世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4245
世界経済評論IMPACT No.4245

高市政権が目指す「強い国」を実装するには:アジアの経済統合とデジタル貿易の時代に

白井さゆり

(慶應義塾大学 教授)

2026.03.02

 「強い国を取り戻す」という言葉は,国際秩序の不安定化や地政学的緊張が続くなかで,自然な共感を呼ぶ。米国は依然として世界最大の経済規模と軍事力を持つ大国であり,国際秩序の中心にある。その事実は変わらない。しかし,経済成長のダイナミズムという観点では,重心は確実にアジア,そしてグローバルサウスへと移っている。

成長の重心が移る世界で,日本はどこに立つのか

 アジアは世界で最も経済統合の進む地域の一つであり,生産ネットワークは域内に深く張り巡らされている。中間財を軸とした分業構造は続きつつも,米中摩擦以降は「チャイナ・プラス・ワン」による東南アジア諸国連合(ASEAN)への生産分散が進み,供給網はより多拠点・分散型へと再構成されている。関税政策や安全保障政策が産業戦略と結びつく時代に入り,企業は「効率」だけでなく「レジリエンス」を重視するようになった。

 同時に,世界第2位の経済大国・中国は依然として重要な生産拠点であるが,最終需要の源泉としての存在感も高めている。米国に加え,中国市場が家計消費や設備投資の面で大きな吸引力を持つようになり,アジア域内での需要構造も厚みを増している。

 さらに見逃せないのは,「自由貿易協定(FTA)」の数が増えたにもかかわらず,日本でも他のアジア諸国でもそれらが十分に活用されていないという現実である。

 「原産地規則」の複雑さ,行政手続の負担,制度運用能力のばらつきなどが,企業,とりわけ中小企業の活用を妨げている。自由貿易を促すルールは存在していても,実務面で「使い切れていない」。

 とくに,中小企業にとってこれが課題となっている。統合は進んでいるが,ルールが完全には活かされていないのである。

 このような世界で,日本にとっての「強さ」とは何か。人口減少が進み,国内市場の拡大に限界があるなかで,単独国家としての経済力を誇る戦略は現実的ではない。

 むしろ問われているのは,拡大するアジア経済圏の中でどの位置を占めるかである。日本にとっての強さとはもはや経済規模ではなく,ネットワークの中での位置と接続性である。

デジタル貿易を軸に,強さを実装する

 現在のアジアの経済統合を質的に変えているのは「デジタル化」である。

 第一に,アジアではデジタル貿易が急速に進展している。従来の統合は「部品や中間財を動かす」ことが中心だったが,いまや「情報・サービス・資金を動かす」統合へと拡張している。

 「デジタル貿易」とは,オンラインで注文される取引に加え,ネットワークを通じて提供されるサービスを含む国際取引であり,ここにはソフトウェア開発,クラウドサービス,データ処理,会計・法務・設計支援,オンライン教育などが含まれる。

 アジアでは,デジタル提供型サービス(DDS)の輸出が急速に拡大し,特にインドはICTやビジネスサービスで大きな存在感を示している。

 インドのサービス貿易の黒字額は大きく,アジア有数の規模に達している。多国籍のビッグテック企業を誘致する「グローバル・ケイパビリティ・センター(GCC)」は,インドを単なるアウトソーシング拠点から,AI開発やデータ分析,サイバーセキュリティなど高付加価値業務の中核へと進化させている。合わせて大学・専門学校のIT人材育成も高度化している。

 こうした流れの中で,競争力を左右するのは関税率の高低ではなく,スピード,データの信頼性,決済の相互運用性である。電子インボイスの標準化,ペーパーレス通関,電子証明書,単一窓口の高度化といったデジタル貿易円滑化は,企業の実際の取引コストを下げる。

 制度や政策を中小企業も含めて「使える形」にすること,つまり現場で機能させることこそが第一の優先課題である。

 ルールを増やすことよりも,既存の仕組みをデジタル化によって中小企業も活用できる形にすることが重要だ。

 日本国内での生産性の向上・人手不足の代替策としてだけでなく,アジアでのビジネス拡大のためにも,高市政権には政府・企業のデジタル化の実装に向けた対策を進めていただきたい。

 第二に,低コストで相互運用可能な決済インフラの整備である。アジアでは即時決済システムやQRコード決済の相互接続が進み,電話番号やQRコードでの送金が国境を越えて可能になりつつある。これは観光,越境電子商取引(EC),中小企業取引に直接的な効果を持つ。日本も自国の即時決済基盤をアジアのネットワークと接続する戦略を明確にする必要がある。接続性は抽象概念ではなく,具体的なインフラの形で実装される。そうでなければアジアの統合の動きに後塵を拝することになりかねない。

 第三に,越境データ流通のルール設計である。デジタル貿易はデータの移転を前提とするが,各国がばらばらに規制を強化すれば「デジタル分断」が生じる。企業は市場ごとに別のインフラを構築せざるを得ず,規模の経済が損なわれる。必要なのは開放か遮断かの二択ではなく,「開放と保護の両立」である。最低限の共通基準や相互承認の枠組みを整え,プライバシーとサイバーセキュリティを確保しながらデータ流通を可能にする設計が求められる。透明で限定的な例外規定を設けることで,安全保障と経済活動の両立を図ることも重要である。

 もっとも,デジタル化が自動的に包摂的な成長を生むわけではない。インドやアセアンの事例が示すように,デジタルIDや即時決済が零細事業者の参入障壁を下げる一方で,プラットフォーム依存やデジタルスキルの格差が残る。デジタル化によりアクセスの平等化が進んでも,成果は平等ではない。

 中小企業がデジタル会計,電子インボイス,越境対応を実装できる能力を持たなければ,統合の恩恵は限定的となる。だからこそ,接続性への投資と同時に,能力構築と競争政策,信頼基盤の整備が不可欠である。

 「強い国」という理念は抽象的である。しかし,その実体は具体的な制度,インフラ,能力の積み重ねによってのみ形になる。米国との関係強化は重要であるが,成長の重心がアジアとグローバルサウスに移るなかで,日本がどのネットワークの中核に位置するかという視点は避けて通れない。

 強さとは,接続性を設計し,実装し,活用できる国家能力である。理念の大きさではなく,制度の精度で競う時代に,日本は立っている。

[参考資料]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4245.html)

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