世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3939
世界経済評論IMPACT No.3939

カンボジア・タイ国境紛争と停戦合意:ASEAN,アメリカ,中国による仲介

鈴木亨尚

(元亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

2025.08.11

 2025年7月29日,ASEAN,アメリカの仲介の下,カンボジアとタイとの停戦合意が発効した。本稿では,停戦合意に至る経緯,その内容,その後の状況について検討する。

 まず,カンボジアとタイの紛争解決や停戦についての基本的な考え方をみていこう。タイは,経済的にも軍事的にも,カンボジアよりも強大であり,タイは強者に,カンボジアは弱者に設定される。しかも,MOU43(2000年に両国により締結された国境画定に関する覚書で「43」は仏教暦2543年の意味)が現状維持を規定し,かつ,国境未画定地域の大半をタイが実効支配しているので,タイは何もしないことが利益となる。その結果,紛争解決に関し,タイは,従来から二国間での協議を主張し,一方,カンボジアは国際社会の関与を求めてきた。5月28日にカンボジア,タイ,ラオスの国境であるエメラルド・トライアングルのモム・ベイであったカンボジア軍部隊とタイ軍部隊との偶発的衝突によるカンボジア兵士1名の死亡を受けて,カンボジアは,6月15日,「モム・ベイ」の他,ウッドーミアンチェイ州とタイのスリン県の境界にある「タ・モアン・トム寺院」,「タ・モアン・トック寺院」,「タ・クラベイ寺院」という4か所の国境紛争を国際司法裁判所(ICJ)に付託した。同日は,1962年6月15日にICJが「プレアヴィヒア事件」判決で,プレアヴィヒア寺院がカンボジアに帰属するとの判断を示し,カンボジアにとり「タイに勝利」した記念日でもある。

 7月24日の「タ・モアン・トム寺院」における両軍の衝突後,事後的に判明した事実によれば,すぐに,仲介の動きは始まった。24日夕方には,ASEANの現議長国であるマレーシアのアンワル首相がカンボジアのマナエト首相(「マネット」と表記する場合も多い)と電話会談を行い,マナエトはアンワルの停戦提案に同意した。その後,アンワルはタイのプームタム暫定首相と電話会談を行い,プームタムもアンワルの停戦提案に同意した。さらに,その後,24日午後10時頃に,マナエトはアンワルからで,24日午後12時を停戦開始時刻とする旨,電話連絡を受けた。しかしながら,24日午後11時頃にタイが停戦合意を撤回。撤回の理由は軍部の反対だと報じられているが,現時点では明確になっていない。25日,タイのラッス外務副大臣は,ASEAN,アメリカ,中国が仲介を申し出ているが,タイは二国間協議を通じて問題を解決したいとの従来の主張をメディアに述べている。

 25日,タイによる主権侵害を理由にカンボジアにより要請された国連安保理は非公開の緊急会合を開催した。一方,タイはカンボジアによる先制攻撃があったとの書簡を安保理に提出していた。カンボジアは,タイに対し,無条件の即時停戦と紛争の平和的解決を要求するとともに,国際社会の関与を求めたが,タイは,カンボジアが敵対行為を停止したうえでの二国間協議の再開を求めた。一方,カンボジアはタイがクラスター爆弾を使用したと非難し,タイの攻撃でプレアヴィヒア寺院が甚大な被害を受けたと主張したのに対し,タイはこれを否定した。その上で,タイはカンボジアによる一般市民に対する攻撃を強く非難した。国連安保理の会合では,全理事国が,両国に対し,最大限の自制と外交的解決を求めた。

 26日,トランプ米大統領はタイとカンボジアの首脳と電話会談し,両国が停戦協議開始で合意したとSNSに投稿した。トランプは「両国は即時の停戦と和平及びアメリカとの『交渉テーブル』への復帰を求めている。停戦まで,後者は適切でないと我々は考えている。停戦が合意され,和平が間近になった時,私は両国との交渉を再開し合意することを待望する」と書いた。これまで,タイは国際社会の関与を嫌っていたが,トランプに関税協議を持ち出されて,それまでの態度を変えた。8月1日,アメリカは両国に対する関税率を19%に引き下げると発表した。同日,カンボジアはトランプをノーベル平和賞に推薦する方針を決定した。

