティンは,「タイは和平に向けて共同宣言を遵守してきたが,カンボジアが違反した」とトランプに訴えたことを明らかにした。また,地雷爆発について,「道ばたの事故などでは決してない」と反論,「カンボジアは朝になってもロケット砲を撃っている」,「国土と国民への危害と脅威がなくなったと感じるまで軍事作戦を継続し」,「停戦は,カンボジアが砲撃を停止し,部隊を撤退させ,設置したすべての地雷を撤去した場合にのみ実現する」とし,停戦には合意していないことを明らかにした。一方,13日,フン・マナエトもトランプと電話会談を行ったことはSNSに投稿したが,攻撃停止に合意したかは触れなかった。また,フン・マナエトは,トランプに,双方で言い分の違う戦闘再開となった交戦をめぐって,アメリカの衛星画像を使って事実を明らかにするよう提案した。このように,現時点では,停戦合意が成立したのかすら明確ではない。少なくとも,署名入りの合意文書は存在しないようである。14日,トランプは「戦争をするなら関税を課す」と会談で告げたと明らかにした(注9)。

 14日時点で,タイ軍は15人の兵士の死亡を認め,カンボジア兵の死亡は165人と推測している。カンボジアは軍の被害を公表していないが,少なくとも11人の民間人が死亡し,60人以上が負傷,避難民は64万人以上と述べている。死者数も避難民数も7月の紛争時よりも,多くなっている。

 15日,カンボジア国防省は,タイ軍の空爆がシェムリアップ州の避難民キャンプ付近にまで広がったと発表した。同州はタイ国境から約50キロ離れており世界遺産「アンコールワット」がある。タイ軍は同州北端のスレイスナム地区付近にも爆弾を投下した。この攻撃は,国境から50kmの避難では足らず,もっと南まで移動せよとのタイのメッセージだろう。また,タイはアンコールワットの支配も視野に入れているのだろう。アルコールワットを含む現在のカンボジア・シェムリアップ州は,1907年のシャム・フランス条約以前はシャムの領土だったのである(注10)。

 タイは,12月22日に予定されるASEAN外相特別会議まで攻撃を強化し,支配の既成事実を作り上げて,会議に臨むつもりだろう。17日,タイはカンボジアに以下の3つの停戦条件を提示した。(1)カンボジア側が先に停戦を宣言すること,(2)戦闘が再発するような停戦ではなく,「本物かつ持続可能」であること,(3)カンボジアが国境地帯の地雷除去活動に「誠実に協力」すること。17日夜の時点で,カンボジアはタイの提示に反応していない(注11)。

下院の解散総選挙

 12月11日,上下両院合同会議で,憲法改正に係る憲法第256条の改正に関し,誇り党と国民党との間に対立が生じた。下院憲法特別委員会は,上下両院の単純過半数で可決できるよう合同会議に提案していたが,合同会議は上院の3分の1の賛成を要件の一部とする現在の要件に変更し,憲法改正案を可決した。国民党は,短期的に,現在の上院は誇り党の強い影響下にあり,これでは誇り党に憲法改正の拒否権が生じてしまうし,中長期的にも,国民の直接選挙ではない上院が憲法改正で大きな力を持つのは適当ではないと考えたと思われる。この段階で,国民党は下院にアヌティン内閣に対する不信任決議案の提出を決定し,署名集めを開始した。貢献党は,元々,不信任決議案提出に動き,国民党とも協議をしていたので,これに同調し,12日にも,同案は下院に提出されることになっただろう。アヌティン及び誇り党にとって,これは大ピンチである。なぜならば,憲法第151条1~2項が,「現有下院議員総数の5分の1を上回る下院議員は,個別の大臣,ないし,内閣全体の不信任決議を可決させる目的で,一般討論を要請する動議を提出する権利を有する。1項の動議が提出されている時,下院の解散は認められない」と規定しているからである。誇り党にとって,不信任と解散には雲泥の差がある(注12)。

