世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ポイペトの「犯罪特区」と国境紛争:詐欺集団の実態とカンボジア政財界の関与
(元亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)
2025.09.15
タイは,ここ数年,オンライン詐欺に対する取り締まり強化をカンボジアに求めてきたが,カンボジアは有効な手段を講じなかった。これが国境紛争におけるタイの強硬な態度につながった。すなわち,タイは「オンライン詐欺問題に基づく国境紛争」との認識である。これに対して,カンボジアは,オンライン詐欺問題に関して,タイがそこまで強い不満を持っているとは考えず,タイの強硬な態度に困惑すらしている。そして,この認識のギャップが国境紛争の解決を困難にさせていると筆者は考えている。
国連の推計では,東南アジア全体で30万人以上がオンライン詐欺施設で強制労働を強いられている。他方,アムネスティ・インターナショナルによれば,カンボジアには現在16都市に少なくとも53の詐欺拠点がある。カンボジアへの詐欺集団の移動・集中の背景には,2010年代以降,東南アジア各国がオンラインカジノを禁止したこと,2020年代,中国がオンライン詐欺に対する規制を強化したことがある。カンボジアでも,2019年に政府がオンラインカジノを禁止した。その結果,シハヌークビルや,シハヌークビルから中国人などが移動した他の都市がオンライン詐欺の拠点である「犯罪特区」(中国では「詐欺団地」という)となった。そこでは,政府が犯罪を黙認し,場合によっては,犯罪者集団に手を貸して,金銭を得ているといわれる。2025年2月,ミャンマーで中国の協力を得て,大規模な詐欺集団の摘発がなされた後,その一部はカンボジアに移動したとされる。現在,カンボジアでは約10万人が「犯罪特区」で強制的に使役され,これにマネーロンダリング(資金洗浄)に関わる企業も加わり組織が肥大化している。
詐欺拠点が集中する都市の1つがカンボジアの北西部,タイとの国境付近にあるボンティアイミアンチェイ州ポイペトである。バンコクから約250km,自動車で約4時間,タイのサケオ県アランヤプラテートから国境検問所を通過するとポイペトで,周辺を含めて人口は約200万人である。ここは,日本人にとっては「タイ+1」と呼ぶ経済特区の町である。ポイペトには,2016年にサンコー・インベストメントが開設した「サンコー・ポイペト経済特区(国境から7km,83ha)」と2019年にプノンペン経済特区社が開設した「ポイペト経済特区(国境から3.5km,68ha)」がある。タイからの集荷トラックは国境から20km圏内乗り入れ自由である。一方,ポイペトはタイ人にとってはカジノの町だった。しかし,2025年6月19日,顧客の90%を占めるタイ人及びタイ人従業員の越境をタイ政府が禁止したことにより,少なくとも3つのカジノは閉鎖され今では「犯罪特区」の町と化した。詐欺拠点の多くは,中国人がリーダーで,その下に,日本人,ベトナム人,タイ人,パキスタン人,フィリピン人などが使役され,オンライン詐欺が行われている。ここでは「豚屠殺詐欺」と呼ばれる犯罪は主で,名前の由来は,長期間にわたる接触を通じ,大金を騙し取るプロセスが,あたかも豚を太らせて最終的に屠畜する姿に類似していることにある。SNSなどを通じて標的を定めた後,プライベートチャットアプリにおいて親密な関係を築き,仮想通貨投資や取引を促す詐欺である。送金には暗号通貨が使われることが多い。2017年頃,中国で広まり,最も被害が大きいアメリカでは,2024年だけで,4万人が豚屠殺詐欺により5億ドル以上の被害を受けている。
