世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2497
世界経済評論IMPACT No.2497

プーチンのウクライナ侵攻と三つの誤算:ポスト・アメリカンヘゲモノニーの時代風景

関下 稔

(立命館大学 名誉教授 )

2022.04.11

 プーチンの突然のウクライナ侵攻は世界を震撼させた。その後一ヶ月ほどが経過したが,プーチンの思惑どおりにいかないばかりでなく,その帰趨すら定かではない。報道を見ていると,そこには三つの誤算があったように窺われる。

 第1は最新兵器によって武装化された大国による軍事侵攻が成功を収めないことである。いわば「唯武器論」的信仰への過信とその蹉跌である。嵩に掛かった攻撃が厳しい抵抗にあって頓挫していく様をわれわれは何度もみてきた。ベトナム戦争におけるフランスの手痛い敗北やアメリカの撤退はわけても記憶に生々しい。人民戦争方式による国民挙げた抵抗と戦闘継続,そして最終的勝利は,とりわけ女性の直接の参加として銘記されている。独ソ戦における旧ソ連における女性戦士の想像を絶するような状況下での奮闘振りは,「戦争は女の顔をしていない」においてアレクシェーヴィチが克明にインタビューして再現したところでもある。こうした貴重な経験をもつロシアが,一転して侵略者の立場に立ち,最新兵器にものを言わせて無慈悲な殲滅作戦を展開したあげく,苦戦している様は何とも皮肉なことである。

 第2はポスト・アメリカンヘゲモニー時代におけるアメリカの戦略的な過誤である。アジアにおける中国の台頭への脅威から,中国主敵論に傾き,中東やヨーロッパへの対策を二次的,副次的なものとしてきた偏向に水を差されて,急遽NATOとの一体的対抗を打ち出した。しかも「経済制裁」という武器を最大に使った人権外交路線としての展開を中軸に置いている。だがこれではプーチンとその取り巻きへのきつい牽制にはなっても,その侵略行為を止めることにはならないだろう。またたとえ西側同盟諸国の一致した合意と行動をとりつけたにしても,広く途上国や新興国の賛同を取り付けることは難しく,またそのために払わなければならない経済的犠牲やデメリットもけっして少なくない。グローバリゼーションの流れを寸断して,広範かつ多岐にわたって展開されてきている対ロシアビジネスや文化交流を中断させてしまうことになる。そしてその再調整のために,にわか仕立ての,より複雑で矛盾だらけの経済回路や枠組みを新たに敷設せざるを得なくなる。そうすると,それでなくても3年にも及ぶコロナウィルスの襲来下で,国際経済活動の停滞や国民生活の制約・自粛に世界は悩んできたが,これを益々助長させていくことになろう。

 第3は,にもかかわらず,世界には反戦・平和の大合唱が轟き渡っている。この「草の根」の民主主義の力はすさまじい。プーチンがどんなに詭弁を弄しても,世界の善意で良識ある人々の連帯した力はそれを跳ね返すだろう。そして世界中の怨嗟を今後受け続けることになろう。そのことはロシア国内へも必ず跳ね返ってくる。反戦・平和を求める世界の連帯精神は偏狭な旧来のナショナリズムの枠を突破して,プーチン自身の胸に突き刺さることになろう。それを強権政治によって押さえ続けることは早晩できなくなるだろう。

 かくて全体を眺望すると,アメリカのヘゲモニーの後退が世界に新しい時代風景を映し出すことになった。常日頃ウクライナへのEU/NATOの浸透をロシアの「生命線」への無神経な振る舞いと見てきたプーチンは,昨夏のアフガン撤退におけるバイデン政権の愚策かつ稚拙な対応に加えて,ドイツを始めとするヨーロッパでの政権交代の端境期を千載一隅のチャンス到来とみて,一挙に侵略開始を決断したと思われる。だが西側世界をいたずらに敵視するプーチン・ドクトリンは,それに対抗できる自らの繁栄・平和・互恵・協調路線を提示できない限りは,周辺国を含めたロシア自身の将来像を確かなものにすることできないだろう。とりわけ西側の民主主義と自由に優る新たな独自の価値観を示さなければならない責務がある。それを抜きにして,愛国主義を鼓吹して,いたずらな強権政治と国家統制,そして監視主義の強化によってでは確かな未来はけっして開けないだろう。

 またアメリカンヘゲモニーの後退は西側世界に一時的には戸惑いや結束の弛緩をもたらしたものの,逆に新たな対話と集団的対応と平和外交の可能性を開くことにもなった。それを底辺で支えているのは,世界の良識ある人々による「草の根」の民主主義の,幅広い,多様で,独創的な連帯精神の発揚と運動の高揚である。それはデジタル時代がもたらした新たな息吹である。その確かな声に耳を傾けない指導者は,この新しい時代には生き残れないだろう。そして国連を始めとする国際機関がその橋渡しに鋭意努めるべきである。かくて新しい風が吹き始めたことはポストアメリカンヘゲモニー時代の確かな兆候である。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2497.html)

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