 まず,不信任決議の可決からみていこう。これにより,内閣総辞職となる。憲法第167条は,「以下の場合,全国務大臣は辞する。(1)第170条に基づき,首相が国務大臣の地位を喪失,(2)下院議員の任期満了または解散,(3)内閣総辞職,(4)第144条に定める事由による失職。(1),(3)または(4)に基づき,全大臣が辞した場合,第158条及び第159条に基づき,新たな内閣発足のための手続きが取られる」と規定している。また,憲法第88条は,「総選挙において,選挙に参加する政党は,首相に任命されるための審査・承認に付されるべき,党の決議により推薦された3人までの氏名を,立候補の申請期間終了前に,選挙管理委員会に届け出なければならない」と,また第159条は,「下院は,第160条に基づく資格を有し,かつ,いかなる禁止事項にも該当しない者であって,第88条に基づき政党が名簿に記載した者の中から,現有下院議員総数の5パーセント以上を構成する議員が当選した政党の名簿に限り,首相任命を受けるに適格な者を承認するための審議を完了しなければならない。下院の現有議員総数の10分の1以上の議員の賛成を得て,第1項の推薦を行うものとする。下院の首相指名選挙の決議は,記名投票で行われ,現有下院議員総数の過半数を得た者が指名される」と規定している。前回の2023年総選挙で5%以上の議席を獲得したのは前進党,貢献党,誇り党で,前進党は解党され,貢献党のセターとペートンターンは首相を解任されている。その結果,この条件に当てはまるのは貢献党のチャイカセム元法務大臣だけである。順調にいけば,チャイカセム連立内閣が発足し,誇り党は野党になっただろう。そうすれば,誇り党は以前のような議席数50前後程度の政党に戻りかねない(注13)。

 次に,下院を解散する場合である。内閣は,選挙管理内閣となり,憲法第169条4項が規定するように,「選挙に影響を及ぼす可能性のある行為のために国の資源や職員を使用しないこと,また,選挙管理委員会が定める規則に基づく一切の禁止事項に違反しないこと」などの制約を受けるが,アヌティンはこれを選択した。

 11日,アヌティンは,フェイスブックに,「国民に権力を戻したい」と投稿,これにより,国民はアヌティンの下院解散の意向を承知した。また,同日,アヌティンは勅令草案を国王に提出,承認された。12日,国王は下院解散勅令を発し,官報に掲載された。憲法第103条1項(「国王は,下院議員の総選挙のために,下院を解散する権限を有する」)に基づき下院を解散した。同3項は「選挙管理委員会は,総選挙の日程を,勅令が有効になった日から45日以上,60日に設定しなければならない」と規定している。15日,選挙管理委員会は総選挙を2月8日に実施すると発表した。

 

 ここまで記述したことをまとめておこう。タイの政治制度は議院内閣制だが,総選挙の結果画定の時点で,首相候補が2~3人程度に絞られる大統領制的な要素を合わせ持つものである。そのような中,アヌティンの失政まがいの言動により,誇り党とアヌティンの支持率が凋落した。その時に,カンボジアとの国境での軍事行動が再開された。ナショナリストの支持を得るべく,タイは戦闘を拡大させた。また,ほぼ同時期に,アヌティン内閣は不信任決議を受けそうになり,下院の解散を決定し選挙に突入した。2025年末には,「政治人気調査」の次の調査結果が公表される。ここで,有益な情報が得られるだろう。

[注]
  • (1)Bangkok Post, 3 November 2025.
  • (2)Thai PBS World, 29 November 2025.
  • (3)NIDA poll, Political Popularity Survey, each quarter of 2024 and 2025;『バンコク週報』2025年8月29日。
  • (4)『タイ通』2025年11月11日;『タイニュースクロスボンバー』2025年11月16日;同上,2025年11月23日。
  • (5)『バンコク週報』2025年12月9日。
  • (6)『日本経済新聞』2025年12月18日。
  • (7)『YAHOO!ニュース』2025年12月18日。
  • (8)『時事ドットコム』2025年12月18日。
  • (9)『朝日新聞』2025年12月14日。
  • (10)『日本経済新聞』2025年12月15日。
  • (11)『タイ通』2025年12月17日。
  • (12)『バンコク週報』2025年12月12日;『newsclip.be』2025年12月12日。
  • (13)同上。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4136.html)

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