世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3009
世界経済評論IMPACT No.3009

欧州中央銀行 金融政策の舵取り

瀬藤澄彦

(国際貿易投資研究所 客員研究員・元帝京大学 教授)

2023.06.26

 創設から25年間,欧州中央銀行(ECB)の成長が語られる。物価安定はその第一義的な政策目標であるが,これまで何回かのユーロ危機を乗り越えることができた。ECBは今や欧州統合の最も深化した発展段階に達し,中銀としての中立性や権限を兼ね備えたEUの確固たる機関となった。このほど,ラガルドECB総裁はフランフルト市東部のマイン川沿いにあるECB本部の高層ビル,ユーロ・スカイ・タワーにショルツ独首相などを招待して25周年記念パーティを開催した。しかし祝祭ムードの背後ではインフレ目標2%達成に暗雲が立ち込めている。この政策目標を巡ってリフレ派と緊縮派の間で意見の違いが次第に目立つようになってきた。日刊紙ルモンドのEric Albert記者は「インフレ抑制に失敗した欧州中銀」という辛辣なタイトルでラガルド総裁の政策を批判。また経済界寄りのフランスの経済日刊紙レゼコーの Alexandre Counis記者は「ECBはその目標達成にほど遠く,米国の連邦準備銀行(FRB)の一強体制の序列構造は今も変わりない」と厳しく論説する。

 ユーロ危機後,深刻なデフレ傾向にあったユーロ圏は,EU委員会の2023年予測値で実質GDP1.1%と米中日に比して最低となった。ルモンド紙によると,欧州では常套句のように指摘された“ジャパニゼーション”(「日本化」)現象に伴う流動性の罠から脱出することについて,ラガルド総裁は非常に楽観的で確信に満ちた発言に終始していた。「インフレは凹凸で22年には沈静化する」との総裁見解とは異なりEU内の物価上昇は高水準に推移している。EU史上最大規模のパンデミック対策緊急支援策(PEPP)は当初の7500億ユーロからEU予算の追加で1兆7000億ユーロという驚愕に近い破格の水準になった。数回の都市封鎖の解除後も流動性は金利ゼロかマイナス金利で市場に供給されたが,当局にはインフレ局面への後戻りなどはもうありえないという盲信が「狂気」のように横溢していた。現下のインフレ高進は,「ECBは,加盟銀行と一緒になって運転席で集団居眠り」をしていた重大な「エラー」の結果であるとキング元英中銀総裁や多くのシンクタンクは分析。キング元総裁によれば戦後最大の通貨の流通速度で記録された。

 パンデミック,ウクライナ戦争,エネルギー危機,食糧危機などの供給網の寸断からくる供給制約型の物価上昇は,コロナ収束,世界的な暖冬,抜け駆けの多い経済制裁などによって需給ギャップのバランスが供給不足から需要過多のディマンド・プッシュ型に変質した。ECBでもドイツなどを中心に賃金引上げのスパイラル・インフレの様相を呈するようになっていた。ECBも危険を察知して,2022年からの金融緩和路線を1年の間にマイナス0.5%の政策金利を3.25%へと8会合連続で史上最速の引き上げを実行。さらに今年中に2回,それぞれ0.25%の引き上げを予定するフォーワード・ガイダイスを打ち出すまでに至っている。資産縮小も旧ピッチである。今や問題はEBCが過度に金利引き上げを行うのではないかという心配である。

 単一通貨ユーロを導入するユーロ圏の金融政策運営を担う政策理事会(Governing council)は,総裁や副総裁ら4人の役員の計6人とユーロ圏各国の中央銀行総裁20人で構成される合計26名のECBの最高意思決定機関である。26人のECB理事のリフレ派と緊縮派の間の意見調整には時間がかかる。ECBの政策理事会は総裁,副総裁,政策理事4人の6理事と,中銀総裁の理事20名によって最高意思決定がなされるが,今回も政策変更に非常に時間がかかったこと,その結果,金融引き締めに入る時期がかなり遅れてしまったのではないかという深刻なタイミングの問題が指摘され始めた。とくにコロナ後のインフラ分断,高インフレ,ウクライナ戦争,エネルギー危機などへの政策対応の遅れが批判の対象になっている。デフレ対策路線の変更が遅れてしまったのである。政策金利の異例の連続引上げ,資産買入縮小などを巡っては,ブルームバーグ(Bloomberg)の文献によると26人のECB理事会の内,比較的中立の考えを持つラガルド総裁,エルダーソン,ビルルワ,レーンの4人金融政策委員以外の21人の各国中銀総裁で構成される政策理事会は,タカ派が14人で,この数はハト派8人の2倍近い緊縮派の理事で占められている。欧米日の置かれたマクロ経済,インフレ率,雇用状況などの違いをある程度捨象して眺めてみても,今回の金融緩和から引締めへの転換がもっともは早かったのは英国中銀で2021年12月,次いで米国FRBで22年3月,次いで欧州中銀は22年7月という具合に米英の約5~6か月遅れでの実施であった。日銀の長期金利のYCC利回りカーブの許容幅拡大はさらに遅く22年12月であった。政策実施のタイムラグだけでない。タイミングの遅れは,この期間に生じたインフレの性格が変化したことである。欧州は遅れて緊急経済総合対策を欧州グリーン・ディールも動員して史上類を見ない額の資金をつぎ込むのに躍起となっていた。今日ではミクロ経済面で企業は購買力増強を意識した賃金水準も一般化し,インフレの性格も総需要が総供給を上回る反対の物価上昇局面に変質した。ECBは2021~22年の金融緩和路線は22年に一気に資産購入停止も含めた引締めに転じた。政策金利は1年前のマイナス0.5%から3.25%につり上がった。ルモンドによると「問題は政策理事会が約6週間に1回のペースで開催され,開催日から約4週間後に議事要旨が公表されるが,金利の引き上げに政策転換するのに遅れが目立ち,逆にこの“大型艦船”(supertanker)は歴史的に景況が急落するとき金利引上げを止める時期の遅れがいつも目立ち,今回もまたこのシナリオ通りになってきた」と結論づけている。時期を逸し遅れた金利引上げにECB理事のイタリア中央銀行総裁イグナチオ・ヴィスコはEUの景気後退を加速させると懸念を表明している。ラガルド氏は経済学専攻でない初のECB総裁,ECBは象牙の塔からユーロ圏の政治的現実を直視することが期待されている。

[参考文献]
  • Eric ALBERT, Pour ses 25ans la Banque centrale européenne en échec à l’inflation, le Monde 24 mai 2023
  • Christine Lagarde, La BCE, pierre angulaire d’une Europe unie, Les Echos 24 mai, 2023
  • ECB Governimg Council : Hawks &Doves,Bloomberg 2023年3月22日
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3009.html)

関連記事

瀬藤澄彦

最新のコラム