世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2499
世界経済評論IMPACT No.2499

マクロン大統領選挙と経済政策の総括

瀬藤澄彦

(国際貿易投資研究所 客員研究員・帝京大学 元教授)

2022.04.11

 マクロン大統領のこの任期5年間は,オペラで言えばジレジョーヌ(黄色いベスト)運動や年金改革反対のストで,深刻な対立と衝突が目立った第1幕とそれに続く第2幕が結末を迎えないままコロナ禍とウクライナ戦争という世界情勢の混乱のなかで中断し,第3幕が第2部の第1幕として仕切り直しでこれから始まるという塩梅である。

 2017年の政権発足後に着手した一連の経済政策は,➀高度技術立国のために5年で570億ユーロ相当の投資計画(供給側刺激策),金融所得への統一税率(30%)導入,連帯富裕税を不動産富裕税へ改正,法人税率引下げ,②家計の購買力向上(需要側刺激策),住居税減税(3段階),③CICE(競争力強化と雇用のための税控除),CGS(一般社会税)税率引上げと従業員負担分の健康保険料・失業保険料の廃止後のCGSへの移管など,オランド大統領時代の責任協定の継承,④EUルールの財政健全化の着実な実施という具合である。マクロンの経済政策は,所得・雇用・財政という3重のトリリンマ・モデル(注)では,所得均等や雇用創出よりも財政規律,雇用や失業手当よりも就労促進という新自由主義的な政策に重点が置かれた。

 経済学者の評価ではマクロンの政策にはシュンペンター流の創造的破壊,ポール・ローマー型の技術進歩による内生的成長理論,モチベーション動機の自己責任型の経営管理論,などセーの法則に立つ供給重視のオーストリア学派に近い考え方が反映されている。さらに専門家の間ではチュルゴ,セー,リチャード・カンティヨン,サイモン・クズネッツらのように技術進歩を伴う供給ミクロ企業経済に重点を置くものである。マクロンの選挙公約にもそれが反映,アルフレッド・ソビーのように労働時間短縮に反対, 雇用面では北欧型の労働の柔軟性を重視,同時に米国のリチャード・マスグレイブの「公共選択の理論」のように政府の役割を所得の適正分配,経済の安定,資源の効率配分の3つの分野に限定されるべきとの考え方も見られる。現代経済思想面では,ジャック・アタリ,ジャン・ピザニ・フェリー,アラン・マンクなどのグローバル自由市場派の有力経済学者のマクロン支持は以上の考え方を受け継いでいる。

 オランド大統領は「社会党2012年プロジェクト“変革”」や「フランスのための60の公約」の選挙公約やマニフェストを発表。財政緊縮策を包含した経済政策の内容を盛った成長と雇用創出ではサルコジ―時代の路線からの変更を表明した。360億ユーロの増税と支出削減,60億ユーロの新年度税収入分を差し引いた300億ユーロは,企業と世帯に対するそれぞれ100億ユーロの増税負担に依存する歳入重視型の財政再建策だった。ミッテラン大統領時代の最初(1981~82年度)の大型景気予算とは違い,就任に伴うご祝儀予算やばらまき予算は影を潜めたのが特色でもあった。またオランド大統領初年度の予算では企業と高所得層に対する課税の強化が前面に出た内容であった。

 これに対してマクロン大統領の過去5年間の経済政策は,選挙公約である15分野・75プログラム・300項目については,ジレジョーヌ運動,年金改革反対の長期デモ,新型コロナ感染対策,さらにウクライナ戦争という4つの深刻な危機が連続したため,ほとんどが実行されなかった。これらの政策はハーバード大学イバーセン・ブレン両教授のトリリンマ・モデルに照らしてみると所得の均等化には遠く,雇用創出というよりは労働の柔軟化に力点が置かれた。富裕税廃止などの減税政策は「金持ちのための大統領」というレッテルを貼られたように富裕層向けの「小さな政府」を志向するリベラリズムに傾斜するものであった。

 労働改革面では企業に対し労働法改正を通じ柔軟性と雇用保護を同時達成する北欧型のフレキセキュリテ・モデルを導入しようとした。4つの行政命令・36の措置・労働法改正・求職条件や職業訓練プログラム厳格化を盛り込んだ2017年6月28日の閣議決定を踏まえ9月には行政命令執行(ordonnance)を通じて労働法規改正が実施された。そのほかSNCF(国鉄)自由化改革,ナント市郊外ノトルダム・デ・ランド国際空港建設プロジェクト撤回,Parcoursup(大学入学振分け制度),PACTE企業経営改革法,健保保険料源泉徴収導入,住宅資産税撤廃など規制緩和や自由化政策と環境主義者寄りが相混じった政策路線が採択された。

 財政政策としては,①不況時の社会保障給付が「自動的」に増大する仕組みが他国に比べより厚く,②公共財の資源配分の効率的調整,地方自治都市連合体結成による広域行政やPPP(官民パートナーシップ)事業の導入など自動安定装置を通じて「重税感は強いが,所得の再配分により不平等が世界で最も少ないフランス型モデル」の政策で,ブレが少なくショックに耐久力があるものとなっている。

 新型コロナの影響に抗して有名になったマクロンの2020年3月の「どんな対価を払っても」(Quoi qu’il en coûte)という言葉はアンメームタンにも劣らぬ有名なキャッチフレーズとなった。これはユーロ危機の真只中に欧州中央銀行前総裁ドラギ現イタリア首相が「どんなに高くついても」“whatever it takes”と言ったことをもじったフレーズを意識したものである。1918年のスペイン風邪以来最悪と言われる新型コロナの影響は2020年に戦後最悪のGDPマイナス7.9%という急降下となって現れたが,あらゆる対価を払ってもというこの緊急経済対策は1000億ユーロ(約1兆3千億円)という破格の事業規模となった。雇用持続化給付金,自営業者連帯基金,低所得世帯救済費で構成されるこの予算はEU次世代基金からの融資も含めた大規模な財政措置であり,コロナショックで打撃を受けた家計所得の低下を,社会保障制度の自動安定装置とともに食い止めることに成功したと言われる。この大型の経済支援策は前のオランダ大統領経済補佐官でブリューゲル研究所長ピザニ・フェリーと前のIMFチーフ・エコノミストのオリビエ・ブランシャールという2人の有力エコノミストの考えを反映したされている。フランス会計検査院は22年2月,国家予算支出に歯止めのなくなることに強い懸念を表明した。17~22年のマクロン経済運営の成果についてアルマール政治学院教授は「平凡」であると手厳しい。1969年以来と言う2021年の成長率が7%に達したのは2020年のマイナス7.9%という1950年以来の景気の下降という下駄を履いただけで17年以前の水準とはプラス0.3%に過ぎない(仏景気観測研究所プヌラとラゴ両教授の試算)。貿易収支は850億ユーロという記録的赤字,公的債務残高は100%を突破して対GDP116%の歴史的高水準になった。こうした中で17年末に9%だった失業率が第4四半期に7.4%に低下し改善したのは,ILO方式では失業者の範疇に入らない一時雇用,期限付き雇用,派遣雇用,などの雇用が増え,さらにコロナ禍によるテレワークやフリーランスなどの雇用形態,そしてグランド・デミッショと呼ばれるなど自発的な大量退職者が発生したからである。これらのすべてのカテゴリーの雇用は失業者の数字に反映されないからである。

[注]
  • 出所: Equality, Employment, and Budgetary Restraint The Trilemma of the Service Economy
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2499.html)

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