カンボジアでは,2025年1月25日になってようやく,最も正統な意思決定機関であるカンボジア人民党(CPP)第45回中央委員会会議で,フン・マナエト(首相)がオンライン詐欺問題に対応するための高官レベルの委員会を設置することを公表した。2月には「オンライン詐欺対策委員会」が発足,フン・マナエトが委員長,内務大臣や司法大臣が副委員長に就任した。そして,同月,ポイペトで,初の大規模な摘発が行われ,タイ警察の協力を得て,中国人詐欺拠点で,タイ人109人,パキスタン人50人,インド人48人,台湾人5人,インドネシア人3人を含む215人を拘束し,被疑者と被害者を特定する作業を行っている。この摘発によるタイ人の救出者数は過去最多であった。また,7月16日,カンボジアはプノンペン,ポイペト,シハヌークビルなど全国各地で摘発を実施し,1,000人以上を拘束した。その多くは外国人で大使館などから救出要請のあった国の国民が主に拘束される。この中にはインドネシア人271人,ベトナム人213人,台湾人75人が含まれている。一方,この事例を含めて,中国人はほとんど拘束されていない。7月26に発表されたアムネスティ・インターナショナルの報告書は,摘発の際,警察が中国系組織と協力や調整を行っており,摘発後,運営を続ける拠点が多いと非難した(注1)。
2025年5月,アメリカ財務省の金融犯罪取締ネットワーク(FinCEN)は,カンボジアに拠点を置く「フイオン・グループ(Huione Group)」を「主要なマネーロンダリング懸念対象団体」に指定,厳しい監視対象とした。また,アメリカの金融機関に対し,同社のために,あるいは,同社に代わって,代理口座や支払口座を開設・維持することを禁止するよう提案した。フイオン・グループは,2014年以降,マネーロンダリングや豚屠殺詐欺のようなオンライン詐欺を通じて,980億ドル(約14兆2000億円,1ドル145円換算)相当の暗号資産を受け取った。ベッセント米財務長官は,フイオン・グループを「北朝鮮の制裁対象組織や世界的な犯罪組織を含む悪意あるサイバー行為者が好んで利用する団体」と述べている。同グループの取締役の1人にフン・センの甥で,フン・マナエトの従兄にあたるフン・トー(Hun To)がいる。フン・トーはフン・センの兄フン・ネン(Hun Neng,コンポンチャーム州とスヴァーイリアン州の知事,コンポンチャーム州選出の国民議会議員,人民党中央委員会委員などを歴任,2022年死去)の息子である。なお,フン・トーの義兄弟には,ヒューマン・ライツ・ウォッチ(注2)がフン・センの「ダーティーな12人の将軍」と称したネット・サブーン副首相(元警察庁長官)がいる。
2025年5月27日,詐欺をしている日本人がいるとの情報に基づいて,警察がポイペトの詐欺拠点と思われる建物を捜査し28日には少なくとも日本人20人を含む外国人30人を拘束した。日本国内でポイペトが一般に認識されたのはこの時だっただろう。愛知県警が情報をつかみ,警察庁が外務省を通じてカンボジア警察に情報を提供,協力を要請した。この情報は,同所で働かされていた男性からもたらされたもので。彼は,2024年12月,大手求人サイトに掲載れた広告に応募し,タイを経由して陸路でカンボジアに入国し,かけ子をさせられたという。彼は,通信アプリで家族に助けを求め保護され,2025年1月に帰国,警察に情報を提供した。拠点は,町の中心地から少し離れた「金河園区」と呼ばれる地域にある。「園区」とは中国語で工業団地をさすが,これが派生し大型詐欺拠点をさすようになった。拠点では,8人前後の中国人がモニターで監視,周囲には警備員が配置され,警察官になりすまし,マネーロンダリングなどの捜査を装って金銭を要求する詐欺をしていた。拘束後,被疑者はすぐにプノンペンの収容施設に移された。8月20日,愛知県警は,プノンペンからのチャーター機上で,詐欺未遂容疑で,29人の日本人を逮捕した。
2025年6月,タイの国家放送通信委員会(NBTC)は,国内のすべての通信事業者に対し,カンボジアに提供しているブロードバンドとモバイルインターネット接続を即時停止するよう命じた。これは,近年急増しているコールセンターからのオンライン詐欺への対策の一環として講じられたもので,ポイペトのカジノ地区を念頭に置いたものである。また,タイのサイバー警察はアメリカがマネーロンダリングの疑いで金融制裁を課したフイオン・グループを,オンライン詐欺の被害金の流入先として注目している。タイのプームタム暫定首相は,フン・センやフン・マナエトなどの逮捕・起訴計画に関する8月17日の記者会見で,タイにおけるフン・センの金融事案を調査するのかを問われ,「それは適宜検討が必要な事案である」として,少なくとも,政府の関心事項であることを明確にした。これはフイオン・グループのことである。
