世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2961
世界経済評論IMPACT No.2961

時代が変わり,世界が変わり,通商政策が変わる:IPEF登場と新規FTA減少が意味するもの

鈴木裕明

(国際貿易投資研究所 米国研究会 委員)

2023.05.22

サリバンが示す「4つの挑戦」

 米国が保護主義から戻らない。トランプが衰退製造業地域へのアピールとして始めたこの流れは,バイデン政権になってもオバマ時代の自由化路線回帰とはならず,むしろトランプ路線が基本継続されている。TPP復帰も見通せない。米国の通商政策は,これからどこへ向かおうとしているのか。

 ジェイク・サリバン大統領補佐官はこの点について,4月27日の講演で以下のように説明する。

  • ◦米国は今,4つの挑戦に直面している。第一に,経済効率化を単純に当てはめすぎたことによる,戦略物資や雇用など国内産業基盤の空洞化,第二に,世界経済に組み込まれても中国等が国際ルールに合わせないまま台頭して地政学・安全保障面での競争者となったこと,第三に,温暖化危機の加速,第四に,貿易等による経済成長が結果として国内に不平等をもたらし民主主義にダメージを与えていることである。
  • ◦これらに対し通商政策は,関税削減を主としたFTAでは対応できず,新たな地域経済イニシアティブを起ち上げる必要がある。それがIPEF(インド太平洋経済枠組み)であり,APEP(経済繁栄のための米州パートナーシップ)である。事後対応の継ぎ当て政策や曖昧な再分配の約束をすればよいという時代は過ぎた。世界は変わり,既にゲームは同じではない。
  • ◦安全で持続可能な経済を作るために組む同盟国にはもっと多くを期待する。中国とはデカップリングではなく,リスクの低減と分散(de-risking and diversifying)。貿易を遮断しつつあるわけではない。

 サリバンは従来型FTAによる自由化やWTOへのコミットは続けるとしているが,それらは明らかに米国の通商政策の「主」ではなく「従」に後退,「主」はIPEFとなる。

 4つの挑戦のうち,温暖化を除けば認識は概ね超党派といえ,そのかなりの部分が解消されない限り米国がオバマ以前の路線に戻ることは難しい。そして4つの挑戦は,どれも容易に解消できそうにない。

細るFTA新規発効件数

 サリバンは4つの挑戦について,他の先進国や新興国も同様の問題を抱えているのではないかと指摘している。米国のように明確にFTAから退かないまでも,実際,FTAやEPAなど貿易協定の新規発効件数は減少している。WTOによると(注1),2009年の21件をピークに減少傾向が続き,17~20年は一桁件数,22年には1件となってしまった。21年のみ過去最多の42件を記録したが,BREXITにより対EUの協定を対英として継承した英国が36件を占めており,これを除くと6件にとどまる。

 もちろん趨勢を数だけでみるのはミスリーディングであり,近年は2カ国間ではなく多国間での大規模協定,たとえばCPTPPが18年12月に,RCEPも22年1月に一部参加国で発効している。また,WTOデータベースは通知を受けた協定の件数であり,RCEPなど現時点でカウントされていないものがあるため,今後,22年の発効件数は増加が見込まれる。

 その一方で,明確な消極姿勢を取る米国以外でも,日本は,対EU,RCEP,CPTPP,限定的ながら対米まで実現しており,もはやこれ以上の規模となる相手国・地域は見当たらず,EUも対中投資協定(貿易協定ではないが)の批准が頓挫,ASEAN各国とのFTAもなかなか広がらず,むしろ通商政策の視線はCBAM(炭素国境調整メカニズム)のような規則・関税強化に向き始めているようにみえる。

 世界の協定を地域別にみても,一国あたりの参加協定数が少ないのは,アフリカ,中東,一部中南米であり,これら地域に共通するのは,理由はそれぞれながらグローバル・サプライチェーンにあまり組み込まれていない(組み込むことが難しい)ことである。貿易協定はサプライチェーンのインフラ整備にも資するものであり鶏か卵かという面はあるが,多国籍企業にとっては総じて協定の必要度は下がり,政府間交渉の困難度は上がるといえよう。

「新型」が参加国にもたらすもの

 それでは,こうした世界の通商環境において,米国主導のIPEFはどのような存在となるのだろうか。IPEFは,交渉範囲を①貿易(環境・労働,デジタル貿易のルール整備等),②サプライチェーン(断絶に備えた強靭化のための諸政策),③クリーンエコノミー(クリーンエネルギー・技術促進),④公正な経済(腐敗防止,租税回避問題等)に限定している。関税削減は含まず,他方,安全保障と民主党が特に注力するリベラルな課題が前面に出されていて,貿易投資拡大は主眼とは言い難い。

 元来,貿易協定とは,時に政治目的が強調されることはあっても,根本は経済目的であった。貿易投資の活発化により生産者は効率を上げ,消費者は安価で多種の商品を手に出来,結果として経済成長も加速される。しかし,IPEFによる対処が期待される4つの挑戦はほとんどが政治・安保問題である。経済に関しては,効率改善ではなくその弊害を正すことが期待されている。IPEFに望める貿易投資促進効果は,分野・量・質いずれについても限定的かつ,経済原理ではなく政治目的で定められるものとなる。

 こうしてみると,IPEFは通商協定というよりは,米国を中心とした国際的クラブと考えるのが相応しいかもしれない。平時にはクラブ内限定サプライチェーンに参加して米国市場にアクセスしやすく,新興国・途上国は先進国から各種支援も受けられ,危機時には助け合いの輪に入れる。その代わり,政治・安保・価値観を米国と共有することが求められる。それは既存のFTAの概念,すなわち,自由化は締結国間に限られるが,ほとんど全ての品目の関税を撤廃することで,やがてその積み重ねが世界全体での自由化へと繋がっていくという,これまでのWTO下の世界観とはほぼ別次元のものといえる。

 「米国クラブ」に入っていいのかと躊躇いが残る国もあるが,そもそも政治・安保・価値観がある程度一致していそうな国にしか参加は呼びかけられていない。今年11月のAPEC首脳会議までに相応の結果が出る可能性は高い。

 この先,IPEFが稼働しFTAの新規発効件数がさらに細ったとしても,これまでに構築されたFTA網までが無くなるわけではない。むしろFTA網の薄い地域との新規交渉や,CPTPPへの英国の加入のように既存協定の拡張が徐々に進んでいくであろう。また,既存協定で関税の段階的引き下げが定められている品目についても,着実に自由化が進む。ただしサリバンが指摘したように,4つの挑戦を受けているのは米国だけではなく,IPEF的方向へと世界が進む下地もまたできている。ここ数十年の自由化優位から,この先当分はその是正・揺り戻しが入り混じり増大するように世界は変わり,通商政策もまた変わっていく。

[注]
  • (1)対象はWTOへ通知された協定。財・サービスを対象とする協定については併せて1件とし,若干ある既存協定への参加国追加や既存財協定へのサービス部門追加は件数から外して纏めた。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2961.html)

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