 7月28日,マレーシアの首相公邸で,マナエトとプームタムが,アンワルの仲介,米中の駐マレーシア大使の参加の下で会談した。会談後の記者会見で,両国首脳は握手をした。共同声明は,「カンボジアとタイは,以下の共通の理解の達した。

  • ⅰ 2025年7月28日午後24時に効力が開始される即時・無条件の停戦
  • ⅱ 29日午前7時,地域司令官(タイ第1軍管区・第2軍管区,カンボジア第4軍管区・第5軍管区)による非公式協議の召集。その後,両国が合意すれば,ASEAN主宰の下での防衛武官による会合の開催
  • ⅲ 8月4日,カンボジアで,一般国境委員会(GBC)を召集

 ASEAN議長であるマレーシアは,その実施を検証・確保するために,監視団を調整する用意がある。マレーシア,カンボジア,タイの外務大臣及び国防大臣は停戦の実施,検証,報告に関する詳細な枠組みを策定するよう指示された。この枠組みは持続的な平和と説明責任の基盤となる」と述べている。

 29日,タイ軍は,停戦発効後に複数地点を攻撃したとカンボジアを非難,タイは停戦を仲介したマレーシア,アメリカ,中国に対し,証拠を提出した。一方,カンボジアは,これをでっち上げだと反論した。この影響を受けて,29日午前7時に開催予定だった現地軍幹部による非公式協議は正午前に遅れて開催された。ここでは,(1)停戦の実施とすべての部隊の動員・移動の停止,(2)一般市民を攻撃しないこと,(3)死傷者の国境を越えた輸送の促進,(4)共同協力パネルの設置,(5)次回会合を8月4日のプノンペンにおける一般国境委員会(GBC)の際に開催,が合意された。8月4~7日,GBCがマレーシアで召集された。4~6日は事務レベルによる予備的GBC会合,7日が両国の国防大臣が共同議長を務めるGBC,オブザーバー国(マレーシア,アメリカ,中国)は7日だけ参加する。開催地のカンボジアからマレーシアへの変更はタイの要望と考えられ,停戦監視団の設置などが議論されるものと思われる。

 7月29日,マレーシア軍部隊の司令官がカンボジアに到着。国境地帯に入り,カンボジアとタイの現地司令官と会談した。31日にはマレーシア,ベトナム,フィリピンの武官から構成されるASEAN臨時国際監視団が紛争地域を視察した。8月1日,タイが日米など20か国ほどの国の大使や武官を国境付近に招き,攻撃を受けたコンビニや病院などの現場を公開した。

 一方,7月30日に中国は,孫衛東外務次官がカンボジアとタイの当局者と上海で非公式会合を開催,両国が停戦合意を遵守する意思を再確認したと発表した。

 しかし,事態は改善していない。30日,タイはシーサケート県の軍拠点がカンボジア軍の攻撃を受けたと発表した。一方,カンボジアは,それに先立つ29日に国境地帯でカンボジア兵20人がタイ軍に拘束され,うち,1人が殺害されたと発表した。これに対し,タイは拘束を認めたうえで,タイに投降したと反論した。カンボジアは即時解放を求めた。この件で,30日,プレアヴィヒア州で,カンボジア軍のプレアヴィヒア軍事作戦地域のチャン・ソピアクダ司令官は視察に来たアメリカを含む13か国の武官・外交官に,タイ兵がカンボジア兵に握手を求めたが,握手の最中,タイ兵は突然武器を構え,20人のカンボジア兵を包囲・拘束したと説明した。これに対し,タイは,この20人はタイの領土に侵入し,塹壕を攻撃しようとしたので拘束したと説明した。この際,フン・センの側近の中将が戦死しており,何か特別な作戦を遂行中だった可能性がある。8月1日,20人のうち,2人が心身の故障を理由に解放され,残りは18人となった。4日,タイは18人を捕虜として拘束しており,武力衝突が完全に終結した後に本国に送還されると説明した。5日,国際赤十字の代表が拘置所を訪問,18人の状況を確認した。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3939.html)

関連記事

鈴木亨尚

最新のコラム

おすすめの本〈 広告 〉