世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
賢者の名言から何を学ぶか:国際社会と日本の立ち位置を考えるヒント
(KKアソシエイツ 代表理事)
2023.03.27
混沌とした国際関係を理解することは容易ではない。予測不可能なことをVUCAと称するが,国際問題は予測はおろか現在起きていることを正確に知ることすら難しい。目下世界最大の懸念事項のウクライナ情勢については連日マスメディアの報道があり,したり顔の「専門家」のコメントが溢れているが,実は何が真実であるかは今のところ誰にもわからない。何が報道されているかよりも何が報道されていないか,何が語られていないかの方が重要との指摘もある。結局,ウクライナ問題の分析と評価は後世の歴史家に委ねるしかない。
著者は東大駒場と英オックスフォード大学で国際関係論を学んだ後,40年近く経済団体のスタッフとして外務省出向を含めほぼ一貫して海外畑を歩んできたが,その間,各界の中枢を担う多くの国際派の賢人に出会い,薫陶を受ける機会に恵まれた。そうした知の巨人から発せられた言葉が今も脳裏に焼き付いている。それは驚くほど平易でシンプルな表現なのだが,いずれも鋭く国際関係の本質をついており日本の国際的立ち位置について考える際の貴重なヒントとなるものばかりである。そこで本稿では,そうした賢者の中から3人の名言を紹介し,その含意について著者なりに若干の解釈を試みたい。
名言その1「必ず表と裏がある」
ひとつ目は著者の学生時代の恩師である衛藤瀋吉教授(1923~2007)による「国際事象には必ず表と裏の両面がある」という言葉である。衛藤教授は中国近代史を専門とする歴史政治学者だったが,国際関係論という学際的学問分野を東大(教養学部)のみならず広く日本のアカデミアの世界に確立させたパイオニア的存在だった。衛藤教授が授業のなかで何度も強調されたこの言葉は一見当たり前のことのように思えるかもしれない。だが,日々垂れ流されているウクライナ情勢をめぐる一辺倒で皮相的なマスコミ報道を聞いているとこの言葉の重い響きを改めて感じざるを得ない。
日本政府の常套句「力による現状変更は断じて許されない」のオウム返しでは思考停止であり,ウクライナ戦争終結の糸口にすらならない。衛藤教授の言われる両面の意味を読み解くには少なくともふたつの視点が必要だろう。第一に国家主権のパースペクティブである。すなわち,たとえ日本がどれほど国連憲章の理念を信奉し平和憲法を墨守したとしても,所詮世界は互いに疑心暗鬼な独立国家の集合体であり究極的にはアナキー(無政府)状態であるという厳しい現実である。衛藤教授が北方領土について「戦争で奪われた領土は戦争でしか取り返せない」とぽつりと寂しそうに言われたことを覚えている。
第二に歴史的パースペクティブである。ロシアは2014年にクリミア半島,そして今回はウクライナ東部4州を武力による併合という暴挙にでたが,これら地域を含むあまりに複雑で時に凄惨だった欧州の近代史を思い起こせば,ロシア国民の大半が併合を支持していることが単なるロシア政府による捏造報道や言論統制の結果だとは断言しにくい。欧州で主権国家の概念が確立して数百年の歴史のなかで,わずか直近80年足らずの「戦後国際秩序」は残念ながら未だ全世界が共有しているわけではなく極めて脆いものであることをプーチン・ロシアによって我々は今,思い知らされている。
名言その2「外務省は要らなくなった」
二つ目の名言は,日本興業銀行の頭取,会長を務め金融界を代表する国際派バンカーとして活躍した黒澤洋氏(1926~2000)による冗談半分のような言葉である。当時の著者はまだ社会人の駆け出しであり,本来ならば金融界の重鎮と直接親交できるような立場ではなかったが,日米貿易摩擦対応のため財界が派遣した訪米ミッションの団長と末端の事務局というご縁から公私にわたりしばしば直接指導を受ける光栄に浴した。黒澤氏はある内輪の飲み会でニヤッとしながら「金原君,戦争しなくなった戦後の日本には外務省は要らなくなったんだよ」と言われたのだ。
ドイツ語と英語を自由に操る黒澤氏は時々ギョッとするようなジョークを飛ばし周囲を驚かせたが,この言葉もそのひとつだった。むろん外交のない独立国家など存在しない。だが,外交戦略の必要性と行政組織としての外務省の機能は別である。黒澤氏のこのどぎつい名言の含意はふたつあったと思われる。ひとつは,日米安保体制の成立により戦後の日本は国家存亡のためどこの国と軍事同盟を結ぶべきかなど検討する余地がなくなったことである。それが戦前の外務省の役割との決定的違いだ。
もうひとつは,行政府として重要な国際的課題の大半が経済分野となったことである。貿易摩擦対応や通商交渉は通産省,農業貿易は農水省,国際金融は大蔵省が仕切り,外務省はしばしば蚊帳の外だった。外務省との調整や共有なしに所管分野の対外折衝を進めるのは他の国内官庁も似たり寄ったりだ。著者は在外公館(在ブラッセルEC日本政府代表部)の勤務中に2重,3重外交の実態を嫌というほど目の当たりにした。各省からの出向者は重要(と彼らが考える)情報は外務省ルートの公電にはせず,自宅のファックスで親元官庁に送付するのが日常茶飯事だった。黒澤氏の名言は今から30年以上も昔のことだが,そのような傾向は基本的には今でも変わっていない。ここで日本外交と官僚組織のあるべき姿について正面から論じる余裕はないが,現状が決して国益に合致していないのは確かである。本来ならば,省益ではなく真の国益を追求し得る行政組織は外務省以外にはありえない。
名言その3「国防の選択肢は3つしかない」
三つ目の名言は外務省出身の岡本行夫氏(1945~2020)による言葉である。21世紀幕開けの頃,同氏を研究顧問として迎えた財界シンクタンクに主任研究員(外交・安保チーム長)として出向することになり,チーム一行を連れて挨拶に出向いた時のことである。岡本顧問が「日本の安保について一緒に考えましょう」と言われたので,思わず「岡本先生と我々では大学院生と幼稚園児です」と答えたところ,即座に返ってきたのが次の言葉だった。「そんなことはない。簡単なことだよ。国を守るには①自分で守る,②他国に守ってもらう,③他国と協力して守る,この3つの選択肢しかないのだから」。
岸田政権が防衛費の倍増を打ち出したことをめぐる最近の国会での論争はこの3つのどれをベースにしているのだろうか。これが中国やインドのような国であれば間違いなく①であろう。では,日米安保体制を礎とする我々の選択肢は③のはずだが,果たしてそれがしっかりと国権の最高機関のなかで共有されているのか大いに疑問だ。反撃能力の是非や矛か盾云々の不毛な論戦の報道に接すると,国を守るとはどういうことなのかといった本質的な議論がスルーされているとしか思えない。与野党問わず意識の中心は実は②にあるのではないか。
決してあって欲しくはない不測の事態の際の対応は政治家任せにできる問題ではなく,国民全体の意識が重要である。髙橋洋一氏が近著(「プーチンショック後の世界と日本」徳間書店)の中で紹介している「世界価値調査」は衝撃的だ。「戦争になったら国のために戦うか?」との問いに「戦う」との回答が日本は何と86か国中,断トツで最下位の13.2%だった(中国は88.6%,韓国は67.4%,米国は59.6%,ドイツは44.8%)。2020年に集計されたこの調査で日本の次に低かったリトアニアは30%超だったが,今般のロシアによるウクライナ侵攻後に再び調査があれば同国の「戦う」の回答は飛躍的に増えるに違いない。
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