世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
プリント基板製造企業の新しい動向:“チャイナ・リスク”による“タイ・シフト”の加速
(九州産業大学 名誉教授)
2022.11.21
台湾と中国のプリント基板(PCB)生産量の市場シェアは世界の3分の2を占めるが,米中のサプライチェーンにおけるデカップリング(分断)により,ハイテク分野であるPCBではその影響が顕著だ。現在,台湾のPCB企業の対中投資は,上海近くの昆山,湖北省の南東部の黄石と香港に近い深圳などの地に集中している。人々は半導体チップの不足に注目するが,チップがあってもPCBがないと,スマートフォンの組立ができない不可欠の部品である。ここ数年。日米によるTSMC(台湾積体電路製造)の製造拠点の誘致や,アップルのiPhoneの一部組立業務をインドにシフトさせる動きなどが注目されるが,PCBの市場におけるアベラビリティが重要なポイントとなる。この1年来,PCB業界で新しい動向を見ることが出来た。
滬士電子(WUS Printed Circuit (Kunshan))は,台湾のPCB製造企業・楠梓電子の中国向け現地法人で,1992年に昆山工場を設けた。創業者の呉禮淦は「台湾富豪Top50ランキング」の第44位であり,成功した経営者の一人である。先頃,滬士電子は昆山工場の拡大をやめ,タイに投資することを公式に発表した。
昨年まで大部分のPCB製造企業は,中国への投資以外の選択がなく,東南アジアへの投資プランはあるが,実際の進度がなく,様子見の状態であった。過去2年間に業界が開催したタイと北部ベトナム投資訪問団のツアー参加企業は少なかったが,今年開催されたツアーでは参加者は直ぐ定員一杯になった。なぜ1年足らずに対東南アジア投資への関心が急速に高まったのか。ツアー参加者の多くは企業の会長・CEOで,現地で売り出した工場用地と付近のインフラ環境などに満足できた場合,その場で即決し契約を結ぶ。トップダウンで決断する点は,日系企業の投資決定のプロセスよりも速い。そのために,前述の滬士電子のほか,台虹科技(TaiFlex),台光電子(Elite Material),燿華(Unitech Printed),台郡科技(FLEXium),尖點科技(Topoint Technology)などPCB関連企業は,タイを始めとする東南アジアへの進出を発表した。PCB製造関連設備に加え,材料関連の企業が東南アジアへの投資を進めれば,タイに新しい産業集積が生まれることになる。
“チャイナ・プラス1”を積極的に選択する企業は,2つの種類に分けられる。1つは,アップルのサプライチェーンに組み込まれたPCB企業である。鴻海の中国現地法人「富士康」の鄭州工場はアップル最大のiPhone組立工場(iPhone14 ProとiPhone Pro Max)で,90本の生産ラインで,約30万人を雇用している。この鄭州工場に新型コロナ感染者が発生したため,中国のゼロコロナ(静態清零)政策により,工場が封鎖された。しかし,深夜に大量の従業員が工場の塀を越えて逃げ出し,この様子は日本のニュースでも放映された。iPhoneの組立ができず,アップルでは売上業績の2割超の減少を予測するなど,生産に大きな影響を及ぼしている。アップルはゼロコロナ政策のよる“チャイナ・リスク”により,サプライチェーンに対し,“チャイナ・プラス1”を選択するように鴻海などに圧力をかけた。PCB企業のタイ向けの投資が急激に動いた原動力は,アップルなど大手顧客からの要請でもある。
いま1つは,中国だけに生産基地を設けた台湾資本だ。中国のゼロコロナ政策に加え,頻繁に停電が発生するため,生産が中断し,人件費が大きな負担になっていた。近年,人件費の高騰に加え,対中投資のコスト高のデメリットが顕著になり,企業の脱中国への動きが出始めている。
最近,台湾で開催されたPCB展示会の懇親会で論議にのぼったのは,PCB製造工場の脱中国の話題である。アメリカの情報筋によると,“台湾有事リスク”の高まりにより,“チャイナ・プラス1”の必要性が増した。そしてタイへの投資という新しい選択肢がにわかに盛り上がりを見せているという。
層間絶縁材とは,半導体チップとPCBの間に用いられる絶縁材を指す。PCBは数十ミリ四方の大きさで,髪の毛の10分の1の細い銅配線の回路が何層にも重なった多重構造になっており,その層と層の間を絶縁するのが半導体パッケージ基板用層間絶縁フィルムである。味の素ファインテクノが手掛ける層間絶縁材料「味の素ビルドアップフィルム(ABF)」が有名である。
2022年上期の世界の層間絶縁材の生産額は93.8億ドルであり,市場シェアで見ると,台湾の37.7%に続いて,韓国の28.4%,日本の22.8%,欧州の7.7%,中国の3.4%となっている。台湾のPCBや層間絶縁材は世界にとって欠かすことができない部品であり,半導体のほか,台湾を守る「シリコンの盾」の一つであろう。
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