世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3416
世界経済評論IMPACT No.3416

脱炭素に向けたファイナンスの拡充には何か必要なのか

白井さゆり

(慶應義塾大学 教授)

2024.05.13

 本年5月初めにアジア開発銀行(ADB)年次総会がジョージアで開催され,ADBと同研究所で「気候ファイナンスの拡充と金融安定の維持~アジア・太平洋は気候関連ファイナンスリスクにどう対応すべきか」と題するイベントを開催した。フィジーの副首相やマレーシア証券委員会とフィリピン中央銀行の幹部と筆者でパネル討論会を開催し,高評価を得た。

気候関連の深刻な課題

 アジア地域は石炭火力発電に大きく依存している。中国以外でも製造業の生産拠点が構築されつつあり,人口増加と経済成長により電力需要が高まっている。現状のままだと温室効果ガス(GHG)排出量が一段と増えていくことが懸念されている。石炭火力発電所は操業して間もない施設が多く,老朽化を待って低炭素な施設に転換するのでは温暖化に対応できない。このため低炭素エネルギー供給を早急に拡大しつつ,既存の火力発電所からの排出量を大幅削減するのかが課題となっている。石炭火力発電所の早期閉鎖の他,二酸化炭素の回収・貯留(CCS)や水素等との混焼といった技術の商業化も必要になる。地球温暖化の進行を少しでも抑えるには,気候変動の「緩和」対策が早急に必要だ。それにはカーボンプライシング,環境規制,低炭素経済への移行を促す補助金や公共投資等の総合的な政策が必要になる。

 その一方で,フィジーのような太平洋諸島やアジア地域沿海部を中心に,気候変動に伴う海面上昇,海洋酸性化,洪水,暴風雨,干ばつ等の物理的リスクが顕在化している。既に,漁業・農業・観光業への被害,食料不足,生物多様性やサンゴ礁の喪失,飲料水の不足という問題が現実化している。こうした地域では,被害を少しでも減らすための気候変動の「適応」対策が優先される。

気候ファイナンスの拡充には情報開示が不可欠

 世界では気候対応のための多額の資金が必要で,GHG排出量を国際的合意である2050年頃までに正味ゼロまで削減するには,緩和・適応対策を含めて少なくとも年間4兆円程度の資金が必要だとされている。相対的に技術と資金があり,(削減ペースは不十分だが)低炭素化を進める先進国に比べて,対応が遅れる新興国・途上国では多額の資金が必要だ。クリーンエネルギー投資だけでも,現状の1兆ドル以下から2035年頃までには4倍程度の資金が必要になる。中でもアジアは中国を除いても多額の投資資金が必要になる。

 太平洋諸島の場合は先進国政府や市民社会等による無償資金の拡充が欠かせない。一方,フィリピンやマレーシアを含む多くのアジア諸国では,気候変動の緩和対策のために産業・企業への投資が中心になるため民間資金への期待が高い。既存のESG投資家だけでなく一般的な投資家・金融機関の資金を呼び込むためには,投資家が現状と将来のリターンとリスクをある程度試算できる必要があり,そのために世界では気候関連情報開示の標準化が進もうとしている

 国際会計基準策定団体IFRS財団が設立した国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が昨年公表した基準がグローバルスタンダードとなる。G7やG20だけでなく,証券監督者国際機構(IOSCO)や金融安定理事会(FSB)を含む多くの重要な国際組織がISSB基準に対して公式に支持を表明している。

 次第に各国で同基準の開示を法律で義務化することが期待されている。日本でも今年3月に同基準を一部修正した草案が公表され,2025年3月までに最終化される。金融庁は,最終基準を東京証券取引所のプライム市場の上場企業を対象に,まずは最大手企業から早くて2027年3月期に有価証券報告書での開示を義務づける意向だ。

 投資家・金融機関にとって重要なのがGHG排出量データである。国内外の自社工場や購入電力からの排出だけでなく,サプライヤーや利用者からの排出も開示が義務づけられる。中小企業は対象外でも,大企業のサプライヤーとして自社の排出量の開示が期待される。

 加えて欧州連合(EU)が,「企業サステナビリティ報告指令」の下で,中小企業を含む企業にISSB基準を含むがより詳細な開示の義務化を今年から段階的に始めた。EUに一定規模以上の子会社をもつ,あるいはEUと一定規模以上の取引がある日本を含む外資系企業にも段階的な開示が義務化される。

企業の情報開示の標準化は広がるか

 本年4月に,ADBとADB研究所でアジアの20か国以上の諸国の政府・金融当局職員向けに気候関連の企業の情報開示基準やGHG排出量算定に関するワークショップを開催した。筆者も複数の講義を担当したが,ISSBや日本取引所グループ(JPX)とともに,日本や韓国の大手企業にも情報開示の実践について話してもらい好評だった。

 ISSB基準の法制化に向けて準備を既に進めている規制当局の動きも目立ったが,同基準のことを知らない国が多いことに驚かされた。世界の動向に取り残される国・企業は開示を進める国・企業との間で資本流入ギャップが生まれていく可能性がある。将来的には投資家・銀行の投融資判断にもそうした開示内容が反映され,借り手の資金調達費用に影響すると予想される。

 経済活動により地球温暖化が急速に進んでいる以上,全ての国や企業が早急に気候リスクに対する意識を高めていく必要がある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3416.html)

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