世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2573
世界経済評論IMPACT No.2573

多角的地域協定の狭間で:紛争解決を第一義的に取り組む体制へ

末永 茂

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2022.06.20

 言語や社会慣習の相違を民族と定義すれば,何れ無数の民族に分裂してしまう。国連の最優先課題は国際紛争の実質的抑制であり,停戦である。我々は紛争原因を民族や宗教対立に求めるという,曖昧な社会学的迷宮から脱出すべきである。

国際開発の逆説

 赤道直下の開発は気候変動に大きく影響を及ぼし,近年は温帯・寒帯地域への影響も看過できない程になっている。そして,この地域は植生が豊かなだけに,伝統的部族慣習に基づいた社会構成も残存している。これを西欧型社会に改革することは長らく困難を極めていたが,ここ数十年の間に成長軌道に乗せることが出来たと,多くの開発経済学者は理解している。確かに国際開発政策の成果であるが,結果は高エネルギー社会の地球的規模での拡散と,止めどもない人口爆発の過程でもあった。人口増加率の高い諸国は紛争発生率も押し並べて高い。現地の研究者に「人口抑制策は採れないのか?」と質問しても,返ってくる答えは明瞭である。「一体誰が行うのか?」「膨大な貧困層を抱え,政府は完全に機能麻痺に陥っている」というのである。単一で均質な国際社会を構築することが,豊かで穏健な社会を齎すという思想はどうやら違うようである。錯綜する多民族国家の統治は,タリバンやある特定部族の専制的支配によってしか実現出来ていない。しかも,銃火器を背後に置きながらの政体である。

 複層的な民族構成や部族社会の在り方に関して,文化人類学の調査研究は膨大なストックがある。有力な説として『贈与論』があるが,モースは国民国家論も論じている。世界には今なお多様な文化圏とその政体を温存させ,またそれらが錯綜して内外の社会を構成している。この実態を踏まえて,近代ヨーロッパの諸原理をもって国際開発を推進しているが,国際主義に基づく政治交渉や世界平和は未だ弱体である。モーゲンソーのリアリズム論はそのことを指摘している。また,国連機能の強化が戦後一貫して叫ばれていながらも,国連軍の創設は実現できていない。米ソ二大陣営の対立抗争を経過して,さらに,この度のロシアによる周辺国への侵略行為が旧来の東ヨーロッパの秩序を崩壊させている。この時間軸の中で,ようやく我が国の安全保障理事会常任理事国入りというチャンスが,訪れようとしている。

 課題は巨大である。不均質な世界の現実をどのように包摂するかという問いである。世界には数限りない伝統的な部族慣習法が存在している。その許容範囲を如何に設定し,不均質な世界の現実をどのように統括するのか。科学的という神話をもってしても世界統治を実現するためには制約が大き過ぎる。10年にも及ぶユーゴ内戦や中東地域紛争はそれを物語っている。おそらく癌の軽減は可能だとしても撲滅は不可能であるように,人類史は戦争をなくすことは出来ないのであろう。その意味で,反戦論よりも国防論は上位概念として措定されなければならないように思う。

絶対悪に対する詭弁

 ウクライナ戦争で明らかになったことは,ロシア国民向けに行なったプーチンの戦争の大義にある。プーチンはロシア帝国の皇帝ピョートル1世の偉業を引用することによって,ソ連崩壊後のウクライナ独立がナンセンスとばかりに,侵略を正当化している。戦争に「正しい戦争」や「きれいな戦争」などどこにも存在しないはずなのに,動員のためには「ネオ・ナチからの解放」とか,我田引水的言説を強烈にアピールしている。あたかも,かつての旧日本軍の鬼畜米英を叫んだ大本営発表と酷似している。時代を超えるのが戦争体制というものなのだろう。

 ウクライナ東部地域はそもそもロシア近代化の一大工業地帯であり,従ってロシア革命の担い手であるプロレタリアートの根拠地であった。そして,この地において第一次五か年計画が策定・実施された。ウクライナはロシアの心臓部であった訳だが,だからといって軍事力をもって制圧するのは当然だ,という理由にはならないだろう。戦争の正当性というものは,所詮はそういうものである。戦争と革命はいつも大衆的熱狂を煽るのであるから,困ったイデオロギー信奉である。しかも,この重要拠点の集中的破壊行為を目の当たりにすると,プーチンの言い分など考慮する気にもなれない。マスコミ報道では経済的要因から見た説明がほとんどなく,占領地域と戦闘の優劣のみが拡散している。

 大英帝国は明清時代の中国やアメリカ大陸の植民地化・属国化が不可能と判断したため軍事的制圧を諦め,自由貿易政策に国内政治経済システムを転換した。その方が,得るべき利益が大きかったための合理的判断である。国土は狭くとも経済的繁栄は創造できるという,リカード理論の歴史的根拠である(数式から新理論は生まれない。ただ既成理論の証明を促すだけである)。プーチンはウクライナ戦争を契機に「第2の冷戦の始まりだ」と発言しているようだが,既にロシア経済は人口5,000万人の韓国経済よりも小規模になっている。しかも,石油資源依存と軍事力だけが突出した片務的経済構造になっている国が,周辺国を併合したからといって高度産業社会に移行できるはずがない。飽和化した地球人口を抱えた21世紀において,帝国的な領土拡張策がどのような世界版図を築けるのだろうか? 我々は過去の栄光をいつまでも引きずっているようでは,新たな人類史を描けない。

地域協力の錯綜

 ロシアの不合理な領土拡大策や,またその影響が懸念される中国の海洋進出に対して,市場経済諸国はTPPやRCEP等々の多角的経済連携を模索してきたが,ここに来て中国包囲網を本格化させている。IPEF(インド太平洋経済枠組み)は必ずしも即時的な経済メリットや,関税障壁の撤廃を求めているものではない。むしろ,地政学的な安全保障上の枠組みやブロック経済的色彩を帯びた経済連携のようにも思える。こうした構想はWTOや自由無差別原則からは距離があるが,世界は既にそうしたことも念頭に置きながら国際関係をマネージメントしなければならない時代に入っているのかも知れない。

 新自由主義者は経済的メリットなしにはその様な協定に加わることはないといっているが,ロシアのウクライナ侵略に見られる事態はどう見ても経済的合理性に基づいた行動とは考えられない。自由貿易の諸原則は領土や従属国家・地域や勢力版図の拡大なしに,自国の経済的利益を追求するという対外行為である。しかし,時としてこの原則が理解されなくなる事態も発生するのが世界史の巨大な断層である。難題山積であるが,拡大する生産力と世界貿易の構造転換が未踏の国際的政治局面を生み出している。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2573.html)

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