2019年にトリー ピアプ,2024年9月にリー・ヨン・パット(上院議員)がアメリカ財務省からオンライン詐欺に関連する人権侵害に関与したとして,彼が率いるLYPグループとともに制裁を科されたのに続き,2025年7月8日,今後は,タイ警察が同じくカンボジアの上院議員で,ポイペトに複数のカジノを所有するコック・アーン(Kok An)が,オンライン詐欺やマネーロンダリングに関与したとする逮捕状を裁判所に請求した。逮捕状は発行済みで,同日,警察はタイ国内19カ所で家宅捜索を実施した。フン・センがペートーンターン政権に批判的な発言を繰り返していたことから,今回の逮捕状の発出はタイの意趣返しだとの見解があるが,8日,タイのタウィ法務大臣は「家宅捜索と国境紛争は無関係である。国際的な犯罪シンジケートの摘発はタイにとって優先課題」と説明した。また,14日,タイ警察は,国際犯罪に関与した容疑で,コック・アーンの子供3人の逮捕状を裁判所に請求し,裁判所はこれを認めた。3人はタイの身分証明書を持ち,タイに7件の不動産を所有している。警察は11億バーツ(約50億円)以上の資産を押収,国際手配に向けた手続きを進めている。タイ政府報道官は「カンボジアには大規模な『詐欺産業』がある。各国と連携して撲滅を目指す」と強調した。リー・ヨンパットなど3人はカンボジアを代表する企業グループのリーダーで,フン・センの側近である。3人はすべて外国政府によって告発されており,カンボジアに自浄作用はない。コック・アーンは1954年生まれ,コッコン州出身,アンコー・グループ(ANCO Group)のオーナー,人民党所属の上院議員(2006年~現在)で,華人,オクニャである。タイ・ベトナム両国との国境地域(ポイペト,バベット,パイリン,チュレイトム)を拠点にカジノ・リゾート事業を展開しており,「ポイペトのゴッドファーザー」と呼ばれている。
[注]
- (1)Amnesty International, Cambodia: Government Allows Slavery and Torture to Flourish inside Hellish Scamming Compounds,26 June 2025.
- (2)ヒューマン・ライツ・ウォッチ『カンボジア:権力を乱用するフン・セン首相の将軍たち』2018年6月28日。
関連記事
鈴木亨尚
-
[No.3978 2025.09.01 ]
-
[No.3965 2025.08.25 ]
-
[No.3958 2025.08.18 ]
最新のコラム
-
New! [No.3994 2025.09.15 ]
-
New! [No.3993 2025.09.15 ]
-
New! [No.3992 2025.09.15 ]
-
New! [No.3991 2025.09.15 ]
-
New! [No.3990 2025.09.15 ]
世界経済評論IMPACT 記事検索
おすすめの本〈 広告 〉
-
ASEAN経済新時代 高まる中国の影響力 本体価格:3,500円+税 2025年1月
文眞堂 -
ビジネスとは何だろうか【改訂版】 本体価格:2,500円+税 2025年3月
文眞堂 -
日本企業論【第2版】:企業社会の経営学 本体価格:2,700円+税 2025年3月
文眞堂 -
大転換時代の日韓関係 本体価格:3,500円+税 2025年5月
文眞堂 -
中国の政治体制と経済発展の限界:習近平政権の課題 本体価格:3,200円+税 2025年5月
文眞堂 -
企業価値を高めるコーポレートガバナンス改革:CEOサクセッション入門 本体価格:2,200円+税 2025年5月
文眞堂 -
18歳からの年金リテラシー入門 本体価格:2,400円+税 2025年4月
文眞堂 -
百貨店における取引慣行の実態分析:戦前期の返品制と委託型出店契約 本体価格:3,400円+税 2025年3月
文眞堂